太平記 現代語訳 28-3 高師泰、石見へ遠征

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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石見(いわみ:島根県西部)国よりの使者 申し上げます! 石見国住人・三角兼連(みすみかねつら)が、足利直冬(あしかがただふゆ)の命に従い、石見の国中を席巻(せっけん)、荘園を横領しまくり、逆威(ぎゃくい)をほしいままに振るっております!

高師直(こうのもろなお) はぁー、さいですかいなぁ。そりゃまた、ミツマタ、どんならしまへん事ですじゃん(ニヤニヤ)。

高師泰(こうのもろなお) おいおい・・・あのなぁ、こういうのを甘く見ちゃダメなの! やつらの勢力が大きくなっちまわねぇうちに、さっさと退治しとかにゃぁ。よし、おれが、ちょっくら行ってくらぁ!

高師直 はいはい、じゃぁ、お願いしますどす。

高師泰 なぁに、現地へ行ってな、ババッとやって、ビビッとやってやりゃあ、もうそれでバタバタってカタついちまうんさ。どうってこたぁねぇやな。

高師直 ・・・(ニヤニヤ)。

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師泰は、6月20日に京都を出発、途中続々と合流してくる軍勢を従えて、石見へ向かった。

7月27日の暮れ方、江川(ごうのがわ:島根県西部を流れる)の岸に臨み、対岸の敵陣を見渡した。

高師泰 ふーん、あれが例の、佐和善四郎(さわぜんしろう)がたてこもってやがる城かい。

眼前には三つの城が望見された。その名は、「青杉城」(あおすぎじょう:島根県・邑智郡・美郷町)、「丸屋城」(まるやじょう:美郷町)、「鼓崎城」(つづみがさきじょう:美郷町)。各城の間の距離は、4ないし5町ほどであろうか。聳(そび)え立つ三つの山の上に城があり、その麓には、大河・江川が流れている。

やがて、佐和軍300余騎が、城から下りてきて、対岸に展開した。

佐和軍メンバー一同 おぉーい、そこのコシヌケどもぉー、とっととこっちへ、渡ってこんかぁーい!

佐和軍側の堅い守備態勢を見ては、うかつに手も出せず、高軍2万余は川端に立ちつくす。

どこかに適当な渡河地点がないものかと、各自、目を見やるのではあるが、眼前を流れる江川は、中国地方の深山の雲を分けて流れ出てきた大河、両岸に聳え立つ山々に生える松や柏(かしわ)の緑影を映して、流れ下る急流は、大きな山をも押し流してしまうかと思われるほどの激しさである。石や岩の間を縫って流れ下る水流は、至る所で高く水しぶきを上げ、まるで白雪が翻(ひるがえ)っているかのようである。

高軍リーダーA こりゃぁ、あんまりあせらん方がいいですな。もうちょっと川の中の状態をよっく調べてみてからね、渡河を決行した方がいいと思いますよ。

高軍リーダーB おいらも同感ですわ。なんせ、この川がどんな状態なのか、誰もまだよく解ってませんしねぇ。

高軍リーダーC 功をあせってこんな激流に飛び込んでですよ、あげくの果てに水に溺れ・・・いやいやぁ、そんなの願い下げってもんですわさ。勇ましい格好ばかりつけたってね、「結局のとこ、オレっていってぇなんのために、京都からはるばる、ここまで来たのかねぇ?」てな事になっちゃうでしょ?

高軍リーダーD そうですよぉ。それに、もう日も暮れかかってますしねぇ・・・夜になって、敵が目が利かねえようになってからね、水泳達者の連中をたくさん川に飛び込ませてね、そいでもって、浅瀬を探させて・・・でもって、明日、そこを渡河するってセンでどうです?

高師泰 うーん、そうだなぁ・・・それがいいかもなぁ・・・。

300余騎を率いて最前線を進んでいた森小太郎(もりのこたろう)と高橋九郎左衛門(たかはしくろうざえもん)いわく、

森小太郎 あんたら、いったいナニ弱気な事、言うとるんじゃぁ! 治承(じしょう)の源平合戦の足利又太郎(あしかがまたたろう)見てみぃ! あの宇治川(うじがわ:京都府・宇治市)の急流を渡った時、又太郎は、まず浅瀬を探してから渡りよったんかいのぉ?

高橋九郎左衛門 承久(じょうきゅう)の乱の時だって、そうじゃぞぉ。柴田橘六(しばたきちろく)は瀬田の供御(くご)の瀬を渡りよったが、あんときも、浅瀬探しなんか一切しよらんかったわ。いきなり川にザブンじゃ。

森小太郎 あんたら、よぉ考えてみんさい。敵があないして対岸に出てきよったの、あれいったいなんでかのぉ? それはな、ここが絶好の渡河地点じゃからよ。わしらにここ渡れられちゃいけん、なんとかして防がにゃってんで、あないして、わしらの目ん前に出てきよったんじゃが。

高橋九郎左衛門 とにもかくにものぉ、この川の事は、ここにいる中じゃ、わしら二人が一番よぉ知っとんじゃけん、まずわしらが先頭切って、この川渡ってやるけぇのぉ!

森小太郎 みんな、わしらに、ちゃぁんとついて来(き)んさいよ!

高橋九郎左衛門 ほな、行くでーっ!

森小太郎 おおーっ!

二人は、真っ先切って川に馬を飛び込ませる。二人の郎等300余騎が、それに続く。さらに、三吉一揆(みよしいっき)武士団200余騎が、サット一斉に、馬を川に打ち入れる。全員、弓の両端を互いに手に握りながら一団となって川中を進んでいく。連なる馬は流れをせきとめ、続々と対岸に駆け上がっていく。

高橋九郎左衛門 それ行けーッ!

森小太郎 カカレー!

森軍・高橋軍・三吉一揆軍メンバー一同 ウオオオーー!

佐和軍側は、しばらくは防戦を試みたが、散々に掛け立てられ、後方の山城に退却していった。

森軍・高橋軍・三吉一揆軍は、勢いにまかせて佐和軍を追撃し、そのまま、城へなだれ込もうとした。

その時、三つの城の木戸がサッと開かれ、佐和軍が一斉に反撃に転じてきた。前後左右から攻城側を包囲し、矢の雨を降らせる。

森軍・高橋軍・三吉一揆軍はたちまち、100余人が重傷を負い、投石機(注1)によって次々と倒されていく。

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(訳者注1)原文では、「石弓」。
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彼らの後に続いて渡河した高師泰は、それを見て、

高師泰 あいつらを死なせちゃいかんぞ、みんな、あれに続けーッ!

山口七郎左衛門(やまぐちしちろうざえもん)、赤旗一揆(あかはたいっき)武士団、小旗一揆(こばたいっき)武士団、大旗一揆(おおはたいっき)武士団が、1,000余騎でもって城に攻めかかっていく。

この新手の大軍に攻め立てられて、佐和軍側は全員、城に引きこもってしまった。高サイド全軍は、逆茂木(さかもぎ)のすぐ際まで迫り、盾を垣根のように並べ敷き、しばしの休息を取った。

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緒戦においてはこのように、高軍サイドが勝利を収め、相手を城内へ追い込んだ。

しかし、城の防備はまことにかたく、切り岸は高く切り立ち、城に打ち入る手がかりもなければ、攻め落す手だても無い。ただ徒らに、塀を隔て、盾を境に、矢戦に日を送るばかりの高軍である。

ある日、三吉一揆武士団中の、日頃より戦場で手柄をたてていたメンバー3、4人が寄り集まって、作戦会議を始めた。

三吉一揆メンバーE なぁなぁ、おまえら、どない思う、この戦?

三吉一揆メンバーF うーん・・・はっきり言って、このままじゃ、やべぇのぉ。

三吉一揆メンバーG あの城の守りを見る限り、この調子で攻めてたんじゃ、いつまでたっても城は落ちんぞ。そのうち、こっちの食料が尽きてしまうが。

三吉一揆メンバーH それにの、わしらの敵は、あの城だけじゃねぇんじゃよの。備中(びっちゅう:岡山県西部)、備後(びんご:広島県東)、安芸(あき:広島県西部)、周防(すおう:山口県南部)、そこら中に、足利直冬様に心を通わせとる者が、たっくさんおるっちゅうが。

三吉一揆メンバーE そいつらが、わしらの背後突いてきよったら、こりゃぁおおごとじゃがの。

三吉一揆メンバーF 目の前の数十箇所もの城の一つもよぉ落とせんままに、後方で敵に道を塞がれ、なんて事になってみぃ、たとえここに、樊噲(はんかい)や張良(ちょうりょう)がおったかて(注2)、一時(いっとき)も、もたんでぇ。

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(訳者注2)漢王朝の創始者・高祖の功臣。樊噲は武勇に優れ、張良は智謀にたけていた。
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三吉一揆メンバーG じゃ、どうすりゃいい? なにか、えぇ策あるんけぇのぉ?

三吉一揆メンバーH ある! 一つだけな。

三吉一揆メンバーG なんじゃなんじゃ、いったいどんな策じゃ?

三吉一揆メンバーH 決まっとろうが、夜襲じゃ!

三吉一揆メンバーG ふーん、夜襲のぉ・・・。

三吉一揆メンバーE なるほど・・・ふぅん、ふん・・・案外、うまく行くかものぉ・・・。

三吉一揆メンバーH あの城を夜襲で落してな、敵の気力をイッキにそいでしまうんじゃ。そうすりゃ、京都におられる足利義詮(よしあきら)様も、意気あがられる事じゃろうて。

三吉一揆メンバーF よぉし、いっちょ、大将に提案してみるかのぉ。

この提案を受けた高師泰は、

高師泰 なるほど、夜襲なぁ・・・。おもしれぇ、いっちょうトライしてみようじゃん。おぉい、全軍の中から、腕のたつヤツ集めろぉい!

かくして、6,000余騎の中から(注3)、世にもすぐれたる精鋭コマンド部隊が選抜・編成された。

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(訳者注3)冒頭にはたしか「2万騎」とあったはず・・・ま、いいか、例によっての「太平記的アバウトカウント」だろう。
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その部隊のメンバーリストは、以下の通り。

足立五郎左衛門(あだちごろうざえもん)、その子・足立又五郎(またごろう)、杉田弾正左衛門尉(すぎただんじょうざえもんのじょう)、後藤種則(ごとうたねのり)、後藤泰則(ごとうやすのり)、熊井政成(くまがいまさなり)、山口新左衛門尉(やまぐちしんざえもんのじょう)、城所藤五(きところとうご)、村上新三郎(むらかみしんざぶろう)、村上彌二郎(むらかみやじろう)、神田八郎(かんだはちろう)、奴可源五(ぬかげんご)、小原平四郎(こはらへいしろう)、織田小次郎(おだこじろう)、井上源四郎(いのうえげんしろう)、瓜生源左衛門(うりうげんざえもん)、富田孫四郎(とだまごしろう)、大庭孫三郎(おおにわまごさぶろう)、山田又次郎(やまだまたじろう)、甕次郎左衛門(もたいじろうざえもん)、那珂彦五郎(なかひこごろう)ら、総勢27人の精鋭である。

彼らは全員、一騎当千のツワモノ、機転も利き、夜襲のベテラン。とはいいながらも、相手は1,000人規模の態勢で、用心きびしく城を守っているのである。とても、攻め落とせるとは思えない。

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8月25日の宵方から、「エイ、エイ」と互いに元気づけながら、コマンド部隊は集結。目じるしの明かりを手に持つ者を先頭に、順に列をなして、城の背後の山に分け入った。

深い山の中を、地を這い身を忍ばせながら、彼らは進んで行く。ススキやカヤ、篠竹(しのだけ)を切って、鎧の上部と兜の頂きにヒシと差して、身をカモフラージュ、鼓が崎城の切り岸の下、岩尾根の陰に伏す。

突然現れた彼らの気配に驚き、枯れ草を集めて寝ていた猪や、木の洞の中で寝ていた熊が一斉に飛び起き、やみくもに走り出した。

動物たちの足音 ドドドドドドド・・・ドサドサドサドサ・・・。

猪や熊たちは、2、30匹の集団となって、城の前の笹原を走り下っていく。

動物たちの足音 ドドドドドドド・・・ドサドサドサドサ・・・ザワザワザワザワ・・・。

佐和軍メンバーI おおーっ、敵襲だわ! 夜襲だわな!

佐和軍メンバーJ やっつけろ!

佐波軍側の弓 ビューーン、ビューン、ビューン、ビューン・・・。

櫓(やぐら)毎に、弓の弦音(つるおと)激しく、塀からは続々と投げ松明(たいまつ)が投じられる(注4)。

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(訳者注4)敵陣を照らすための松明。
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ほどなく、城内の興奮は静まっていった。

佐和軍メンバーI すまんすまん、夜襲じゃなかったわ。後ろの山から、熊が逃げだして、城の前を下っていきよったんだわなぁ。みんな、いっちょその熊、しとめてみんかや。

佐和軍メンバー多数 よぉし!

我先に、熊を射て取ろうと、弓を押し張り矢筒をしょって、300人余が城を飛び出していった。

彼らは、逃げ行く熊の後を追って、はるか下の山麓まで下りていってしまい、城に残るは、わずか50余人となってしまった。(注5)

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(訳者注5)城を守らなければならない大事な時だというのに、いったいなんで、熊なんかを、のんきに追いかけていくのか、まったく、訳者には理解しがたい。これは本当に史実なのだろうか? あるいはこれもまた、太平記作者のフィクションなのであろうか?
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夜は既に明けた。木戸はみな、開いている。

コマンド部隊メンバーK よし、いくか!

コマンド部隊メンバー一同 オウッ!

天が与えたこのチャンス、何を躊躇(ためら)うことがあろうか、コマンド部隊27名は、太刀の鞘を外し、城内に突入した。

コマンド部隊メンバー一同 ウォーーーッ!

佐和善四郎 アヤッ!

城の大将・佐和善四郎とその郎等3人は、腹巻鎧を取ってすばやくそれを着用し、木戸口まで下りて、一歩も引かず戦い続けた。しかしついに、善四郎は膝に傷を負い、地に手をついて倒れてしまった。

3人の郎等は、迫り来るコマンド部隊の前に立ちふさがり、しばしの時間を稼いだ。彼らが防戦する間に善四郎は、自らの詰め所に走り入り、火を放ち腹を切って死んでいった。3人の郎等も、次々と倒れていった。

城にこもっていたその他のメンバー40人は、防戦を放棄し、青杉城へ落ちていった。熊狩りに行ってしまっていたメンバーたちは、熊を追う事もできず、城へ帰る事もできず、ちりじりばらばらになって落ちていった。

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守備側の中心的存在であった鼓崎が落城し、大将の佐和善四郎までもが討たれてしまったとあっては、もうどうしようもない。残りの2城も、それから1日のうちに全て落ちてしまった。

世間の声L それにしても、この鼓崎城にこもってた連中、ホント、情けねぇやなぁ。

世間の声M 彼らは、孫子(そんし)の兵法の一節を知らなかったんだろうな、「敵の伏兵、野にある時、空飛ぶ雁の群、列を乱す」。(注6)

世間の声N そぉどすなぁ。それさえ知ってはったら、なにも、熊さんなんか追いかけてて城を落すなんて事には、ならへんかったですやろなぁ。

世間の声一同 タハッ、大笑いだぜ、まったくもう。

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(訳者注6)「雁の行動を見てさえも、敵の伏兵の存在を察知できるのだから、ましてや熊が一斉に逃げ出したとあったら、敵の夜襲を当然察知すべきではないか、いったい何をやっているんだ」と言いたいわけである。後三年役(ごさんねんのえき)の時、源義家は、雁の列が乱れるのを見て、清原軍側の伏兵の存在を察知した、という話あり。
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その後、高師泰は、石見国の武士らを順(したが)えて、国中あちらこちらへ進軍。

攻めてこられたら落城は確実、と恐れを成して、三角に与(くみ)していた32箇所もの城はすべて、高軍が進軍する前から、守備する側が逃げ出してしまう。今や残るは、三角兼連がこもっている三隅城(みすみじょう:島根県・浜田市)ただ一つだけとなってしまった。

高師泰 うーん・・・この城は、難攻不落だなぁ。

高軍リーダーA いやぁ、じっつ(実)に、険しい地形のとこに建ってますねぇ。

高軍リーダーB 防衛、ビシビシかためてやがるでよ。

高軍リーダーC あのね、あんな城、何も無理に強攻しなくったって、いいじゃないですかぁ。もうこうなっちゃ、どっからも、あの城に援軍が来るあてがあるわけじゃなし。それにですよ、城の周囲は、我々サイドが完全に制圧しちゃってるわけでしょぉ? まぁ見ててご覧なって、城の食料、見る見る減っていきますわさ。

高軍リーダーD そうそう。あのカンジじゃぁ、さぁて、いったいいつまで、持ちこたえれるものかぁ。

高師泰 よし、じゃ、こうしよう、城の周囲四方の峰々に、向かい城を建てるんだ。でもって、2年かかってもいい、いや、3年かかってもいいからな、じっくり腰落ち着けてな、城をジュワーンジュワーンと、攻め続けてやるぞぉ。

高軍の包囲網の厳しさに、三隅城中の者たちは、ともすると士気も衰えがち。もはやどこにも、心の支えが無くなってしまった。

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(訳者注7)[観応の擾乱 亀田俊和 著 中公新書 2443 中央公論新社] 74P, 75P には、以下のようにある。

 「『太平記』では、師泰軍が一瞬で石見国内を制圧し、敵の本拠三隅城ただ一つを残し、ここも向城で厳重に包囲して城兵をさんざん苦しめたと描写されている。
  しかし実際の石見侵攻は、非常に難航したようだ。直義派の桃井左京亮が中国大将軍として三隅氏を支援したため(周防吉川家文書)、師泰は進軍を阻止された。
  一一月頃には、師泰が三隅城から撤退し、出雲国に落ち延びたとの噂が京都で流れている。九州では、安芸国に退いたとする情報も流れた(肥後阿蘇家文書)。事実、一一月一三日には直義派に属する岩田胤時が三隅城を包囲する師泰軍を攻撃し、一二月二六日に師泰を撤退させている(長門益田家文書)。
  要するに、師泰は九州に上陸して直冬と対決する以前に、石見国さえも突破できない有様だったのである。」
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