褒めという承認
子供は親が褒めたことに向き合い出す
はじめに
子供は 親が何気なく口にした「上手だね」「えらいね」という一言に 驚くほど敏感に反応する そこには単なる評価を超えた「承認」の力が働いている 子供はまだ自己を確立しておらず 世界との関係を他者のまなざしを通じて構築している だからこそ 親の褒め言葉は「君はここにいてよい」「君はこのままで価値がある」という存在そのものの肯定として受け取られる そして子供は その褒められた方向へと自らを伸ばし始めていく 本稿では「褒め」という行為を 単なる教育技法ではなく 存在を承認する根源的な行為として捉え ヘーゲル ロールズ サルトルの思想を手がかりに考察する
1. ヘーゲル:承認の闘争と子供の自己意識
ヘーゲルは『精神現象学』において 自己意識は他者の承認を通じて初めて自己意識として成立すると説いた 主従関係の弁証法は有名だが そこに至る前の段階 つまり「承認を求める闘争」が重要である 幼児期の子供はまさにこの段階にいる 親は圧倒的な「他者」であり 子供はその視線の中で自分を確かめようとする 「お片付けが上手ね」と親が言うとき 子供は「片付けという行為を通じて 私は母(父)に認められた」と感じる この承認が繰り返されると 子供は「片付けをする自分」を自己意識の一部として内面化する 逆に 褒められない領域は「自分ではないもの」として疎遠になっていく ヘーゲル的に言えば 子供は親との承認関係の中で「自己」と「他者」の境界を学び 自己意識を獲得していくのである 褒めは 子供が「自分はここにいる」と実感する最初の鏡となる
2. ロールズ:自尊心の基盤としての承認
ジョン・ロールズは『正義論』において 自尊心(self-respect)を最も重要な一次的善と位置づけた 彼は「自尊心には二つの側面がある」と言う 一つは「自分の人生計画が価値あるものだと信じる気持ち」 もう一つは「自分の能力がその計画を実現できるという確信」である 親の褒め言葉は 子供の自尊心の土台を築く決定的な資源である 「絵が上手だね」と繰り返し言われた子は 「絵を描くことは価値あることだ」と信じ 「自分にはそれを実現する能力がある」と確信する 逆に 努力しても褒められない領域では、「ここに価値はない」「自分には能力がない」という無意識の結論が植え付けられる 興味深いのは ロールズが自尊心を「社会的基盤」として重視した点である 子供の自尊心は 家族という最初の社会の中で育まれる 親が何を褒めるかによって 子供は「社会が価値あると認めるもの」を学習する 過度に成績ばかりを褒める家庭では 子供は「人間的な価値は点数で測られる」と誤解し 自尊心が歪む危険がある
3. サルトル:他者の視線と自由の呪縛
ジャン=ポール・サルトルは『存在と無』において 他者の視線が自己を「対象化」すると論じた 「見られる」ことによって 私は自由な主体であると同時に 他者にとっての客体にもなる 子供にとって親の褒めは まさにこの「視線」の最も強烈な形である 「お話しするのが上手ね」と褒められた子供は 喜びと共に「話す自分」を演じ始める サルトル的に言えば 子供は親の視線の中で「話し上手な子供」という役を演じることで 自由を制限されつつも自己を確立していく これは「実存は本質に先立つ」というサルトルのテーゼと矛盾しない なぜなら 最初に「褒められた自分」として存在し、そこから「本当の自分」を後から作り上げていくからだ しかしここに危険もある 親の褒めが条件付きになると 子供は「褒められるために生きる」存在になってしまう 「良い子でいないと愛されない」という不安が 生涯の呪縛となる場合もある サルトルは「地獄は他者である」と書いたが 子供にとっての地獄は「褒めを失うことへの恐怖」かもしれない
おわりに:承認の本質的な両義性
子供は親が褒めたことに向き合い出す これは単なる心理現象ではなく 存在論的な出来事である ヘーゲル的に言えば承認の闘争の始まりであり ロールズ的に言えば自尊心の基盤の形成であり サルトル的に言えば他者の視線による自己の対象化である 褒めは子供に「ここにいてよい」という根源的な承認を与えると同時に 「こうあるべき」という規範を押し付ける両義性を持つ 親は無意識に「自分の価値観のコピー」を子供に植え付けているかもしれない しかしそれでもなお 子供は褒められた方向へと歩み出す なぜなら 承認されない存在ほど辛いものはないからだ 結局 親の褒めとは「君はこのままでいい」という無条件の愛と 「もっとここを伸ばしなさい」という条件付きの期待の 絶え間ない綱引きなのかもしれない 子供はその綱引きの中で 傷つきながらも 自分という存在を編み上げていくのである
親が褒めるものは親が楽しんでいるものという認識にもなる 子はそれを無自覚のうちに獲得し 周囲や次の世代へと向けていく
