太平記 現代語訳 20-2 越後の新田勢力、越前へ向かう
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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越後国(えちごこく:新潟県)は、新田一族の本拠がある上野国(こうずけこく:群馬県)の隣国ゆえ、もともと彼らが勢力を増殖していた地であった。元弘年間以降、倒幕の恩賞として、越後は新田貞義(にったよしさだ)に与えられ、数年が経過する中、国中の地頭、御家人は、義貞の統治に従ってきた。
「新田義貞、既に越前を掌握し、京都へ攻め上らんとす」との情報に、大井田氏経(おおいだうじつね)、中条入道(なかじょうにゅうどう)、鳥山家成(とりやまいえなり)、風間信濃守(かざましなののかみ)、禰津掃部助(ねづかもんのすけ)、大田瀧口(おおたたきぐち)をはじめ、合計2万余騎の新田家・越後勢力軍は、7月3日に越後の国府(新潟県・上越市)を発ち、越中国(えっちゅうこく:富山県)へ侵入した。
越中国守護・普門俊清(ふもんとしきよ)は、国境付近でそれを食い止めようとしたが、兵力数において劣る普門側はその大半が討たれてしまい、松倉城(まつくらじょう:富山県・魚津市)へ引きこもった。
新田家・越後勢力軍は、これを放置して、すぐに加賀国(かがこく:石川県南部)へ入った。
富樫介(とがしのすけ)がこれを聞いて、500余騎の軍勢を率いて、安宅(あたか:石川県・小松市)、篠原(しのはら:石川県・加賀市)付近でこれを迎撃するも多勢に無勢、富樫側は200余騎が討たれてしまい、那多城(なたじょう:小松市)へ引きこもった。
新田家・越後勢力軍リーダーA 越中、加賀の2回の戦に、連勝しちゃったぁ。
新田家・越後勢力軍リーダーB 北陸地方の敵勢力なんか、恐れるに足らず。
新田家・越後勢力軍リーダーC このまますぐ、越前まで行っちゃおう!
新田家・越後勢力軍リーダーD いやいや、我々の最終目標は、越前じゃないよ、京都だろ? ここから京都までの間の地域は、これまでずっと戦続きだったんだから、住民たち、みんなスカンピンになってしまってるだろう。食料の調達なんか、とても無理なんじゃないかなぁ。
新田家・越後勢力軍リーダーA そうだよなぁ。しばらくは加賀に滞在して、これから先の食料を確保するとしようか。
彼らは、今湊宿(いまみなとじゅく:石川県・白山市)に10余日間、逗留した。その間、剣(つるぎ)や白山(はくさん)他の方々の神社仏閣に押し入っては、仏物(ぶつもつ)や神物(しんもつ)を略奪し、民家に押し入っては資材を強奪した。
先を読める人E あぁ、なんというけしからんことを・・・。「霊神、怒りをなせば即(そく)、災害、ちまたに満つ」というぞ。
先を読める人F 集団の悪行の果はすべて、その集団のトップにいる人の所に行くのではなかろうか・・・。
先を読める人G となると・・・新田義貞の対足利闘争も、この先いったいどうなることか。
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