太平記 現代語訳 10-1 千壽王、鎌倉から逃亡
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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京都から遠い鎌倉(かまくら:神奈川県・鎌倉市)ゆえ、「足利高氏(あしかがたかうじ)、倒幕側勢力に転ず」との情報をもたらす急使も未だに来らず、そのうわささえも、関東に伝わって来てはいなかった。
このような中に、元弘(げんこう)3年(1333)5月2日の夜半、足利高氏の次男・千壽王(せんじゅおう)が、鎌倉・大蔵谷(おおくらだに)エリアから突然姿を消し、行方不明になってしまった。このニュースを聞き、「大事件発生!」と、鎌倉中、大騒ぎになってしまった。
鎌倉幕府リーダーA エレェ事になっちまったなぁ。
鎌倉幕府リーダーB 足利殿のぼっちゃんがねぇ。
鎌倉幕府リーダーC 京都の方で、何かあったんだろうか?
鎌倉幕府リーダーD ほんと、京都はいったい、どうなってんだぁ?
鎌倉幕府リーダーE こっから京都まで、遠いからなぁ・・・あちらがいったいどんな情勢になってんだか、さっぱり分かりゃぁしねぇ。
鎌倉幕府リーダーA とにもかくにも、京都の情勢、気がかりだよ。
というわけで、鎌倉幕府は、長崎勘解由左衛門(ながさきかげゆざえもん)と諏訪木工左衛門(すわもくざえもん)の両名を使者に立て、京都へ向かわせた。
長崎と諏訪は、駿河国(するがこく:静岡県中部)の高橋(たかはし:静岡県・静岡市・清水区)で、京都の六波羅庁(ろくはらちょう)から鎌倉へ向かう急使に出会った。
六波羅庁よりの使者 大変ですよ! 名越(なごや)殿は戦死、足利殿は敵側になってしまいました!
長崎勘解由左衛門 なにぃ!
諏訪木工左衛門 こりゃいかん! こうなったらむしろ、鎌倉の方が心配だよ。
長崎勘解由左衛門 すぐに引き返そう!
長崎と諏訪は、鎌倉へ取って返した。
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(訳者注1)千壽王の名は、後に、義詮に、変わった。
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足利高氏の長男・竹若(たけわか)は、伊豆国(いずこく:静岡県東部)の伊豆山(いずやま:静岡県・熱海市)に居住していたが、伯父の良遍法印(りょうべんほういん)と、身の回りの世話をする少年、同宿の僧侶ら13人と共に山伏姿に変装し、ひそかに京都へ向かった。
しかし彼らは、浮島原(うきしまがはら:静岡県・沼津市・富士市)で、長崎と諏訪に、バッタリ遭遇してしまった。
長崎と諏訪は、彼らを全員生け捕りにしてしまおうと思ったが、良遍は、彼らと一言も言葉を交えずにいきなり馬上で腹を切り、路傍に倒れ伏した。
長崎勘解由左衛門 これはやっぱし、足利殿の心中に反逆の意志ありってことだな。だから、一言の弁明もできないってわけよ。
彼らは、竹若を密かに刺し殺した後、残る13人の首を刎ねて浮島原にさらし、鎌倉へと急いだ。
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