太平記 現代語訳 21-1 足利家の勢威、ますます増大
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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京都朝年号・暦応(りゃくおう)元年、吉野朝(よしのちょう)年号・延元(えんげん)3年(注1)(1338)は、足利対反足利・権力闘争の一大ターニングポイント(転機)となった年であった。
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(訳者注1)従来、日本史の教科書や歴史専門書に、「南朝」、「北朝」と表記されてきた両朝廷の呼称を以後、訳者は用いないこととした。これ以降、大覚寺統の朝廷を「吉野朝廷」あるいは「吉野朝」、持明院統の朝廷を「京都朝廷」あるいは「京都朝」と呼ぶ事とする。その方が、それぞれの根拠地が明示されていて、読者にとっては分かりやすいと思うから。なお、「吉野朝」はこの後、吉野さえをも放棄して他の地に避難する事を余儀無くされる時もあるのだが、その際にも、「吉野朝廷」と表記することとする。
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その年の末には、日本各地の勢力が後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の側に立って一斉に大軍を起こし、いよいよ吉野朝廷の運も開けゆくか、と見えたのもつかの間、北畠顕家(きたばたけあきいえ)、新田義貞(にったよしさだ)が共に、流れ矢のために落命し、奥州(おうしゅう:東北地方東部)下向のメンバーらも、航海途中に難風に遭遇して、行くえ不明になってしまった。
そのような情勢を見て、「これで、日本の政治権力の帰趨(きすう)も先が見えた」と判断したのであろうか、結城道忠(ゆうきみちただ)の子息・親朝(ちかとも)は、父の遺言にそむいて足利サイドに投降してしまった。
芳賀禅可(はがぜんか)も、主家の宇都宮公綱(うつのみやきんつな)の子息・加賀寿丸(かかじゅまる)を取り込めて足利サイドに走り、主従の礼儀を乱し、己の威勢を恣(ほしいまま)にしている。
新田氏の人々はなおも、方々の城にたてこもり、後醍醐天皇の親王方も、時節の到来を待ちながら諸国に住しているとはいうものの、吉野朝サイドは、あたかも、猛虎が檻に入れられたようなもの、追いつめられた鳥が翼をくじかれて飛べなくなってしまったかのようであり、虎の眼は百歩かなたを見る力を失い、鳥は悲しく九天の雲を望むのみ、日本の政治権力の構造に何らかの大異変が起こるのを、ただじっと待ち続けるしかない。
天下の帰趨(きすう)が未だ定かでなかった時でさえ、世間のそしりを意に介さず、驕りを極め、欲望をほしいままにつのらせていた足利サイドの有力武士や、高(こう)家、上杉(うえすぎ)家の人々は、もうこうなったら怖いものナシ状態。才も学も無いのに、破格の位階、褒賞に預かり、過去の慣例も法も何もかも無視しながら、国政の様々な任務を遂行していく。
最初のうちは、「朝敵」の汚名を被(こうむ)ることを憚(はばか)り、何事においても京都朝廷におうかがいを立ててから決めていたが、「今や、天下は武士のもの、公家など、国家にとっては何ほどのものか!」とばかりに、公卿、殿上人、諸役所の役人、親王家等に仕える侍たちの領地は言うにおよばず、親王、后妃、天皇、上皇が所有する領地までをも、武士たちはズカズカと横領していく。
このようなわけで、曲水(きょくすい:注2)や重陽(ちょうよう:注3)の宴も休止になってしまい、白馬(あおうま:注4)や踏歌(とうか:注5)の節会(せちえ)も行われず、朝廷の儀式はすべて、形ばかりのものになってしまった。今や宮中も院御所もさびれかえってしまい、そこへ出入りする人の姿も見えない。
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(訳者注2)3月に行われる宴。庭内の小川の上流から流された盃が自分のいる所まで流れてくる前に和歌を作り、盃に入っている酒を飲む、という宴。現在、城南宮(京都市)等で、往時をしのんでこの行事が行われている。
(訳者注3)9月9日の菊花の宴。
(訳者注4)正月7日に天皇が白馬を覧る儀式。
(訳者注5)正月16日に、少年童女が歌舞する儀式。
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国家の政治は全て、足利幕府(あしかがばくふ)に委ねられてしまっているがゆえに、太政(だじょう)・左右(さゆう)の大臣ら(注6)は、幕府の審議委員や審議委員長:注7)の前に媚びを成し、五摂家(ごせっけ:注8)に所属の人々も、足利家・官房長(注9)や国防・警察庁(注10)の要人らに、賄賂を贈っている。
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(訳者注6)原文では、「三家の台輔」。
(訳者注7)原文では、「奉行頭人」。
(訳者注8)藤原北家の血筋に連なる5つの家(近衛、九条、二条、一条、鷹司)。当時、摂政・関白職には、これらの家の出身でないと就任できなかった。
(訳者注9)原文では、「執事(しつじ)」。
(訳者注10)原文では、「侍所(さむらいどころ)」。
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納言(どうげん:注11)や宰相(さいしょう:注12)などに至っては、幕府の高位の者と道で出会えば、その京言葉を、おもしろおかしくまねして揶揄(やゆ)され、指さされて侮辱される。
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(訳者注11)大納言、中納言、少納言。大臣の下の役職。
(訳者注12)参議とも言う。納言の下の役職。
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世間の声A なぁなぁ、あんたら最近、お公家さんらの言葉聞かはって、なんかヘンやなぁて、思わはらしまへん?
世間の声B 思う思う。ムリして関東弁なんか使ちゃってよぉ。ったくオカシくって、聞いてらんねぇぜ。
世間の声C 言葉だけじゃぁなかと。ファッションまでも、武士のマネしとるとよ。
世間の声D 着なれん折烏帽子(おりえぼし)なんかかぶって、額をズルっと出しとるあの姿、とても見られるもんやないでぇ、あれは。
世間の声E まぁな、あれでもなんとかムリして、武士のマネしてみえるんだわ。けどなぁ、なんってったらいいんかねぇ・・・なんか、はたから見てても、ヒジョーに、おかしいんだわ。
世間の声A 急に練習しはったかて、立ち居振舞いまではそうそう、武士のお方らの真似しきれるもんやおへんなぁ。
世間の声E ほんと、あんたの言うとおりだわね。いくら武士のマネしてみても、皆さんどこか、ナマメイてみえなさるでねぇ。
世間の声B さかやき(注13)の剃り込みだって、あれじゃぁ、武士にしてはチト深すぎるってもんだぜ。
世間の声C あんなんじゃ、公家らしくもなか、かというて、武家らしくもなか。
世間の声F 都のスタイルにも地方のスタイルにも、双方どっちつかず、言うならば、まっ、チュゥーートハンパ(中途半端)な状態に落ち込んでしもた人、いうことですかいなぁ。
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(訳者注13)額の髪を半月方に剃り上げた部分。
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