見出し画像

#20 サマルカンド

新年の始まりの日に、私はウズベキスタンの曲を聴いていた。

父がサマルカンドの露店で勧められたとかいうCDで、ジャケットからするとポップミュージックのようである。

あれからもう随分時が過ぎたが、父が聴いているのを見たことがない。

そこで私は父からこれを譲ってもらい、正月休みの間じゅうずっと聴いていた。しまいには音楽をかけていなくても頭の中で曲が廻り続ける始末であった。これは新しいSDGsじゃないか、と一人でニヤニヤしながら脳内では曲がリプレイを続けていた。


高校時代、暗記が苦手だったにも関わらず、世界史の授業をとってしまった。受験に有利だというので流れに乗ってみたものの、一学期の成績はパッとしないものだった。アウストラロピテクスが二足歩行を始め、四大文明が人類に知的財産を継承し始めたばかりなのに、私の未来にはすでに暗雲が立ち込めていた。

世界史の先生は年配の方だったが、本当に世界史がお好きで、いつも軽く握った片手を顎に当てながら、いろんな逸話を夢見るように語っておられた。そして、不意に夢から醒めたかのように、「ここは受験に必要です」と言って、人名や用語を赤や黄色のチョークで板書されるのだった。
重要な年号は「幸先313年(さいさき)よきミラノの勅令」などと、おそらくご自身で作られたのか、もう随分と長い間使ってこられたであろう語呂合わせをたくさん披露していただいた。

一方、私たちの方は、先生の口から溢れ出るα波が醸し出す、1/fエフブンノイチ揺らぎ漂う心地よい波間に揺られていた。

台風一過の稲穂のように薙ぎ倒されながらもかろうじて気力だけで姿勢を保っている(そのためやや風に揺られ気味の)生徒が大半を占める中で、一人だけ黙々とメモをとっている男子がいた。

まさに、奇跡の稲穂である。

そんな彼の姿をつぶれまなこの端に認めた私は、自分を恥じた。

なんという怠慢だろう。先生の貴重な知識の数々をみすみすドブに捨てるなんて。睡魔ごときの魔物の餌食になるなど、もってのほかではないか。学生の本分を忘れた自分が情けない。

私は、この日を境に心を入れ替えた。

セイレーンが誘うα波のさざなみに何度も難破しそうになりながら、教科書やノートの端に大小のミミズを餌撒きする日々が始まった。家に帰ってからは、判別がつかない自分の文字を解読しながら年表や地図を何度も書いて流れを掴んでいった。

すると、二学期の中間考査では成績の見栄えもよくなり、次第に世界史を学ぶのが楽しくなった。相変わらず暗記は苦手だったが、勉強を続けていくうちに歴史というのは暗記だけではないということも徐々にわかってきた。

こうして私は、世界史の鬼になった。


大学を卒業してしばらく経った頃、高校の同窓会が開かれ、久しぶりにクラスメイトと顔を合わせた。あの時、度重なる台風に薙ぎ倒されなかった「稲穂の君」も参加していた。

私は、今こそ感謝の意を示そうと、当時の思い出話とともにお礼の言葉を述べた。

すると、思いがけずこんな答えが返ってきた。


「え? 何言ってんの? 先生の話を聞いてても眠くなるだけから、英単語を覚えてただけだってば」

私は一瞬、自分の耳を疑った。

つまり、私はすっかり「騙されて」いたわけだ。そんなこととはつゆも知らずに魔物と戦っていた自分を思い出して、私は思わず苦笑した。世界史の授業中に英単語とは。もはや「稲穂の君」は、「稲穂の君」ではなくなっていた。とはいえ、彼のおかげで苦手を克服できたわけだから、とんだ怪我の功名であった。

今では月日の流れとともに鬼の角も牙も抜け落ちてしまったが、それでも年号を見かけることがあると、先生の語呂合わせが頭に浮かんでくる。

ウズベキスタンの曲を聴きながら思い出に耽っていると、ついでにこんな話を思い出した。

何十年も前の話になるが、国民的番組『徹子の部屋』で、「中央アジアの国名は、反時計回りに『カトウタキ』と覚えればいいのだそうですよ」とゲストの加藤タキさんが話しておられたことがあった。

つまり、カザフスタンを頂点に、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギスと反時計回りに覚えればいい、という話である。

なるほど、これはなかなか名案だ。


中央アジア五カ国は、大半が乾燥した砂漠気候やステップ気候に属し、東にタクラマカン砂漠、西にカスピ海、南にパミール高原を従え、その間にすっぽり収まるように鎮座している。

さまざまな民族や国家が次々に勃興しては衰亡した。砂漠を彷徨う流浪の民のような歴史を持ち、秋の薄雲のごとく大地をうつろう民族の変遷は、多彩な異文化の交流を促した。

石坂浩二さんの語りと喜多郎さんの音楽が多くの視聴者のロマンを駆り立てたNHK特集『シルクロード(絲綢之路)』は、時に過酷な環境に生きる人々の暮らしを伝える貴重な記録番組であるが、シルクロードは紀元前2世紀以来交易路として利用され、前漢時代の中国とローマ帝国をつなぐ重要な貿易ルートであった。

中央アジアはこのシルクロードの通過点にあたり、その交易において重要な役割を果たした。
さまざまな文物が西から東へ、あるいは東から西へ運ばれていった。

かつて、漢民族は中国の西方にある西域さいいき諸国の民族(匈奴などの北方民族を含むこともある)のことを蔑んで「胡人」と呼んでいた。

そのため、この地域を通過して中国に入った物には、胡椒、胡桃、胡瓜あるいは二胡などと、いまだに「胡」の字が冠せられるものが残っており、その由来を今も伝えている。

このうち胡椒については、インド南西岸のマラーラ州が原産とされており、そこからパミールなどを通って中国に伝わったと考えられている。「椒」という字は、ピリリと辛い香辛料にあてられるようで、本来はミカン科の山椒の木を指す。中国の四川では、花椒ホアジャオという赤い香辛料が料理によく使われる。

また、紀元前7000年頃から人類が食してきたと考えられている胡桃は、古代ペルシャ(現在のイラン)あたりが原産地である。同じく西域から流入して、殻の形状が桃に似ていることから名付けられたと思われるが、中国では核桃とも呼ばれるのだそうだ。私は胡桃を見ると、桃よりも大脳を想像してしまう。

調べてみると、胡桃の栄養価は非常に高く、脳によい影響をもたらす「ブレインフード」なのらしい。花言葉は「知性」。名は体を表す、ということか。

さらに、二胡については、北方民族から唐代の中国に入ってきた擦弦楽器で、胡弓とは別物だそうである。日本では二胡のことも胡弓と呼んでいるため混同されがちだが、胡弓は日本の伝統楽器であるということを、私自身も今回初めて知った。

こうした文物の伝播は、時間という縦糸に人と物との往来という横糸を重ね、さまざまな文様を歴史に織り込んでいく。

そのルートとなったオアシス都市には、カシュガル、楼蘭、敦煌、トルファン、ブハラなどエキゾチックな地名が多い。これらの名称は、地名フェチの私の心を鷲づかみにした。

砂漠に点在するオアシス都市をラクダとともに移動する隊商キャラバンの姿は、一幅の絵画のように美しい。


余談だが、ラクダには西アジアを起源とするヒトコブラクダと中央アジアを起源とするフタコブラクダがある。フランス語では、ヒトコブラクダのことをdromadaire、フタコブラクダのことをchameauという。ラクダのこぶは大きな脂肪のかたまりで、乾燥地帯で生きていくために必要な栄養分を脂肪に変えて蓄えている。日中は40度を超える炎天下でもほとんど汗をかくことはなく、また大量の水を飲んでも胃の中に貯めておくことができるため、長時間水分が補給できなくても生きていけるのだそうだ。

過酷な環境に生きる生態の不思議は、ほとんど感動的である。


不意に望郷のような感覚を覚え、サマルカンドへと思いを馳せた。

古都サマルカンドは、古代よりシルクロードの要衝として栄えたが、13世紀頃から活発化したモンゴル民族に征服され、一時廃墟と化した。その後、14世紀に登場した英雄ティムールがこの地を奪還、ティムール帝国を建国して再び栄えた。

そのティムールが青を好んだことから、建物には青いタイルが一面にわたって幾何学に配せられ、サマルカンドブルーと呼ばれる美しい光景が誕生した。


< ティムールの霊廟「グーリ・アミール廟」 >

青というのは乾燥気候と相性が良いのか、中央アジア諸国やサハラ砂漠・地中海沿岸の地域には、青いタイルや壁を持つ建物が多く見られる。灼熱の太陽が照りつける環境下では、青い色が清涼感をもたらすからかもしれない。

反対に、日本のような湿潤な気候帯では、あまり青い建物を見かけないように思う。


父が旅行に発つ際に、写真を撮ってきて欲しいと頼んだのだが、カメラは荷物になるし、第一写真を撮っていたら自分の目で味わえないから嫌だと断られてしまった。

つまらない言い訳をするものだと思ったが、考えてみれば、父はその時とうに還暦を過ぎていたから、そう何度も海外へ行けるわけでもない。サマルカンドの街が見たければ、自分で行けばよいのだし、写真よりも実物のほうがいいに決まっている。父はカメラを持たずに一週間の旅へ出た。

美しい絵葉書とともにCDを買って帰ってきた父の思い出話は、いつまでも尽きなかった。


さて、せっかくなので私をサマルカンドの夢へといざなった曲を紹介したいと思い、Googleで検索しようとしたのだが、ウズベキスタン語のアルファベットの入力方法がわからない。ウズベキスタン、人気歌手、男性などとキーワードを入れて検索したが、なかなかヒットしない。

そこで、“普通の”アルファベットに読み替えて検索したところ、なんとあっさり見つかった。


ところが、このとき初めて分かったのだ。
このシンガーはウズベキスタン人ではなく、トルコ人であることを。

よくよく見てみると、父が買ってきたもう1枚のCDは、随分前に日本でも一世を風靡したTARKANタルカン。

これらはサマルカンドではなく、イスタンブールのお土産であったか。


トルコ語とウズベキスタン語の区別もできないのに調べを怠った自分の怠慢と、人間の記憶なんていい加減なものだと自戒した話、である。


<一度は行きたいあの場所>シリーズ(20)

※このシリーズの過去記事はこちら↓


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集