太平記 現代語訳 4-5 後醍醐先帝と中宮妃の別れ
太平記 現代語訳 インデックス 2 へ
-----
この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
-----
元弘2年(1332)3月7日、「いよいよ、先帝、隠岐へ護送」と聞き、中宮(ちゅうぐう)妃・禧子(きし)は、夜にまぎれて、六波羅に抑留されている先帝のもとを訪問、中門に車を寄せた。
先帝は、自ら車の簾を持ち上げ、妃殿下を出迎えられた。
後醍醐先帝 (内心)この人を都に残したまま、波に揺られる船旅、月に照らされながらたどる汀の旅・・・あぁ、この先、いったい、どないなっていくんやろうかなぁ・・・。
中宮 (内心)明日から、陛下は、はるか遠くに行ってしまわはる・・・後には、何の頼みとなるものもない・・・永遠に夜明けの来ない闇夜の中を、さまようような気持・・・いかにしても、断ち切ることができないこの心情・・・。
いくら言葉を連ねてみても、足りないような気持ちの中に、共に語り続ける二人。
長い秋の千夜を一夜に濃縮して語りあったとしても、なおも言い尽くせないで、夜が明けてしまうであろうと思うと、心中の憂いは言葉にも言い表わしがたく、かえって何も言えずに、時間が過ぎていってしまう。
ただただ、涙にくれながら、つれない有明の月が傾く時刻となってしまった。
まさに、夜は明けなんとしている。中宮は車に乗り、帰宅の途上、涙の中に一首詠んだ、
これ以上 つらい思いって あるかしら 苦しい人生 エンドはあるの?
(原文)此の上の 思いはあらじ つれなさの 命よされば いつを限りぞ
臥(ふ)し沈ませ給(たま)いながら
帰る車の 別れ路(わかれじ)に
廻(めぐ)り逢う世の 憑(たのみ)な(無)き
御(おん)心の中(うち)こそ 悲しけれ
(原文のまま)
-----
太平記 現代語訳 インデックス 2 へ
