太平記 現代語訳 17-2 京都、再び戦火の渦中に
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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6月5日から20日にかけての比叡山攻防戦において、死傷した者の数はおびただしかった。
その戦の結果、足利軍は比叡山の東西双方の山麓から追い立てられ、戦場から退いた武士たちは、京都の中に踏みとどまることもかなわず、十方へ逃亡。かくして、京都内の防備も極端なまでに手薄となってしまい、足利サイドは、「これは、いかがしたものであろうか・・・」と、青くなってしまっている。
この時、天皇サイドがそく、京都を攻めていたならば、足利サイドは到底、持ちこたえることはできなかったであろう。しかし、天皇サイドにおいては、内部の意思統一がなかなか出来ないままに、空しく10余日が経過、その間に、京都周辺に逃亡していた足利サイド勢力は、再び士気を回復して京都に帰還し、その兵力は回復。
このような情勢の変化を全く把握しないままに、天皇サイドは、「京都内の敵側兵力、手薄なり!」との情報だけでもって、6月末日、10万余騎を二手に分けて、今路(いまみち)と修学院(しゅがくいん)から、京都に押し寄せていった。
足利尊氏(あしかがたかうじ)は、わざと少ない兵力でもって鴨河原へ繰り出して、矢を少しだけ放たせた後、退却、との作戦を立てていたのだが、千葉(ちば)、宇都宮(うつのみや)、土居(どい)、得能(とくのう)、仁科(にしな)、高梨(たかなし)の軍勢が、緒戦の勝利に乗じて、京都中心部まで足利軍を追撃。
それに対して尊氏は、相手をぎりぎりの地点まで引き付けた上で、東寺(とうじ)から、軍勢50万騎を繰り出し、京都の街中を走る南北東西の小路(こうじ)を使って、臨機応変の布陣を取らせ、天皇軍を東西南北に分断、四方に当たり八方に囲み、一騎残らず討ち取れと、戦闘を展開。
天皇軍側は、あっという間に、戦死者500余人、比叡山西山麓目指して、撤退。
このようにして、足利サイドは再び勢力を盛り返し、天皇サイドは力を落とし、というわけで、またまた、双方互角の形勢に戻ってしまった。
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その後しばらくは戦闘も無かった所へ、二条師基(にじょうもろもと)が、北陸方面から敷地(しきじ)、上木(うえき)、山岸(やまぎし)、瓜生(うりう)、河嶋(かわしま)、深町(ふかまち)以下の3000余騎を率いて、7月5日、坂本(さかもと:滋賀県・大津市)へ到着。
大いに意気上がった天皇軍は、7月18日、再び京都に軍を進めた。
天皇軍リーダーA 前回は、京都中心部を超えて、はるか南方の東寺まで攻め寄せてしまったので、小路をうまく使って前後左右から攻めかかってくる敵軍を防ぐことができなかったし、相手の陣を破ることもできなかった。だから今回は、軍を二手に分けて、第1軍は、二条大路(にじょうおうじ)を西へつっきって北野(きたの)のあたりまでかけ抜けた後、大宮大路(おおみやおうじ)を南下する。第2軍は、鴨川ぞいに河原を南進する。その後、東西双方から京都中心部に向けて、挟み撃ちの火攻めを敢行するのだ!
ところが、天皇サイドのいかなる野心の者が、足利サイドに通報したのであろうか、この作戦はたちまち、足利サイドの知る所となった。
足利尊氏 よし・・・では、我々の布陣、以下のようにしよう。60万騎の兵力を3手に分ける・・・。
足利軍リーダー一同 ・・・。
足利尊氏 まず第1軍、兵力20万騎。東山および七条河原一帯に配置・・・。この第1軍は、河原を南下してくる敵勢力を、東西から包囲せよ。
足利尊氏 次に第2軍、これも兵力20万騎。船岡山(ふなおかやま)の麓から、神社総庁(注1)の南方にかけて配置・・・。北野方面から進んでくる敵軍を包囲せよ。
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(訳者注1)原文では、「神祇官」。
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足利尊氏 残るは兵力20万・・・西八条(にしはちじょう)から東寺の本陣の前面にかけて配置・・・つまり、予備軍だ。我が方のどこかの方面の陣が破れた時に、援軍を差し向けるためのな。
足利尊氏 軍の配置については以上。よろしいかな、諸君!
足利軍リーダー一同 ははっ!
翌、18日午前6時、天皇軍は、北白川(きたしらかわ)、八瀬(やせ)、薮里(やぶさと)、一乗寺下松(いちじょうじさがりまつ)、修学院(しゅがくいん)一帯に押し出した後、東西二手に兵を分けた。
新田一族が率いる5万余騎は、糺森(ただすのもり)を南に見て、紫野(むらさきの)経由で北野方面へ。
一方、二条師基、千葉、宇都宮、仁科、高梨が率いる軍は、真如堂(しんにょどう)の前を西へ進み、鴨川の河原まで出て、そこから南に進んだ。その軍に所属している足軽(あしがる)たちは、本隊に従い走りながら、京都中の民家数百箇所に放火して回った。猛火は天に満ち広がり、風に乗った黒煙は四方を覆う。
鴨川の五条河原で、両軍の戦端が開かれた。射る矢は雨のごとく、剣戟(けんげき)は稲妻(いなずま)のごとし。
やがて、北野方面でも戦闘開始。右近馬場(うこんのばば)の東西、神社総庁の南北に、汗馬(かんば)の馳せ違う音、トキの声が入り混じり、百千もの雷が大地を打つかのようである。
やがて、五条河原方面の戦場で、天皇軍は敗北し退却。これに力を得た北野方面の足利軍は、新田義貞の軍勢を十重二十重(とえはたえ)に包囲し、おめき叫んで攻め戦う。
しかし、新田軍の兵らは、臨機応変・百戦錬磨、混戦乱戦おてのもの、一挙に百重(ももえ)の囲みを解き、たった一人も討たれることもなく、追撃する足利軍に反撃を繰り返しながら、比叡山へ退却していった。
天皇軍メンバーB (内心)それにしても、今回の戦・・・どうも、こちらの作戦、敵側につつぬけになってたような気がして・・・。
天皇軍メンバーC (内心)古代中国の武経七書の中に、こんな事、書いてある、
「将の立てし作戦 敵側にもれ出(いず)る時には 軍(いくさ)に利無し」
「自軍の中に敵に内通する者ある時には およそ リスクマネジメントは不可能なり(注2)」
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(訳者注2)原文では「禍不制」。
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天皇軍メンバーD (内心)この比叡山の中に、足利と内通してるヤツがいやがるとは・・・。
天皇軍メンバーE (内心)内通してるの、いったい誰? こんな事になってきちゃったら、お互い信用おけなくなってくる。
天皇軍メンバーF (内心)もしかしたら、あいつかな?
天皇軍メンバーG (内心)あいつのこと、信用してていいのかなぁ?
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