太平記 現代語訳 17-8 後醍醐天皇、新田義貞に恒良親王を託す
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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それからしばらくして、新田義貞(にったよしさだ)ら親子兄弟3人が、3,000余騎を率いて御座所へやってきた。全員、心中に怒りを漲らせながらも、礼儀を忘れる事なく、階下の庭に袖を連ねて、並び座った。
後醍醐天皇は、普段よりも一段と顔を和らげ、
後醍醐天皇 義貞、義助、近ぉ寄れ。
新田義貞 ははっ。(平伏)
脇屋義助 ・・・。(平伏)
後醍醐天皇 (涙)いやなぁ、さいぜんからなぁ、貞満に、エライ言われてたんやわぁ。
新田義貞 陛下!
後醍醐天皇 そらな、貞満の言う事にも、一理はあるで。そやけどな、貞満、ちと、考えが浅すぎるわ。
新田義貞 ・・・。
後醍醐天皇 わが身の分際をはるかに超えた栄誉に酔いしれて、尊氏が、ついに朝廷を傾けようとし始めた時、わしな、思たんやわ、「義貞は尊氏とは親戚やし、きっと、あっちサイドにつきよんねんやろう」と。しかし、おまえは、源氏という氏族の繋がりを断ち切って、あくまでも義を貫く志堅固にな、傾く朝廷を助け、命を天に差し出してくれたんやわ。そないなおまえの事を、わしがおろそかに、思うはずないやろが、そやろぉ?
新田義貞 ・・・。(涙)
後醍醐天皇 わしは、思ぉた、おまえら、新田一族だけを国家の守りと頼んで、天下を治めよう、とな。今になってもな、それに、いささかの変わりもないでぇ。
後醍醐天皇 ただなぁ・・・(ハァー 溜息)天が定めたその時節が、未だ到来してへんのやなぁ・・・わが軍の兵士は疲れ、戦闘能力ガタ落ちやないかい。そやからな、ここは一旦謀って尊氏と和睦しといてや、捲土重来(けんどじゅうらい)のチャンスを、じっと待つのがえぇんかなぁ、とな、そない思ぉてやな、ほいで、京都帰還っちゅう事に、したんやがなぁ。
後醍醐天皇 この事、おまえにも前もって、知らしといた方がえぇかなぁ、とはな、思ぉたんやで、思ぉたんや。そやけどな、あんまり色々な方面にこないな機密情報もらすのも、相当問題ありやろぉ? どないな事で、外部へ漏れたりせんとも限らんやんかぁ。そないな事になってもたら、グアイ悪いよってに、おまえには、いざという時になってから伝えよぉ思ぉてな、そのままにしてたんやわ。
後醍醐天皇 そやけどなぁ、あないに、貞満にガンガン言われてしもぉてなぁ、ここはやっぱし、前もって、おまえにも一言伝えとくべきやったなぁと、後悔してるわ・・・あぁ、これはもう、ほんま、わしのミスやったしか、言いようがないわ。
新田義貞 ・・・。
後醍醐天皇 なぁ、義貞、おまえな、これから、北陸へ向かえ。
新田義貞 えっ?!
後醍醐天皇 越前国(えちぜんこく:福井県北東部)へは既に、川嶋唯頼(かわしまこれより)を派遣してるからな、きっとうまいこと、地元対策してくれてるやろう。それにな、気比社(けひしゃ:福井県・敦賀市)の神官らがな、敦賀津(つるがのつ:福井県・敦賀市)に城を築いて、こっち側につく、と言うてきてるんや。そやからな、まずは、あっち方面へ転進して、兵の気力を回復してな、北陸一帯を平らげた後、再度兵を起して、皇室守護の柱となってくれ。
新田義貞 はい!
後醍醐天皇 うーん・・・そやけどなぁ・・・わしが京都へ帰還した後、おまえは、朝敵の汚名を着せられてしまうかもしれんわな・・・よし、それを防ぐ為に、こうしょう、今日のうちに、恒良(つねよし)に天皇位を譲って、北陸へおまえと同行させるわ。
後醍醐天皇 義貞、これから後の天下の事、何もかも、おまえが取りしきってな、わしに仕えてくれたように、恒良を盛り立ててやってくれ。えぇか、頼んだで!
新田義貞 ははーっ!
後醍醐天皇 義貞、今日からわしはな、全ての希望をおまえに託すぞ・・・(涙をこらえながら)句践(こうせん)が受けたと同様の恥辱、何もかも堪え忍ぶ覚悟や。おまえも早いとこ、范蠡(はんれい)のように謀をめぐらして、わしをこの危機から救ぅてくれ!
新田義貞 陛下ぁーっ・・・う・う・う・・・。(涙)
堀口貞満 う・う・う・・・。(涙、涙)
怒っていた堀口貞満も、コワモテの関東武士たちも皆、顔を伏せて涙を流し、鎧の袖を濡らしている。
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かくして、9日は、皇位継承の儀、そして、京都帰還の準備にと、あわただしく暮れていった。
その夜更け、新田義貞は、密かに日吉(ひよし)社・大宮権現(おおみやごんげん:滋賀県・大津市)に参拝した。
義貞は、社前で祈願を込めた。
新田義貞 私は今日まで、神のお力におすがりして、日々を送ってまいりました。
新田義貞 私も武士のはしくれ、戦、すなわち闘争を生業とする者です。本来であれば、み仏には到底救っては頂けないような人間です。しかし、み仏は神に姿を変じて、このような私にも、久しく仏縁をつけてきて下さったのであります。
新田義貞 神仏よ、願わくば、私がこれから赴きます征路万里の彼方までも、擁護のおん眼差しをめぐらし下さり、再び大軍を起こして朝敵を滅ぼす力を、私にお与え下さいませ。
新田義貞 あるいは・・・不幸にも、私が命ある間には朝敵討伐がかなわぬというのであれば・・・もしそうだとしても、私は願わずにはおれません、我が子孫の中に必ず、朝敵討伐の大軍を起こすものが現われて、父祖のこの無念の思いを晴らしてくれますように、と!
新田義貞 この二つの祈願のうち、どちらか一方だけでもかなえて頂けますならば、私の子孫が永久に当社の檀徒となって、権現さまのご威光を輝かし奉る事を、ここにお誓い申し上げます!
義貞は、一心こめて祈りを込め、新田家累代の重宝の鬼切(おにきり)という太刀を、社壇の中に奉納した。
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