未来は当てずに、備える
補講で、変化の時代に戦略を固定しないための島を、二つ降りてきた。試して学ぶ創発と、速く反応するOODAだ。残った島が、一つある。読んで、備える島。シナリオプランニング、と呼ばれるものだ。今日は、そこを降りたい。
最初に、いちばん大事なことを言っておく。シナリオプランニングは、未来を、当てる手法ではない。
天気予報のように、一つの未来を予測して、当てにいく。それとは、違う。むしろ、未来は当たらない、という前提に立つ。当たらないなら、どうするか。起こりうる複数の未来を、先に描いておいて、どれが来ても動けるように、構えておく。当てるのではなく、備える。これが、シナリオプランニングの、芯だ。
未来を、二つの分け方で備える
備え方には、二つの分け方がある。図にすると、こうなる。

一つめの分け方は、どの未来が来るか、で分ける。集めた外部環境の変化を、二つの物差しで仕分ける。一つは、影響度。それが起きたら、自分の医院にどれだけ響くか。もう一つは、不確実性。それが、どっちに転ぶか、読めるか、読めないか。
この二つで仕分けると、扱いが、はっきり分かれる。人口の減少や、高齢化や、働き手の減少のように、ほぼ確実に来て、影響も大きいものは、どの未来にも共通する前提として、織り込む。これは、分岐させない。一方、感染症の波や、制度の改定や、近隣に競合が増えるか、オンライン診療がどこまで普及するか、のように、影響は大きいが、どっちに転ぶか読めないもの。ここを、複数の未来に、分岐させる。読めない大物こそ、いくつかの未来として、描き分ける。これが、シナリオプランニングの、核心だ。逆に、起きても響きが小さいものは、原則、深く扱わない。あれもこれもと広げると、また、量に圧倒されるからだ。
この手法は、もともと、ある石油会社が、一九七〇年代の石油危機を、来るかもしれない未来として事前に描いていたことで、乗り切ったことで、知られるようになった。誰も当てられなかった危機を、当てたのではない。来たときに動けるよう、備えていた。
二つめの分け方は、もっと身近だ。一つの未来の、その中での、振れ幅を構える。最良の場合、現実的な場合、最悪の場合。この三つを、思い描く。実は、これは、私が、日々の診療で、やっていることだ。
臨床で、すでにやっている
私は、内科で、腫瘍を診たり、高齢の方を診たりする。正直に言えば、必ずしも、うまくいく領域ではない。むしろ、思うようにいかないことのほうが、多い。
だから、診るとき、頭の中で、いちばん良い経過と、いちばん悪い経過を、両方、思い描く。そして、現実は、たいてい、その良いほうと悪いほうの、あいだのどこかに、収まる。最良だけを期待もしないし、最悪だけに怯えもしない。良いほうから悪いほうまでの幅を持ったうえで、現実的な真ん中を、見据えておく。
これは、経営でいう、三点法、ベスト・ベース・ワーストの、三つのシナリオと、同じことだ。そして、いちばん大事なのは、その真ん中、現実的なシナリオ(ベース)を、ちゃんと持っておくことだと思う。最良の夢でも、最悪の悪夢でもなく、いちばんありそうな現実を、地に足をつけて、見ておく。
二つの分け方は、別物ではない。前提ごと違う複数の未来に分け(一つめ)、その一つひとつの中で、最良から最悪までの幅を構える(二つめ)。これを重ねると、当てにいかずに、かなり広く、備えられる。
見たい未来だけ、描いていないか
ここで、刃が、自分に返ってくる。
複数の未来を描く、最良から最悪まで構える。言うのは、簡単だ。だが、正直に白状すると、私は、複数 描いたつもりで、心の中では、いちばん起きてほしい未来に、そっと、乗っている。来てほしい未来を、本命として重く扱い、来てほしくない未来を、薄く見積もる。最悪のシナリオから、目を、背けたくなる。
これは、奇妙なことだ。臨床では、私は、最悪の経過から目を背けない。むしろ、悪いほうを想定して、先に備える。それが、患者を守ることだと、知っているからだ。なのに、自分の経営の未来となると、つい、楽観に逃げる。医師としての自分は、最悪に備えるのに、経営者としての自分は、見たい未来ばかりを、上手に描く。同じ人間の中に、この、ねじれがある。
シナリオは、未来を当てるための道具ではない。自分が、見たくない未来を、無理にでも、直視するための、装置だ。そう考えると、私が描くべきは、起きてほしい未来ではなく、起きてほしくないが、起きたら大きい未来のほうだ。
過剰反応と、無視のあいだ
この、最悪にどう向き合うか、については、何度も読み返した本がある。最悪のシナリオに、人が、どう向き合うかを論じた、サンスティーンという法学者の『最悪のシナリオ』という本だ。
そこに、忘れがたい指摘がある。人は、最悪の事態に対して、二つの極端に、振れやすい。一つは、過剰反応。低い確率の恐ろしい事態に、パニックになって、過剰に身構える。もう一つは、完全な無視。怖いから、いっそ、見て見ぬふりをする。この、過剰反応か、無視か、という両極端は、実は、現場で、日常的に起きている。同じリスクを、ある時は大げさに怖がり、ある時は、まったく無視する。シナリオを描く意味は、その両極端の、ちょうど真ん中に、現実的な備えを、置くことにある。
そして、その本で、忘れていたが、大切な考え方が、もう一つ。予防原則、というものだ。取り返しのつかない、不可逆な損害のおそれがあるときは、科学的な確証が、完全には揃っていなくても、対策を先延ばしにしてはいけない、という構えだ。証拠が出そろうのを待っていたら、手遅れになる種類のことには、確証の前に、動く。これは、医療の安全とも、深く通じる。取り返しのつかないことには、白黒つく前に、備える。
ただし、ここにも、留保がある。サンスティーン自身が、慎重に言うのだが、予防には、予防のコストがある。あらゆる最悪に、最大限 身構えれば、本来できたはずのことまで、止まってしまう。リスクは、たいてい、トレードオフの関係にあって、片方を恐れて備えすぎると、もう片方の何かを、損なう。だから、答えは、最悪に過剰反応せよ、でもない。取り返しのつかないことには確証前に備え、しかし、備えすぎて動けなくならないよう、釣り合いを見る。怖がりすぎず、侮らず。
描いて、棚に上げない
最後に、留保を二つ。
一つ。シナリオは、悲観に振りすぎても、いけない。最悪ばかりを、いくつも描いて、不安に飲み込まれては、行動が止まる。シナリオに描く未来は、極端な空想ではなく、現実に起こりうる、地に足のついたものでなければならない。楽観と悲観の、あいだの、ありそうな幅。それを描いてこそ、備えになる。
二つ。シナリオは、描いて終わり、にしない。立派なシナリオを作って、満足して、棚に上げる。これが、いちばん、ありがちな失敗だ。前に、立てた戦略に立ち返らない、という話を、何度もした。シナリオも、同じだ。値打ちは、描いた紙にあるのではない。描く過程で、見落としていた変化に気づくこと。そして、来てほしくない未来の、最初の予兆を、早く察知できるよう、構えておくこと。その予兆が見えたら、棚から下ろして、動く。
そして、これは、大きな組織だけの手法ではない。本格的にやれば、手間も人手もかかる。だが、小さなクリニックでも、紙一枚で、できる。たとえば、働く世代を狙う、と決めたとして、五年後を、いくつかに分けて描いてみる。近隣の再開発で人が増える未来。逆に、近くに競合が増えて、奪い合いになる未来。オンライン診療が広がって、立地の良さが、効かなくなる未来。そのうえで、考える。どの未来でも効く備えは、何か。特定の未来でだけ効く備えは、どれか。
どの未来でも効くもの——それは、前に書いた、量産できない実質だ。信用や、関係や、診療の手触り。これは、どの未来が来ても、たいてい、効く。だから、未来が読めないときほど、その、どの未来でも効く土台に、力を注ぐ。そのうえで、特定の未来でだけ効く打ち手は、その未来の予兆が見えてから、動かせるように、構えておく。
未来は、当たらない。当てようとして、一つの未来に賭けると、外れたときに、立ちすくむ。当てるのではなく、いくつもの未来を、先に、頭の中で生きておく。最良から最悪までを見たうえで、見たくない未来からも、目を背けない。そして、どの未来でも効く土台を、地道に、積む。これが、読めない時代の、構え方だと思う。走りながら、考えていく。
【参照した文献・注記】
シナリオプランニングは、単一の未来を予測する手法ではなく、起こりうる複数の未来(シナリオ)を描いて、どの未来が来ても対応できるように備える戦略立案の手法である。確実性の高い変化は前提として織り込み、影響が大きく不確実性の高い変化を複数の未来に分岐させる(影響度×不確実性のマトリクス)。石油会社ロイヤル・ダッチ・シェルが1973年の石油危機の可能性を事前に想定して対応し、広く知られるようになった。予測・予言(未来を一つに断定すること)とは異なる点、現在の延長線上で考えない点が特徴とされる。
同じ前提のもとで結果の振れ幅を最良・基本・最悪に分けて検討する方法は、一般に三点法(ベスト/ベース/ワーストケース)と呼ばれ、最悪を直視して備える「防衛的悲観主義」に基づく。描く未来は現実に起こりうる(リアリスティックな)ものであるべきで、楽観と悲観のバランスが重要とされる。
最悪の事態に対して、人間が過剰反応と完全な無視という両極端に振れやすいこと、予防原則(取り返しのつかない損害のおそれには、科学的確証が完全でなくても対策を先延ばしにしない)の意義と、予防それ自体が持つ費用・トレードオフ(過剰な予防の問題)については、キャス・サンスティーン『最悪のシナリオ――巨大リスクにどこまで備えるのか』(原題 Worst-Case Scenarios、田沢恭子訳、齊藤誠解説、みすず書房)に拠る。予防原則の国際的な定式化としては、環境と開発に関するリオ宣言(1992)第15原則が知られる。
「量産できない実質(信用・関係・診療の手触り)」がどの未来でも効く土台になるという論点は、本シリーズ前回までの整理(資源ベース理論・模倣困難性等)に拠る。本稿の適用・解釈には筆者の判断を含む。
