太平記 現代語訳 10-9 北条基時、自害す
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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北条基時(ほうじょうもととき)は、化粧坂(けはいざか)方面の防衛陣に加わっていたが、昼夜5日間にわたる激戦の末に、郎従(ろうじゅう)ことごとく討死、残るはわずか、20余騎だけになってしまった。
「諸方の防衛ライン、みな破れ、倒幕軍が鎌倉の谷々に乱入」との情報を聞き、基時は、生き残りの若党らと共に自害して果てた。
彼は、あの六波羅庁(ろくはらちょう)長官・北条仲時(ほうじょうなかとき)の父である。
「仲時殿、京都を脱出して鎌倉への逃走の途中、近江(おうみ:滋賀県)の番場(ばんば:滋賀県・米原市)にて自害」と聞かされていたから、息子のその最期の様を思いやり、哀れに堪(た)えなかったのであろう、基時は、普恩寺の堂の柱に、自らの血をもって、歌一首を書き残したと言われている。
待ってろよ 冥土(めいど)の山辺の 旅の道 親子そろって 話しながら行こう
(原文)待てしばし 死出(しで)の山辺(やまべ)の 旅の道 同じく越えて 浮世(うきよ)語らん
世間の人A あの方は日頃から、和歌の道にそりゃぁもう、打ち込んでらっしゃいましたよねぇ・・・。(涙)
世間の人B 日々たしなんで来た歌の道を、人生の最期の時になっても、お忘れにならなかったのですわ。(涙)
世間の人C 息子さんを思いやる心中の哀愁、切々と伝わってきますなぁ・・・。(涙)
世間の人D まさに、この歌一首をもって、天下の称歎(しょうたん)に残されたのですわ。(涙)
その風流の心を、天下の人々はこぞって、感涙を流しながら賞賛してやまなかった。
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