「美しい」は孤独だという話
タイトル通りです。以上。
で終わらせるわけにはいかないですよね。失礼いたしました。全然関係ないんですけど、シンプルにどクソ暑い日々を過ごしていると汗が湯水のように出てきますよね、汗なのに湯水ってなんだよ、汗じゃねぇのかよってツッコミが聞こえます。ハハハ。多少暑さで頭がやられてから本番と言いますよね。まだまだ大丈夫な気がします。
ところで今回の話のきっかけはきっかけは某アシタカの「生きろ、そなたは美しい」というセリフをこの前久々に観たから(聴いたから)です。いや、聞いたからです。確かにサンって可愛いよりは美しいだよな〜胸部ぶち抜かれた死に際でそんな言葉出てくるとはさすがジブリ界トップクラスのメンイケだなぁ、なんて思ってました。あとはすっげぇ痛そうとも。そんななかそう言えばあの世界では可愛いとか、可愛らしいとかは、使われていないよな、サンとかカヤとかそういう可愛いの方にも当てはまりそうなのに、と思ってちょっと辞書の力も借りながら自分なりに言葉を落とし込んでいきたいなと思いました。
さて、タイトルであげた言葉はどちらも、何かしらに対しての感想として使うものだと思います。心の中を見透かされた時「いや本当にそんなこと思ってねーから」って本心とは真逆のことを言ってしまうぐらい穿った考え方をしていなければ、どちらも褒め言葉に分類されるでしょう。しかしながら褒め言葉という同じ方向を向いているはずなのに、真反対な褒め言葉に思えてならないので、湯煎中の頭で頑張って言語化してみようと思いました。湯水だけにね!…は?
美しいってなんだ?可愛いや綺麗とは何が違うんだ?っていうのを無くなりかけの歯磨き粉よろしくなんとか3つ捻り出しました。本当はもっとたくさんあるとは思うんですけど、頭から水分がなくなっているのでこれぐらいが限界なのかもしれません。
違い①:温度
これは結構いろんな人が感じたことがあるんじゃないかと思います。
•美しい:冷たい
•可愛い:温かい
•綺麗:温かい
です。
実際に温度があるのかと言われるとちょっと大なり小なり異なり、より正確にいうのであれば「冷たいと感じる時と似ている」「温かいと感じる時と似ている」でしょうか。この正体って一体なんだ?なんで褒め言葉でおそらくどちらも嬉しいもののはずなのに対極に感じるんだ?美しいとは?可愛いとはなんだ?綺麗って?可愛いが作れるなら美しいも作れるのか?作られた可愛いは可愛いのか?同様に作られた美しいは美しいのか?綺麗と何が違う?冷たいと感じる可愛いや綺麗はないのか?温かいと感じる美しいはないのか?そもそも温かい/冷たいってなんだ??温度とは???地球とは????我々人間とは?????一体なんのために存在してなんのために生(略。
途中からは冗談に近いですが出てくる疑問がまぁデカい。北海道に日本の本州、四国九州が収まるぐらい。は?そんな一個人で抱えるには肥大しすぎたテーマを全て取り扱おうとするとなれば、きっと湯水の如く湧き出る言葉をつらつら書くことになってしまうので冷たい/温かいの感覚に似ているというところにフォーカスあてて見たのがこの章です。
「美しい」は冷たさを感じますが、冷たさは美しさを感じるかといったは多分そうではないです。そしてそれは可愛いとか綺麗にも言えます。ということは美しいが内包している冷たさは一般的な感覚の冷たさの他にも別の意味が含まれている気がしますね。きっとその別の意味というのは手の届かなさ、手を加える余地のなさ、端的に完璧さや神々しさが原因じゃないかと思うのです。手が届かない、手を加えられないということはまず物理的に関わることができないというのを意味します。関わりたくても関われない、これって一向に距離が縮まらない状態なので、対象が、温もりなどを持っていても近くで感じることはできないのです。なんというアキレスと亀、いや五条悟??その絶対的に届かない距離、入り込む余地のなさは一種の拒絶ではなかろうか。人間はそういう拒絶や入り込む余地のない距離を感じると体温が下がるそうです。心理学的にも裏付けあるらしいですマジかよ現代科学やべぇ。きっとこれが冷たく感じる所以だと思います。そして美しいとは、決して見た目だけを限定するものではないはずです。むしろ見た目には出ていない何かに対して使う言葉のように感じますね。芸術とか、人間性とか。見た目的に美麗を感じると出てくる言葉ってきっと「綺麗」とかそういう言葉だと思いますし、「綺麗」という言葉は温かさがあります。綺麗はまだ入り込む余地のありそうですよね。親しみがあって硬くないというか、存在が一線を画している感じではないです。部屋の綺麗さとか、宝石とか、景色とかですかね。身近なものというか触れることができるイメージ。そのままでも十分ですが烏滸がましくもやろうと思えばもっといける余地ありみたいなものです。その手を加えられる余地というか、身近さが美しいとは異なって温度を感じます。拒絶されていないのでね。可愛いについても同じような感じです。となると感覚的には美しいは綺麗の中にはあるけれど、綺麗が醸し出す温度が届かなくなるまで突き詰めたものではないかと個人的には思うのです。
違い②:音
①に関連します。以上です。
で終わらせはしません失礼しました。
これもなんとなくではあるのですが、美しいについては音が限りなく0に近い印象があります。きっと色んな人に聞いてもそうだと感覚的に同意が得られるのではないかと。例えば可愛いとか綺麗は「ふわふわ」とか「キラキラ」といった擬音が相応しいですが美しいを形容する擬音って何かあるか?って言われたらないです。「美麗」や「煌びやか」「絢爛」なども「綺麗」の延長であり、美しいとは別物です。ふとこの時にひょっとして美しいという状態を表す言葉は美しい以外にないのではないかと思いました。「感嘆」という言葉も多くは心打たれる時に使いますが、心情に対して使う言葉であって状態に対して使うものではないでしょう。①では温度の話をしたのですがそれに伴って温度が低いと自然と音も少なくなってくるものです。このイメージも美しいには音がない、に繋がっていると思います。そしてきっと美しいと感じる時、状態としては「感嘆」や「息を呑む」という表現が使われます。どちらも心を動かされ体が止まる状態に近いと思います。感嘆は思わず深い息をつくということから、その嘆息が感じ取れるほど周りは静まり返っていると言えます。息を呑むも同様に呑んでいる様子が伝わるほど、あたりの様子が静まり返っているものではないでしょうか。あるいはあたりの様子などもはや気にできる心の隙間がない、など。これも美しいに音がしない理由の一つだと思っています。
ちょっとどこかでふざけてみようと思ったんですけど、チャンスがなかったので全然意味ない言葉を少し混ぜます。チゲ鍋。
また、前述の美しいを言い表す言葉が限りなく少ないというのも静けさに繋がると考えています。というのも個人的には美しいという言葉は美しさを表す言葉の最上位であると感じており、麗しい、華麗、見事、素晴らしい、優美という美しさに対しての称賛の言葉は、美しいを言い表しているものの「美しい」という表現の中から一部を拝借して出てくる言葉のように思えます。そして美しいよりも先にその言葉が出てくるということは、その部分、例えば華麗なら見た目、見事や素晴らしいは技巧や出来栄えなどが特に目についたから出てくるのではないでしょうか。言い換えれば、見た目>出来栄え、もしくは出来栄え>見た目のように一部が突出するが故、相対的に優劣がついてしまうのです。となると、真に全体が均一的に他とはずば抜けている場合、黄金比率的な感銘を受けた際の表現は「美しい」に集約されると考えられます。つまり、どこが具体的に美しいのか分からないがとても良い、あるいはどこもかしこも非の打ち所がなく全てが良いという感じです。この状態になれば「美しい」という言葉以外は正確性が落ちる、なのにこの美しさを表現する言葉が出てこないとなり、言葉に詰まります。言葉が出てこないが、感情が感銘で暴れ回っているとき、この暴れ回る感情が溢れ出てこないように息を呑み、言葉を紡げないことで訪れる静謐、美しいをそこに取り残してしまうことによるあたりの静けさが、美しいには音がしないということに繋がるのかなと私は思います。たこわさ。
違い③:狂気
①に関連します、がこれで終わりません。
①に触覚
②に聴覚
ときたら次はもう予想つきますよね。そう、狂気です。
全然繋がらないですよね、私もそう思います。失礼いたしました。まぁ強いてあげるなら感覚になると思います。ここでいう感覚は聴覚も触覚も視覚といった直接的なものじゃなくて、それらを通して受け取った先に五感全てが反応するようなもの、がより細かいかなと思います。どういうことかというと、個人的に美しいには「例え他人に理解されなかろうが自分が思う全てについて命を削ることも厭わずに具現化させている」ものを感じます。
命を削るというとちょっと大袈裟かもしれないですが、まぁ寝る間を惜しんでとか、食事をするのも忘れてとか、そういうのでも生命維持に必要な活動を抑え込んで特定の行動ができることは命削り的な表現をしても間違いではないかと思っています。なりふり構わずそれに没頭し、妥協をしなかった(というより選択肢としてなかった)ことによって、美しいと言われる何かが宿るはずです。美しいと言われるものについて、何が美しく感じるかは人それぞれですが、美しいと感じる基準についてはかなり似たり寄ったりではないでしょうか。この没頭と言われる狂気を宿したものから滲み出ているのがわかる、という点で感覚が反応するといえます。
なかなかどうして全然ふざけるタイミングが出てこないですね。これでは私のアイデンティティがウンタラカンタラ。
この狂気について、字面からすでに異端のような印象を受けていますが美しいものは軒並み平均から頭抜けているものなので異端と同義です。そして狂気に身を任せることができる人間はこの世でそう多くはありません。この点でも異端であると言えます。さらに言ってしまえば狂気なんていうのは客観的な見方です。正常な精神状態から逸脱していることが狂気となる基準らしいのですが何よりも優先させたいことに対して衝動に身を任せているというだけであって、その他は正常だという可能性があります。犯罪行為などを擁護するわけではありませんが、その人が狂っていると思うのは、その人が狂う気持ちに対しての理解が追いついていないということですし、人の気持ちを100%理解するというのはほぼ100%無理な話です。であれば、狂っている状態や狂気と言われるものは、辞書の定義上ネガティヴなものに思えてきますが、美しいものを生み出す要素の一つなんじゃないかなと思うわけです。そしてこの「一見危うく見える」というのがまた美しさに繋がっている気がしますね。己の中に宿る莫大な衝動に身を任せている人がいたとして、その人がみている世界を見たくても同等の熱量で接しなければ跳ね返されてしまう、しかし同じ熱量で接することができれば無二の友になれる可能性を秘めている、なんてこともあります。この拒絶性とその先にある何かというのも美しいに秘められた性質だと思います。生半な気持ちで触れると怪我をするぐらいでないと美しいには向き合えない、この拒絶の壁があるからこそ美しいものが美しいたる所以ではないかと思いますね。ですから自分の中に狂気を飼っている人はたとえそれが誰にも理解されないことだとしても、一人で進むかもしれないことだとしても、安心して身を委ねてもいいと思います。人道から外れさえしなければ。
まとめ
美しいについて言ってみたいことを書き連ねてみました。少し物足りない気もするのですが、おおよそ軸となる部分は書くことができたんじゃないかと思ってます。
冷たい、音がない、狂気
個人的にはどれも美しいに繋がる面白い性質でした。
もちろんこの記事で書いていることはあくまで私の主観ですし、人によっては「造形美に宿る美しさこそ唯一無二の美しいだ」だったり「温かい美しいもあれば、音がする美しいもあるし、美しいに狂気は似合わない」なんて感覚の方もいると思います。人と全く同じ感性を持つことができるというのも稀有なことですし、もしそんな人と巡り会えたのであれば、いきなり親密度高めに楽しい話ができるような気もします。感性が違う人はすべて敵だ、なんてなるわけでもないですし。
温度や音、狂気に関連付けて美しいという言葉を解釈してみましたが、根っこにあるのは「心が震え、脳裏に焼き付く」だと思います。この体験ができたものは、熱かろうが冷たかろうが、静かだろうが煩かろうが「美しい」に当てはめちゃっても良いと思うんです。
人は何にハマるのかなんて言うのは体験してみないことには何とも言えないのですから。大事なのは心が震えて脳裏に焼き付いたときの絵も言われぬ感情の高ぶりを大切に保管することじゃないでしょうか。
タイトルに戻りますが、美しいというのはやはり孤独です。温度や音は感じれないし、その時には理解されない狂気を宿す必要がある。それは「みんながこっちの道を選んでいて、同じ道を選ぶのが嫌だから」という唯一無二を目的としているのではなく「妖艶なちょうちょに見惚れて追っかけて行ったら誰もいなかった」に近いものです。迷子になるかも、みんなとはぐれるかも、この道は寒いかもなんて心配よりシンプルに「ただちょうちょがあまりにも綺麗だった」から付いていった。これぐらい単純で衝動的かつ没頭できることは美しいを生み出すことができる天賦なんじゃないですかね。うらやましいことこの上なしです。もしそういった才能をお持ちなら、ぜひフル活用してこの世に美しいものを生み出していってほしいです。
さて、最後のまとめも大真面目に書いてしまいました。ここまで読んでくれてありがとうございます。
これまたふざける瞬間がなかったので締めの言葉ぐらいはふざけてみようと思っています。てふてふ。
