太平記 現代語訳 23-1 大森盛長、異界の勢力と対決す

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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京都朝年号・暦応(りゃくおう)5年(1342)の春、伊予国(いよこく:愛媛県)から早馬が京都にやってきて、足利幕府に対して奇怪な報告を行った。その内容は以下の通りである。

伊予国の住人に大森盛長(おおもりもりなが)という人がいた。大胆不敵な心の持ち主で、力も並外れて強く、まことに血気の勇者というべき男であった。

去る建武(けんむ)3年5月に、足利尊氏(あしかがたかうじ)が九州から京都へ攻め上り、兵庫の湊川(みなとがわ:神戸市)にて新田義貞(にったよしさだ)と決戦を行った際、この大森一族は、足利軍リーダー・細川定禅(ほそかわじょうぜん)の下でめざましい戦いを行い、あの楠正成(くすのきまさしげ)に腹を切らせるという、大殊勲を成しとげたのであった。

「その功績、抜群なり!」との評価の結果、盛長は数箇所の領地を恩賞として得た。以来、この喜びに誇り、大森一族は様々の遊宴に日々を送っていた。

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大森盛長 さぁてと、来週はどんな遊びをやるかいのぉ。

大森家メンバーA そりゃやっぱし、猿楽(さるがく)がえぇんちゃいますかぁ? あれやったら、寿命が延びるっちゅうけぇのぉ。

大森盛長 よぉし、じゃ、猿楽で行こうや。

さっそく、ある寺院の庭を借り切り、桟敷を並べ、舞台をしつらえて、大猿楽会の準備を始めた。これを聞きつけて、近隣から大勢の人々が見物に集まってきた。

いよいよ、その当日となった。

盛長は、自らも出演するつもりでいたので、様々の舞台衣装を持たせた郎等をひきつれて、その寺へ向かった。

山間の細道を通りすぎる途中、一人そこに佇(たたず)む女に出会った。

今しも山の端から出た月の光に照らし出された女の顔は、はっと息を呑むほどの美しさ。年の頃は17、8ほどであろうか、京都の公家の家に仕える女房のようなふぜいである。赤い袴に表白裏青の5枚重ねの衣服を着ている。髪は、鬢(びん)をそいで間も無いように見える。

大森盛長 (内心)おかしいなぁ・・・こないなとこにいったいなんで、あないに高貴なカンジの女がおるんじゃぁ? いったいどっから来たんじゃろかのぉ。これからどっかへ、宴の見物にでも行く途中なんじゃろか? それにしても、すごい美人じゃのぉ・・・うーん・・・。

女は、盛長に向かっていわく、

女 あぁ、困ったわぁ・・・道に迷うてしもぉた・・・。誰に道を尋ねたらえぇんやろ、このワタシは・・・。

女のうちしおれたその様を見れば、いかなる野蛮な男といえども、その気にならずにおられようか。

大森盛長 (内心)ほんと、いい女じゃなぁ・・・ナンパしてやるかいのぉ・・・。いやいや、どこぞの誰かの妻かもしれんのに、そないな事したら、いけんいけん。

大森盛長 (内心)とは言うもののなぁ・・・こないにいい女にここで出会ぉたのに、何も無しに別れて行くっちゅうのもなぁ・・・あぁ、もったいない・・・えぇい!

大森盛長 おぉい、あのなぁ! 道に迷ぉとるんやったら、わしについて来んさい。これから猿楽やりに行く途中じゃけぇ、宴の見物に行きたいんやったら、どうや、わしんとこの猿楽、見に来んか? 連れてったげるでぇ。

女 (微笑)あら・・・嬉しい事を言うて下さいますのねぇ・・・ほなら、おたくはんの猿楽に、うちもおじゃまさせてもらいましょかいなぁ。

大森盛長 おぉ、来いや、来いや!

女は、盛長の後について歩き始めた。

大森盛長 (内心)あぁ・・・この女、ほんと、なよなよしとるなぁ。今までろくに、土踏んだ事もないのんちゃうかぁ。あれ見ぃや、あの歩いとる様・・・今にも倒れてしまいそうじゃ・・・あぁ、とても見とれんわ。

大森盛長 なぁなぁ、道は露が深いけぇのぉ、足元が濡れるじゃろう。猿楽やっとる所まで、わしがあんたをおぶってったげるわ。さ、わしの背中に乗りんさい。

盛長は腰を落して、女を招いた。

女 いやぁ、そないにずうずうしい事ぉ。

大森盛長 遠慮するな、えぇから、えぇから。

女 そうですかぁ・・・ほなら。

女は、盛長の背中に寄りかかった。彼は女を背負い、再び歩き出した。

大森盛長 (内心)あぁ、なんちゅうえぇ気分なんやろ・・・あの伊勢物語のシーン、在原業平(ありわらのなりひら)が明子を背負うて京都から逃げていくとこ、思いだしてしまうわなあ。業平もきっと、こないな気分やったんじゃろなぁ。

月夜の中に美女を背負い行く・・・嵐に散った桜の花びらが袖にふりかかるかのごとく、盛長の足はたどたどしく宙を踏み、芳香のたち込める梅林の中を行くかのように、心はうわの空。

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そのまま半町ほど行き、山陰にさしかかった。

山が月光を遮ってあたりが暗くなったその瞬間、あれほど高貴で美しかった女が、盛長の背中の上でにわかに変身しはじめた。

身長は8尺ほどに伸び、両眼は朱を水に解いて鏡の表面に注(そそ)いだかのよう、上下の歯は食い違い、口は耳元まで広く裂けている。漆を何度も塗り重ねたかのように黒く太い眉は額を覆い、振り分け髪の中からは5寸ほどの鱗をかぶった角が生え出ている。

その姿はまさしく、鬼。

大森盛長 (内心)ムム? この女、急にエライ重たくなりよったな。なんだか、大きな岩でも背負ってるみたいなカンジじゃ・・・ムム、こいつは女なんかじゃない、バケモノじゃ!

盛長は、怪物を背中から振り落とそうとした。怪物は、熊のような手で盛長の髪をひっつかみ、虚空めがけて懸け上がろうとする。剛勇な盛長は、怪物にムズと引き組み、両者もろとも深田の中に転げ落ちた。

大森盛長 おぉい、化け物をひっつかまえた、はよ、皆で組み伏せろ!

後方に離れて従ってきた郎等たちは、あわてて太刀や長刀の鞘を外し、駆け寄ってきた。

大森家メンバーB えぇ、化け物?・・・そないなアヤシゲなん、どこにもおらんよ。

化け物は、かき消すように姿を消してしまっていた。

郎等たちは、盛長を助け起こした。見れば、呆然として、正気を失ってしまっている。

大森家メンバーB こりゃ、タダゴトじゃねぇで。

大森家メンバーC こんなんじゃ、猿楽なんて、とてもできんわな。

大森家メンバーD そうじゃのぉ・・・。

というわけで、その夜の猿楽は中止となってしまった。

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大森盛長 えぇい、もぉ! 猿楽に出演するからいうんで、せっかく一生懸命練習しとったのに、こないだはとんでもないジャマが入ってしもぉたぁ! えぇい、いまいましいのぉ!

大森盛長 わしゃなぁ、いったんやると決めたら絶対に、猿楽やったるでのぉ!

というわけで、再び吉日を選び、寺の堂の前に舞台がしつらえられ、桟敷が並べられた。またもや見物の人々がおおぜい押し寄せてきた。

はたせるかな、再び怪事件は起った。

猿楽のプログラムの半ほどまで進行した時、遥かな海上に直径8尺ほどの光を放つ物体が2、300個ほど出現。

猿楽見物人E おいおい、あれいったい、なんじゃぁ?

猿楽見物人F 漁師が縄を燃やして、魚を集めとるんかいのぉ。

猿楽見物人G 鵜(う)飼いが舟に灯しとる、かがり火じゃろか。

光る物体は、急速に猿楽舞台の方へ接近してきた。

見れば、一群の黒雲の中に玉の輿を連ね、恐ろしげな鬼のような者たちがその前後左右に列をなしている。その後方には、色とりどりの鎧を着た武士が100騎ばかり、良馬にくつわを噛ませて続いている。しかし、すぐまじかに迫ってきてもなお、彼らの顔は陽炎(かげろう)のように朦朧としていて、よく見えない。

稲妻を光らせながら接近してきた黒雲は、やがて、猿楽舞台のすぐ近くの森の梢の上に止まった。

全員、恐怖におののきながら見ていると、その雲の中から高らかに声が響いた。

楠正成の亡霊 おーい、大森盛長はん、久しぶりやのぉ! わしや、楠正成(くすのきまさしげ)や!

その場にいあわせた者全員 エーッ、楠正成じゃとぉ!

楠正成の亡霊 楠、そうや、楠や! 楠正成カムバーックじゃい! ワッハハハ・・・。

その場にいあわせた者全員 (震えながら)・・・。

楠正成の亡霊 なぁ、大森、これからわしの言う事、よぉ聞けよ!

大森盛長は、このような事にはいささかも動じない男である。まったく臆する様なく、返答していわく、

大森盛長 人間は一度死んだら、二度とこの世に戻ってはこんからのぉ、きっと、楠正成の魂魄(こんぱく)が霊鬼(れいき)となって、ここにやって来よったんじゃろう。ま、そないな事はどうでもえぇわ。楠殿、あんたはいったい何用があって、今ここにやってきて、このおれを呼ぶんじゃ?

楠正成の亡霊 あんなぁ、わしが生きとった間はなぁ、あれやこれやと謀略をめぐらして、北条高時(ほうじょうたかとき)とその一族を滅ぼしてな、先帝陛下のお心を安んじ申し上げ、そのかいあって、陛下は天下ことどとくを治められるようになったわい。

楠正成の亡霊 めでたしめでたしと喜んでたら、なんと、あの足利尊氏(あしかがたかうじ)と直義(ただよし)兄弟が、たちまち虎狼(ころう)のごとき心を起こしやがってなぁ、ついに陛下を、政権の座から追い落してしまいよったやんけぇ!

楠正成の亡霊 足利兄弟と戦ぉて屍を戦場にさらした忠臣や義士らは、あいつらに対する怒りの念がどうにも収まらん。ついに、全員意を決して、アシュラ、そうや、アシュラ王の手先になったんじゃい! わしらの怒りは、一時として止む時がないんやぞ!

楠正成の亡霊 アシュラ王の支援を受けて、もう一回、天下をひっくり返してしもたろ、思ぉてな、あれやこれやと考えた末に、ついに、わしはその方法を見出したんじゃい。そのためには、3本の刀が必要なんやなぁ、「貪(どん)」の刀、「瞋(じん)」の刀、「痴(ち)」の刀がな。(注1)

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(訳者注1)貪、瞋、痴を仏教では「三毒」という。「毒」とはすなわち「煩悩」。

貪 = 貪欲(Rāga):自己の情に順応せる事物に愛着し、これをむさぼって飽くことなきをいう。すなわち、世間の色欲財宝等を貪愛して足るを知らぬこと。

瞋 = 瞋恚(しんい)(Dveṣa):自己の心に反する対境に対して憎み怒り、心身ともに平安ならざる心作用をいう。

痴 = 愚痴(Moha):事象に惑い、真理をわきまえざること。愚かなること。
(以上、「仏教辞典」大文館書店刊より)
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楠正成の亡霊 さてさて、そないな刀、いったいどこにある? わしら皆で、憤怒の眼をカッと見開き、三千大世界(さんぜんだいせかい)の隅から隅まで一瞬のうちに、リモートセンシングしてみたんじゃい。

大森盛長 で、その刀、見つかったんかいのぉ?

楠正成の亡霊 ウハハハ・・・。見つかったわい、見つかったわい! この日本の国土の中にな、ちゃぁんと3本揃ぉとったわい、ざまぁ見さらせ!

楠正成の亡霊 まず一本目はな、比叡山(ひえいざん)の日吉山王七社(ひよしさんのうななしゃ)のうちの大宮(おおみや)社にあったわいな。その刀は、修行者の心中に入り込んで、そいつを操って取ってしもたった、ワッハッハッ・・・。

楠正成の亡霊 二本目はな、なんと、尊氏、そうや、足利尊氏のとこにあったわいな。あいつのお気に入りの童子に対して心理操作してな、その刀もまんまと奪い取ってしもたったわい。

楠正成の亡霊 さて、問題は三本目! 三本目の刀、それはなぁ、おまえがいま、腰に差しとるその刀、そうや、その刀じゃぃ!

大森盛長 ナヌゥ!

楠正成の亡霊 おまえな、その刀、いったいどういう、いわれのもんなんか、知っとるかい?

大森盛長 いいや。

楠正成の亡霊 その刀はな、元暦(げんりゃく)年間に、平家が壇の浦(だんのうら:関門海峡)で全滅した時に、あの悪七兵衛景清(あくしちびょうえかげきよ)が、海へ落しよった刀なんや。それをイルカが呑み込みよってやな、そのまま、讃岐(さぬき:香川県)の宇多津(うたつ:香川県・綾歌郡・宇多津町)の沖まで泳いで行きよって、そこで死によったんや。刀は海底に沈んだまま100余年が経過、やがて漁師の網にひっかかって、ほいで、おまえのもんになったというわけや。

大森盛長 ふーん・・・。

楠正成の亡霊 その刀さえ、わしらのもんになったらな、尊氏から天下を、そうや、この日本の天下を奪回する事なんか、もうイッパツで、できてしまうんじゃい。

大森盛長 ・・・。

楠正成の亡霊 先帝陛下から、「こら正成、はよ、その刀取ってこんかい!」とのお達しでな、楠正成の霊がここまで参上したっちゅうわけや、ハハハ・・・さぁ、さぁ、ワレ、早いとこ、その刀、こっちに渡さんかい!

雷鳴 ゴロゴロゴロゴロ・・・。

雷鳴が東西に轟き、今にも、盛長めがけて落ちかからんばかりである。

大森盛長 さては、こないだ女に化けて、わしをたぶらかそうとしたん、おまえらのしわざじゃな!

雷鳴 ゴロゴロゴロゴロ・・・。

盛長は、刀の柄(つか)を砕けんばかりにかたく握りしめ、仁王立ちになり、虚空をハタと睨んで叫ぶ、

大森盛長 楠殿、あんたが生きてなさった時には、わしも、いろいろとおつきあいさせてもろぉたけぇのぉ、あんたが欲しいいうんじゃったら、どんな宝物でもさしあげたいのはヤマヤマじゃ。そやけど、足利将軍様のご治世をひっくり返す為とあってはの、この刀だけは、絶対に差し上げるわけにゃいけんのぉ。

大森盛長 わしはな、こないな不肖の身じゃけんど、将軍様のお味方に馳せ参じて、幕府に忠誠心あつい人間と信頼してもろとるけん、こないに恩賞をたぁんと頂いてな、わしの一族はほんま、もったいないくらい豊かな暮らしをしとれるんじゃ。こないして猿楽して遊んどれるんも、将軍様からのご恩顧あってのことじゃ。

大森盛長 主君に対して忠心変ぜざるをもって義となす、これが勇士というもんじゃろて。たとえ、この身をズタズタに割かれ、骨を粉々に砕かれようとも、この刀をあんたに渡すわけにはいかんでの。さぁ、これでわしの思い、分かったじゃろう。分かったら、さっさと、魔界に帰りんさい。

楠正成の亡霊 (大怒)えぇい、このぉ!

大森盛長 さっさと、帰りんさい!

楠正成の亡霊 えぇわい、そのうち絶対に、その刀奪(と)ったるからな、まぁ見とれ!

罵(ののし)りの言葉を後に残し、光る物体は一斉に、海上はるか彼方めざして飛び立っていく。

猿楽見物の人々はみな、大パニック状態になってしまった。

猿楽見物人E ウヒャー! わしらもいっしょに、空中へ引き上げられてまうでぇ!

猿楽見物人F キャア!

猿楽見物人G さ、さ、はよ逃げよ!

猿楽見物人H オトーチャーン!

子は親を呼び、親は子の手を引き、四方八方へ逃げ去っていく。

このようなわけで、今夜の猿楽も、プログラムの始めの2、3の演目を終えただけで、中止となってしまった。

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その4、5日後、雷を伴った激しい風雨が、付近一帯を通り過ぎていった。

大森盛長 おっ、こりゃ前触れじゃな。またまた今夜も、例のがきっとやってきよるんじゃ。よし、今日はこっちから先に、出迎えてやるわ。

盛長は鎧を着て、中門の前に鹿皮を敷いた座席を据え、その上にドッカと腰を据えた。藤巻きの大弓と何本もの矢を用意し、鼻の油を指で矢にこすりつけながら、異界の者らの到着を、今か今かと待ちかまえる。

夜半過ぎ頃、それまでくまなく晴れ渡っていた夜空がにわかにかき曇り、一群の黒雲がムクムクとわきおこって、月を完全に覆い隠してしまった。

大森盛長 おぉ、来よった、来よった!

やがて、雲の中から例の声が響き渡った。

楠正成の亡霊 おーい、大森はん、おるかぁ?!

大森盛長 おぉ、待ってたでぇ!

楠正成の亡霊 今日はわしはな、勅使の身分で来てんねんぞ。こないだわしが言うてた例の刀、「それ、はよこっちに渡さんかい!」との先帝陛下よりの命令書(注2)、持ってきてんねんぞぉ。

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(訳者注2)原文では、「綸旨(りんじ)」。
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盛長は、楠正成霊の言葉を全く意に介する風はない。庭へ立ち出でていわく、

大森盛長 今夜ぐらいにきっと、あんたがまたやって来よるんじゃろ、思ぉてな、宵のうちからじっと待っとったんよ。

楠正成の亡霊 ほう、そうかいや。

大森盛長 さっきまではな、「楠正成の亡霊? ふふん、笑わせるな、そんなん、口からでまかせじゃろう。どこぞの天狗(てんぐ)かなんかが、正成の名前を騙(かた)って、おれにちょっかい出しとるんやろう。えぇい、かまわん、問答無用で討ち取ってしもたれ」と、思うとったんよ。そやけど、「先帝よりの命令書を持参」とあっては、あんたは本当に、楠正成殿の亡霊なんじゃろうな。わしにもようやく納得いったわ。

楠正成の亡霊 ・・・。

大森盛長 こないな事は、よけいな事かも知れんけどのぉ、まだまだ不審な点がいっぱいや。ひとつ、わしが完全に納得行くように、答えてくれんかの。

楠正成の亡霊 いったい、なんじゃい?!

大森盛長 あんたといっしょに大勢来てなさるお方ら、いったいどこのどなたはんじゃ? それともう一つ、あんたは、六道(ろくどう)四生(ししょう)(注3)の中の、いったいどこの辺に、今、おるんじゃ?

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(訳者注3)「六道」とは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の6つの世界。「四生」とは、胎生(哺乳類のように胎内から生まれる)、卵生(鳥類のように卵から生まれる)、湿生(昆虫類のように湿気の中から生まれる:当時はこのように考えられていたらしい)、化生(諸天のように忽然と生まれる)。
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楠正成の亡霊は、庭の前の蹴鞠コートの片隅に立つ柳の梢のあたりまで下ってきた。

楠正成の亡霊 よぉし、ほならな、今日ここに来てる主要メンバーを紹介したるわい・・・まずは、先帝陛下、それから、護良親王(もりよししんのう)、新田義貞(にったよしさだ)、平忠正(たいらのただまさ:注4)、源義経(みなもとのよしつね:注5)、平教経(たいらののりつね:注5)、それにこのわし、楠正成、以上計7人や。その他のもんらまでは、わしゃとてもよぉ紹介しきらん。

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(訳者注4)平安時代の保元の乱の際に、崇徳上皇方について敗れ、斬罪に処せられた人。

(訳者注5)平家物語に登場の二人。
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大森盛長 先帝陛下は、普段は、どこの世界におられるんじゃ?

楠正成の亡霊 陛下はもとはといえば、マケイシュラ王(注6)の生まれ変わりやからな、今は元の姿に戻らはって、六天世界(ろくてんせかい:注7)に住んだはる。

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(訳者注6)大自在天(第18天)の主。

(訳者注7)四天王天、トウリ天、ヤマ天、トソツ天、楽変化天、他化自在天。
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大森盛長 その他のメンバーは、どないな姿になっとるん?

楠正成の亡霊 全員、阿修羅王(あしゅらおう)の家来になってな、ある時は帝釈天(たいしゃくてん)と戦い、ある時は人間界に下って、怒りの念がキツーイ人の、その心中に入り込んどるんじゃい。

大森盛長 では、あんたは今、いったいどないな姿になっておられるんじゃ?

楠正成の亡霊 わしか、わしはなぁ・・・この世を去る時の今わの際の悪念が足かせになって、どうしても成仏できんとからに、今や、千個の頭を持つ鬼となり、七個の頭を持つ牛に乗ってるわいな。

大森盛長 ふーん?・・・。

楠正成の亡霊 どうしても疑わしい言うんやったらな、何もかも見せたろかい。さぁ、じっくりオガみぃ!

にわかに、14、5本もの松明がサッと翳(かざ)され、虚空の中にいる異界の者たちの姿を、鮮明に照らし出した。

まず、一片の雲の中に、12人の鬼が、先帝の乗る美しい輿をかついでいるのが見えた。

それに続いて、八龍王が引く車が見えた。その車中の人はまぎれもなく、護良親王である。

新田義貞は、3,000余騎を率いて前陣に進み、源義経は、甲冑に身をかためた数100騎を率いて後陣を支える。その後には、平教経が300余隻の軍船を雲の波間に推し浮かべ、平忠正も平氏のシンボルの赤旗を一本風に靡かせながら、後陣に控えている。

それらのグループから遥かに隔たった位置に、楠正成の姿が見えた。その様は、湊川(みなとがわ)の戦の時と全く同じ、紺地錦(こんぢにしき)の直垂(ひたたれ)に黒糸威(くろいとおどし)の鎧を着し、その言葉の通りに、七個の頭を持つ牛の上に乗っている。

この他にも、保元(ほうげん)の乱、平治(へいじ)の乱で討たれた者たち、その後の争乱の中で滅んでいった源平両家の者たち、さらに、最近の元弘(げんこう)年間から建武(けんむ)年間にかけての戦の中で亡んでいった武士たち、世間にその名を知られた者らが全員、甲冑を帯し、弓矢を携え、虚空10里四方の空間をびっしりと埋めつくしている。

しかし、彼らの姿は、盛長の目にのみ幻のごとく映り、他の人たちには全く見えないようである。盛長は左右を顧みて、

大森盛長 おいおい、みんな、あれが見えんか!

大森家メンバーA え? いったい何が?

大森家メンバーB 殿はいったい何のこと、言うてなさるんじゃ?

やがて、風に吹き散らされる雲のごとく、それらの幻影は徐々に消え失せていった。楠正成の亡霊の声のみが、なおも虚空に響いている。

これほどの不思議を見せつけられたにもかかわらず、大森盛長は、なおも心動ぜず、

大森盛長 「目に病があると、空に花が乱舞す」っちゅうからのぉ(注8)・・・妖怪やバケモノの百匹や千匹見えたからって、別に、なんてぇこたぁないでぇ。

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(訳者注8)飛蚊症(ひぶんしょう)の事を言っているのかも?
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楠正成の亡霊 またまたぁ、そないなツヨガリを・・・ハハハハ。

大森盛長 たとえ、第六天の魔王どもが、ここに乗り込んできよったとしてもな、この刀、絶対に渡さんで! 「先帝の命令書を持参してきた」じゃとぉ、フーン! またまた例によって、手のひらを返すような朝令暮改の命令書じゃろう、そんなもん、いくら持ってきたって、何のキキメもないんじゃ。(注9)

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(訳者注9)建武新政当時の、後醍醐天皇の「朝礼暮改の綸旨政治」を皮肉っているのであろうか。
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楠正成の亡霊 オマエなぁ、言うてえぇ事と悪い事と、あるぞぉ!

大森盛長 さぁさぁ、あんたらみんな、とっとと六道世界へ帰りんさい! この刀は、将軍様へ進呈するけぇのぉ、いくら狙ぉてみても、ダメ、ダメ!

盛長は、言い捨てて、館の中に入ってしまった。

楠正成の亡霊 おいおいおいおい、大森盛長、よぉもヌケヌケと、大口たたいてくれたやんけ! 刀を足利尊氏んとこへ持っていくやとぉ、ワッハッハッハッハァ・・・たとえ、この伊予が京都と陸続きやったとしても、わしらの目をかすめて刀を持って行くんは、そうそうたやすい事ではないでぇ、ましてや、海上を行くとあってはなぁ・・・刀は絶対に京都へは届かへんでぇ! 途中で、ゼッタイに、わしらが奪い取ってやるよってになぁ。ワッハッハッハッハァ・・・。

亡霊たち一同 ワッハッハッハッハァ・・・。

亡霊たちは哄笑(こうしょう)しながら、西の方へ飛び去っていった。

それ以降、盛長は狂気に陥ってしまったかのようである。休む間もなく山を走り、水に潜る。ひっきりなしに太刀を抜き、矢を放つ。

これを憂えた大森一族が集まって相談した結果、盛長は一室に押し込められ、武装した者らが24時間、彼を警護する事になった。

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ある夜またもや、雷を伴った激しい雨風がやってきた。

警護の者I おっ、また例の楠の亡霊とやらが・・・。

突然、大森盛長の居室の方から、大音響が轟いた。

警護の者J おい、あれは!

警護の者K いかん、夜討ちじゃ! 障子を蹴破って押し入りよったぞ!

警護の者Kの足 ドドドド・・・。

警護の者L あの音のグアイだと、敵は数十人はおるでぇ!

警護の者Lの足 ドドドド・・・。

警護の者らは、あわてて太刀や長刀の鞘を外し、盛長のもとへ駆けつけた。

警護の者L 殿、殿ーっ!

警護の者K あれっ? 敵は?

警護の者L どこにもおらん・・・はて?

警護の者J 殿の姿も見えんでぇ・・・。

警護の者I げぇ! 天井、天井じゃ!

警護の者M ウァッ!

見れば、天井から、熊のような毛むくじゃらの長い手がすうっと伸びており、盛長の髻(もとどり:注10)をしっかと握りしめ、彼を宙づりにして、破風の口から運び去ろうとしていた。

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(訳者注10)髪を頭上で結び束ねた所。
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大森盛長 エイ! エーイ! エーイ!

盛長は、宙づりにされながらも例の刀を抜き、化け物の体の中心とおぼしき場所を3回突いた。

化け物 ギゥワァィーーーーン!

化け物は少し弱ったようである。盛長はその敵にムズと引き組んだ。両者はそのまま、破風から母屋の外に伸びた庇の上に転げ落ちた。

大森盛長 エイ! エイ! ウォェーイ!

盛長は、化け物をおさえつけながら、なおも7回、突きを入れた。

化け物 ウググググ、ギャフィー、ddddd、ギョフョィーーー・・・シュポッ!

急所を破られてついに力尽きたのであろうか、盛長の脇の下から、毬のようなものがスッと抜け出し、虚空を飛び上がっていった。

警護の者らは、梯子をかけて軒の上に上ってみた。そこには、牛の頭が一個転がっていた。

警護の者J これがもしかして、殿が言うてた、「楠正成の亡霊が乗っとる牛」の頭かのぉ?

警護の者K 正成の魂魄(こんぱく)が、この中に宿っとるんかもしれんでぇ。

その牛の頭を中門の柱に結わえつけたが、終夜、物音をたてながら動き回る。始末に負えないので、コナゴナに打ち砕いて水底に沈めた。

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その次の夜も、月が曇り強風が吹きすさびだした。

母屋の別棟に詰めている警護の者たちは、

警護の者I またまた今夜も、雲ゆきが怪しくなってきよったのぉ。

警護の者J 連中、今夜もやってくるんやろうか。

警護の者K とにかく、夜明けまではゼッタイに眠ったらいけんよ。

警護の者L 眠気ざましに、囲碁か双六でもしながら番するかのぉ。

警護の者一同 おぉ、それがえぇで!

夜半を過ぎた頃、その百人余りの警護の者ら全員に異変が起った。

警護の者たち一同 アッ!・・・グーグーグーグー・・・。

みんな酒に酔ったような状態になり、頭を垂れて眠り始めた。その中で、正気を失っていないのはただ一人の僧侶のみ。

僧侶N あれっ? みんないったい、どないしたんじゃ?

怪物が天井に姿を現した。灯火の影の中から僧侶が見たもの、それは、巨大な蜘蛛の姿であった。

僧侶N あっ・・・。(カタズを呑みながら凝視)

巨大蜘蛛は、天井から糸を吐いて床上に垂らした。

蜘蛛の糸 ユアーン、ユヨーン・・・。

蜘蛛は、その糸を伝って床の上に降りてきた。

巨大蜘蛛 ツト・・・ツト・・・ツト・・・。(糸を伝って降りてくる音)

僧侶N ・・・。

蜘蛛は、眠りこんでいる警護の者らの体の上を、あちらこちらと這いまわっている。

巨大蜘蛛 サワサワ・・・サワサワ・・・サワサワ・・・。(這う音)

そして、再び天井へ上がっていった。

巨大蜘蛛 ツトー・・・ツッ・・・ツトー・・・ツッ・・・ツトー・・・ツッ・・・。(糸を伝って上っていく音)

やがて、盛長の寝室の方から、大声が。

大森盛長 おのれ、来たなぁ! えぇい!

寝室の方から轟く物音 ドタドタ・・・ドシャン、ガシャン、バチューン、バタバタ・・・ガラガラ、ガッシャーン・・・。

寝室で、猛烈な取っ組み合いが始まったようである。

やがて、盛長の方が不利な体勢になったのであろうか、助けを求める彼の声が響いた。

大森盛長 みんな、こっちへ・・・こっちへ早く来んかーっ!

警護の者M しまった、殿が危ないで!

警護の者L 早く殿のもとへ・・・あれっ・・・。

警護の者K 殿ぉー!

警護の者Kの身体 ドタッ(倒れる音)

みな驚いて起き上がろうとするのだが、髪を柱に結わえ付けられていたり、他人の手を自分の足に結わえられていたりして、体の自由がまったくきかない。まるで網に掛かった魚のようである。

僧侶N ナニがどないなっとる? みんな何しとるんや?

僧侶は走り出て、その場を見回した。

僧侶N アーッ、蜘蛛の糸で縛られとるわ!(注11)

いかに強力ぞろいの警護の者とて、これでは自由が効かないわけである。

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(訳者注11)巨大蜘蛛が天井に出現してからここに至るまでのシーンは、以下のように解釈すればよいのであろう。
 シーン1:巨大蜘蛛、天井に出現。
 シーン2:天井から下りてきて、警護の者らを糸で縛り付けた後、再び天井へ上がっていった。
 シーン3:次に蜘蛛は、大森盛長の寝室へ忍び入っていき、彼との格闘が始まった。
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大森盛長 化け物、取り押さえた、早(はよ)ぉ! 早、火ぃ持って来い!

警護の者らは、力をふりしぼって蜘蛛の糸を切って起き上がり、盛長のもとへ駆けつけた。

警護の者一同 殿ーッ!

警護の者らの足 ドタドタドタドタ・・・。

蝋燭を灯してみると、盛長が、化け物らしき物体を膝の下におさえつけている。物体は逃げ出そうともがいているのか、彼の膝が上下に揺れている。

警護の者I 逃がすな! それ!

警護の者全員、手に力を込めて、その物体をおさえつけにかかった。

化け物 パリ、パリ、パリーーン!

大きな素焼きの陶器が割れるような音がした。みんな、手をのけて、そこを覗き込んだ。

警護の者J ウァー!

警護の者K ア、ア、ア・・・。

そこには、髑髏(どくろ)が転がっていた。眉間(みけん)から片側は完全に砕けてしまっている。

大森盛長 フー・・・。

大きな吐息をついて、しばし心を静めた後、腰に手をやった盛長は、

大森盛長 いけん! 刀、刀!

彼の腰には、例の刀の鞘だけが残っていた。

大森盛長 アァー、やられてもぉたぁ・・・刀を奪(と)られてもぉたぞ・・・ウーン!

警護の者ら一同 ・・・。

大森盛長 ついに・・・ついに、やられてもぉたわ・・・妖怪に惑わされてなぁ・・・。万事休すじゃ・・・。今さら、いくらがんばってみても、もうどうしようもないで・・・。アァー!(天を仰ぐ)

警護の者ら一同 ・・・。

大森盛長 わしの命なんか、どうでもええんじゃ。将軍さまを守ろぉ思ぉて、がんばってきたのに・・・あー! わしはほんまに、ダメな男じゃのぉーっ!(涙)

青ざめながら涙を流し、ブルブルと体を震わせている盛長を見て、全員、身の毛のよだつ思いのまま、言葉もなく立ち尽くすばかりである。

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さらに夜は更け、有明けの月が中門の中を明るく照らしはじめた。

盛長は、簾を高く巻き上げて、庭を見つめていた。と、そのとき、

大森盛長 あ・・・。

光る球体が、空から庭の草叢(くさむら)の中に落下した。

大森盛長 あれはいったい?

庭に走り出て草叢の中を見てみると、先ほど皆で推し砕いた髑髏のもう片方が転がっており、例の刀が、その髑髏を柄(つか)の所まで深々と貫いていた。

大森盛長 おぁ、刀じゃ、刀じゃー! おぉい、みんなぁ、刀、戻ってきたぞぉー!

もはや、不思議という言葉さえも及ばないほどの、意外な展開である。

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警護の者I さぁてと、問題は、この髑髏、どないな風にして処分するかじゃなぁ。

警護の者J 火に投げ入れて、燃やしてみたら?

警護の者K よぉし!

さっそく火中に投じてみたが、髑髏は自動的に、そこから飛び出してくる。

警護の者L フー! まったくもう! 煮ても焼いても食えねぇとは、こういうヤツの事じゃのぉ。

警護の者一同 ワハハハ・・・。

警護の者M ツカミでしっかりつかんでの、逃げ出せないようにして、それでもって、完全に焼ききるんじゃ。

警護の者K よーし! ツカミ持ってこい!

警護の者L あいよ!

かくして、髑髏は、完全に灰と化した。

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大森盛長 もうこれで、化け物は来んでぇ。

大森家メンバーA えぇ? なんでぇ?

大森盛長 楠正成の亡霊が引き連れてきよったヤツらの数は6体、それと楠と合わせて7体じゃ。わしが襲われたん、今夜で7度目じゃけん、これでヤツらは全滅、(注12)ハイそれまーでーよ、じゃ、ワハハハ・・・。

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(訳者注12)ここで、「7回も襲われてないではないか」という疑問が生じる。しかし、上記の「それ以降、盛長は狂気に陥ってしまったかのようである。休む間もなく山を走り、水に潜る。ひっきりなしに太刀を抜き、矢を放つ。」の箇所において、大森盛長と亡霊たちのみに認知でき、他の者の目には見えないような戦いが数度展開されていた、と解釈すれば、矛盾は生じない。
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大森家メンバー一同 ふーん、そういうもんかねぇ。

その時、虚空に、しわがれた声が響いた。

声 おほほほ・・・うちらのメンバー、なにも7体とは限ってしまへんでぇ。

みな、驚いて空を見上げた。

蹴鞠コートの端の木の上に、直径4、5尺ほどもあろうかという巨大な女の頭があった。太く眉墨を描き、歯を黒く染めている。(注13)

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(訳者注13)原文では、「金黒(かねくろ)なる女の首」。化け物だから歯が黒いのではない、当時の上流階級の女性はみな歯を黒く染めていた。いわゆる「お歯黒(はぐろ)」である。
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女の顔は、乱れ髪を振り上げ、大笑いしながら、

声 きゃきゃきゃきゃ・・・みんなでそないにじっと見つめられたら、うち、恥ずかしいやおまへんかぁー。

顔はさっと後ろを向いた。

大森家メンバー一同 うぁーっ!

全員、恐怖のあまり、その場に倒れ伏してしまった。

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大森家メンバーA やれやれ、困ったのぉ。いったいどないして、化け物らの襲来を防いだらえぇんじゃろう。

大森家メンバーB 何かえぇ方法、ないんかいのぉ。

大森家メンバーC あぁいう連中らはな、蟇目矢(ひきめや:注14)の音を恐れるっちゅうで。

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(訳者注14)鏃の一種。中が空洞になっていて孔があり、射ると大きな音がする。
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大森家の者A よし、それでいけ!

さっそくその夜、警護の者らが蟇目矢を放って見た。

警護の者K いーくでぇー! エーイ!

蟇目矢 シャキーーーン、ヒュルヒュルヒュルヒュル・・・。

警護の者L どうじゃぁ! こわいじゃろうー!

虚空にはドッと笑い声が響く。

亡霊たち ワッハハハハハ・・・・。

次の夜も、

蟇目矢 シャキーーーン、ヒュルヒュルヒュルヒュル・・・。

亡霊O しゃきぃーーーん、しゃきぃーーーん!

亡霊P きゃいーーーん、きゅいーーーん!

亡霊たち ウワッハッハッハッハッハ・・・・。

かくして毎夜、虚空に哄笑湧き起こり、天まで響く。

大森家メンバーA あぁかんのぉ・・・。

大森家メンバーB あいつら、ぜーんぜん、ビビットらんでぇ。

大森家メンバーC うーん、効き目無かったかぁ。

大森家メンバーA 何か、他の方法、考えんとなぁ。

大森家メンバーD 陰陽師(おんみょうじ)はどうじゃ? 妖怪ロックアウトの術をかけさせるんじゃ。

大森家メンバーA えぇい、もうこうなったら、陰陽師、ゴーストバスター、何でもありじゃ!

さっそく、陰陽師に符を書かせて門々に貼り付けた。しかし、透明人間が毎度やってきては、それを剥がしていってしまう。

大森家メンバーA マイッタのぉ・・・。

大森家メンバーB ウーン・・・。

大森家メンバーC いったい、どうしたもんかいのぉ・・・。

そこへ、大森家に縁のある一人の僧侶が来ていわく、

僧侶Q 毎晩現れよる悪霊(あくりょう)らはみな、自らを称して、アシュラ王の眷族(けんぞく:注15)であると、言うとるんじゃろう?

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(訳者注15)家来。
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大森家メンバーA はい。

僧侶Q じゃったらの、これを静めるには、大般若経(だいはんにゃきょう:注16)の読経がベストじゃ。

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(訳者注16)「大般若波羅密多経(だいはんにゃはらみたきょう)」の略。般若心経(はんにゃしんぎょう)はこれの要約である。
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大森家メンバーB そりゃ、いったいどういうわけで?

僧侶Q 帝釈天(たいしゃくてん)は、常にアシュラ王を相手にな、シュミ山(せん)の中央で合戦をしとられるんじゃ。帝釈天が勝利された時には、アシュラ王は、体を縮小して蓮根の孔の中に身を隠す。アシュラ王が勝った時には、彼はシュミ山のいただきに座し、手に太陽と月を握り、大海中に足を踏みしめる。それからさらに、アシュラ王は、帝釈天の本拠地たるトウリ天まで駆け上り、帝釈天をそこから追い落とし、人間世界の衆生を完全に自らの支配下に収めんとする。その時、仏教守護の諸天善神(しょてんぜんじん)は、天の法堂に集まり、大般若経の読経を開始する。するとたちまち、虚空から輪宝(りんぼう)下り、剣戟(けんげき)は雨と降り、アシュラ王の軍勢を寸々に割き切る。

大森家メンバーC ふーん・・・。

僧侶Q 戦い利あらざる時には、トウリ天を領したもう帝釈天でさえも、大般若経の威力をもってアシュラ王を降伏(ごうぶく)される。いわんや、我らあわれなる凡夫(ぼんぷ)においてをや、じゃ。大般若経の偉大な力をお借りしてしか、やつらを退治する事はできんじゃろうよ。

大森家メンバー一同 なるほどなぁ。

さっそく、僧侶集団を招いて、大般若経の真読(しんどく:注17)を日夜6部ずつ行ってもらった。

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(訳者注17)以下、「仏教辞典」(大文館書店)より引用。

 「真読 経典の紙をぱらぱらと翻じて、読誦するに代えるを轉読と言うに対し、その文句を逐次に拾い読むをいう。」
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その読経の威力により、アシュラ王は勢力を失ったのであろうか、5月3日の暮れ方、導師(どうし)が高座の上で鉦(かね)を打ち鳴らすやいなや、にわかに天はかき曇り、雲の上に車が進み馬が馳せ違う音がしきり。鏃が甲冑を貫く音が雨のごとく続き、剣戟を交える光が星のように輝く。

全員、肝を冷やしながら天を凝視する。

やがて、戦いは終結した。雲上の物音がハタと止み、夕焼けが美しく空を染め始めた。

それ以来、大森盛長は狂乱から回復し、楠正成の魂魄(こんぱく)は、彼の夢の中にすらも現れなくなった。

この大般若経真読の功力(くりき)により、吉野朝側に力を添えようとしていた楠正成の亡霊はついに静まった。それゆえに、脇屋義助(わきやよしすけ)、大館氏明(おおたちうじあきら)をはじめ、土居(どい)、得能(とくのう)に至るまで、あるいは死亡し、あるいは腹を切り、吉野朝側勢力は壊滅状態となってしまったのである。

古代インドの班足王(はんぞくおう)は、仁王経(にんのうきょう)の功徳によって千王(せんおう)を害する事を止め、わが国の楠正成の霊魂は、大般若経講読(こうどく)の結縁(けちえん)により、ついに三毒からの解脱を遂げた。まことにこの経典こそは、鎮護国家のための諸経中の最高、人民を利益(りやく)せしめんがための肝要であるといえよう。

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その後、大森盛長は、例の刀を「天下の霊剣」として、詳しい報告を添えて、足利家に贈り届けた。

刀を受け取った足利直義(あしかがただよし)は、

足利直義 ふーん・・・これが、その問題の刀か・・・。

鞘から刀を抜き、しげしげと眺めながらいわく、

足利直義 大森盛長の言ってきたその報告が真実だとしたら・・・これは実にすごい事だよなぁ、いやぁ、まったく・・・。この末法の世にも、そのようなみ仏の偉大なる力が示される事もあるってことだなぁ・・・いやぁ、まったくもって・・・。

直義は、その刀を上部だけ作り直させ、小竹(こたけ)と共に賞玩(しょうがん)したという。(注18)

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(訳者注18)原文には、「上を作り直して、小竹作(こたけつくり)と同じく賞玩せられけるとかや」とあるが、意味がよく分からない。「小竹作」という名前の別の刀と共に、その刀をも大事にした、という意味であろうか?
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世間の声R 伊予の海岸の砂中に埋もれて久しく、

世間の声S かつての姿を失ぉてしもてた、この、いわくありの刀、

世間の声T 大森盛長のその報告と共に、京都にやって来て、

世間の声U 足利直義様の手によって、再びかつての輝かしい姿を取り戻したんやなぁ。

世間の声V ほんまに、ほんまに、不思議な話やなぁ。

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