太平記 現代語訳 17-9 天皇軍メンバー、比叡山を後に
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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翌10月10日午前10時、天皇は、手輿に乗って比叡山を後にし、今路を西へ向かった。
恒良親王(つねよししんのう)は、戸津(とづ:滋賀県・大津市)経由で北に向かった。
天皇のお供(とも)をして京都へ向かったメンバーは以下の通り。
公家:吉田定房(よしださだふさ)、万里小路宣房(までのこうじのぶふさ)、御子左為定(みこひだりためさだ)、三条公明(さんじょうきんあきら)、坊門清忠(ぼうもんきよただ)、勧修寺経顕(かんしゅうじつねあき)、九条光経(くじょうみつつね)、甘露寺藤長(かんろじふじなが)、頭弁・範国(のりくに)。
武家:大館氏明(おおたちうじあきら)、江田行義(えだゆきよし)、宇都宮公綱(うつのみやきんつな)、菊池武重(きくちたけしげ)、仁科重貞(にしなしげさだ)、春日部家綱(かすかべいえつな)、南部為重(なんぶためしげ)、伊達家貞(だていえさだ)、江戸景氏(えどかげうじ)、本間孫四郎(ほんままごしろう)。
延暦寺衆徒:道場坊祐覚(どうじょうぼうゆうかく)。
これら総勢700余騎が、輿の前後に従った。
一方、恒良親王のお供をして北陸方面に落ちのびていった人々は、以下の通りである。
皇族:尊良親王(たかよししんのう)
公家:洞院実世(とういんさねよ)、洞院定世(とういんさだよ)、三条泰季(さんじょうやすすえ)、御子左為次(みこひだりためつぐ)、世尊寺行房(せそんじゆきふさ)、その子・世尊寺行尹(ゆきたか)。
武家:新田義貞、その子・新田義顕(よしあき)、脇屋義助、その子・脇屋義治(よしはる)、堀口貞満(ほりぐちさだみつ)、一井義時(いちのいよしとき)、額田為綱(ぬかだためつな)、里見義益(さとみよします)、大江田義政(おおえだよしまさ)、鳥山義俊(とりやまよしとし)、桃井義繁(もものいよししげ)、山名忠家(やまなただいえ)、千葉貞胤(ちばさだたね)、宇都宮泰藤(うつのみややすふじ)、宇都宮泰氏(うつのみややすうじ)、河野通治(こうのみちはる)、河野通綱(こうのみちつな)、土岐頼直(ときよりなお)、一条為治(いちじょうためはる)。
これに、延暦寺の衆徒も少々加わって総勢7,000余騎、地理に詳しい者を先頭に、親王の前後を囲んで北陸へと進んでいく。
尊澄親王(たかずみしんのう)は、船に乗って遠江(とうとおみ:静岡県中部)へ。
懐良親王(かねよししんのう)は、山伏に変装して吉野(よしの:奈良県・吉野郡)の奥へ。
四条隆資(しじょうたかすけ)は、紀伊(きい:和歌山県)へ。
中院定平(なかのいんさだひら)は、河内(かわち:大阪府東部)へ潜行。
その様はまさしく、かの中国・唐王朝の時代、哥舒翰(かじょかん)が安禄山(あんろくざん)に敗退し、玄宗皇帝(げんそうこうてい)が蜀(しょく)へ落ちのびた時、皇族や妃らがみな、美しいす足のまま、剣閣(けんかく)の雲の中を逃げ迷い、衣冠(いかん)を汚して、野道の草むらに逃げ隠れした時、そのままである。
天皇にお供する人A (内心)昨日、おとといまでは、苦しい日々が続いてはいたが、まだ希望の灯は、消えてなかった。
天皇にお供する人B (内心)忍耐の日々の末に、陛下の聖運は見事に花開き、われらも、錦を飾って京都へ帰還。
天皇にお供する人C (内心)京都にいた時には知らんかったような、あちらこちらの里、浦、山に、仮の宿を取りながら、見た事、聞いた事、
天皇にお供する人D (内心)つらかった事、苦しかった事、
天皇にお供する人E (内心)京都への帰還がかなった、その後は、
天皇にお供する人F (内心)何もかもが、えぇ思い出になるんやろぉなぁ、と、
天皇にお供する人G (内心)各々、自分の心を慰めてはいたんやったが、
天皇にお供する人A (内心)いまや、君臣父子、互いに万里の彼方に隔たってしまい、
天皇にお供する人B (内心)兄弟夫婦、十方に別れ行く。
天皇にお供する人C (内心)もはや、再会がかなう日も永遠に来いひんやろぉ(涙)。
天皇にお供する人D (内心)自分の身を置く所もないわ(嘆)。
天皇にお供する人E (内心)あの日、京都を出てからは、漂泊の日々を重ね、
天皇にお供する人F (内心)今、京都へ帰ると言うても、向かう先は敵陣の中。
天皇にお供する人G (内心)哀れなるかな、イの一番に殺されてしまう者、それはいったい誰?
天皇にお供する人A (内心)後になってから処刑されて、死者のカウントをアップする事になる者、それはいったい誰?
春秋の 廻りとともに
雁(かり)の群れは 南に飛翔し北に帰る
今 飛び行くあの翼に
大切なあの人への便りを 託す事も出来ないのか
じっと立ち尽くして 大空を眺める
東の空から 登った月は
西の地平へ 没していく
巡り行く あの天体に
あの人への思いを 託す事もできないのだ
じっと 暁の月を仰ぎ見る
(原文)南翔北嚮 難附寒温於春雁 東出西流 只寄瞻望於暁月
大江朝綱(おおえともつな)作のこの「別離の歌」の筆の跡、今は涙となって、人々の頬の上を流れ落ちるのであった。
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