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曖昧な思いと、ことばの間で揺れながら

やわらかく世界を包みこむように、雨が降りそそいでいる。

夜に聴く雨の音は遥か彼方から響いてくるように感じられ、目を閉じて音の粒子のひとつずつを味わっているうちに、いつしか眠りの中へとさらわれていった。

疲れている、という感覚はないのだけれど。
このところ、いつもよりも早い時間に眠ってしまう日々が続いていた。本の頁を開き、ことばの連なりを目で追えばそれは心地よい旋律となり、ほのかなぬくもりを指先に感じるうちに意味とともに意識が溶けてゆく。
読んでいるというよりも、ふれている、というべきか。
ことばの意味を捉えるのではなく、皮膚に残る凹凸おうとつや温度、耳に届く響きを捉えながら読んでいることがよくある。そして雨音に満たされる夜には、その感覚がよりこまやかになるのだ。


途切れゆく意識の中で手のひらにのせたひらがなはかろやかで、羽が生えているみたいだった。

そう思いながら見上げる空は晴れているのに琥珀糖のようなうっすらとした曇りを纏い、瑞々しさをその奥に湛えている。
内側から光を放つ雲は透明な誰かが刷毛でえがいたかのよう。繊細な裳裾をたなびかせながら、風と戯れる。

文章を綴るようになってから、よく空を眺めるようになった。
空に限らず、ただひたすら何かを見つめることが多くなったのだと思う。水面に光が揺蕩う様子、シロツメクサの香りを抱く空気の青さ、石鹸の泡にほんのわずかの間とどまる虹のきらめき。

何か大きな出来事があったときよりも、日常の中で小さな心の揺れを感じたときの方が、書き残しておきたい、と思う。
書き残したいという気持ちは、どこから来るのだろう。忘れなたくないから、それとも、自分の感情を理解したいから、なのだろうか。


ちゃんと話しなさい。
ことばにしないと、うれしいのか悲しいのか分からないよ。

子どもの頃、よくそう言われた。でも、うれしいとも悲しいともいえない気持ちは、どのように表現すれば良いのだろうとずっと考え続けていた。

たとえば、暗い緑色に凝っている感情があるとして、それを割り算をするようにことばでときほぐしてゆくと、青色と黄色が混ざってこの色になっていたのだ、ということが分かる。言語化することで自分自身の感情を客観的にみることは確かにできるけれど、すっきりと割りきれる答えには、わたしはあまり興味がないのだと思う。


むしろ、割りきれずに残ってしまう余りのほうに心惹かれる。
深く暗い青色の底、光に透かさなければ見えない淡い銀鼠の色に。

空が次第に暗くなり、静かに水の気配が広がってゆく。
傘の上で跳ねる雨滴の歌声を聴きながら歩いていると、視界の隅であざやかな紅が灯る。
傘を傾けて、色の方に視線を向けた。ひっそりとした家の門柱に、真紅の薔薇のアーチがかけられている。天鵞絨のような花弁に雨粒が散らばり、震えながら地にこぼれ落ちる。その澄んだ雨粒に花の色が溶け出すのではないか。思わず立ち止まって見つめてしまう。


ふと、色水のことを思い出した。
摘み取ったオシロイバナと水をビニール袋に入れて、おはじきに溶け込む色のような液体を夢中になってつくっていた遠い日の記憶。
薔薇の棘は指でつまんで取れる、ということを知ったのも確かその頃のことだ。ささやかな三角形のかけらの感触を指先で楽しんでいたとき、世界はことばで捉えるよりも前に、手でふれて確かめるものだった。

美しい、綺麗だ。
そんなことばを知る前のわたしは、この花の姿をどのような気持ちで見ていたのだろう。
見つめているうちに気がつく。きっと、曖昧なものを明瞭にする為にではなく、曖昧なものを曖昧なままに掬い上げる為に、わたしは書くことを求めているのだと。



うれしいと綴る前に、この思いは本当にうれしいと言えるものなのだろうかと、考えてしまう。
きっとわたしとあなたのうれしいは同じ感情ではない。昨日と今日のわたしではその思いの明度も彩度も違う、それでも…。
複雑に考えすぎているのではないか、浮かんだことばを素直に表に出せば良いのではないかと、ため息をつきたくなる日もある。


けれども、珈琲を淹れるとき、ふっくらと豊かな香りが花開くのを待つように、ことばにする手前でひと呼吸おく時間を大切にしたいから。

今はただ、そんなひとときのかけらが雲のように浮かび、かたちを変えてゆくのを静かに眺めていようと思う。


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夏樹 最後まで読んで下さり、ありがとうございます。 あなたの毎日が、素晴らしいものでありますように☺️

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