ほうれん草カレーは天竺への旅
インド料理といえば、ほうれん草カレー。これだけは譲れない。
イタリア料理であればピザでもリゾットでも構わない。和食なら魚でも煮物でもいい。フレンチも中華も、絶対この一皿──なんて料理はそうそうない。でもインド料理屋に行って、ほうれん草カレーを食べないという選択肢は、ありえない。
言い換えれば、ほうれん草カレーのないインド料理屋は、まだインドではないのかもしれない。天竺までの旅の途中、なのかもしれない。
ほうれん草カレーがメニューになければ、「裏メニューに隠されているのかも」とか「まかないで実は作ってるのでは」と、頼みの綱のように確認してしまう。そして店員が「ランチではやってない」とか「うちにはない」とアッサリ言うたびに、如意棒振り回しちゃうぞと思う。こうして悟空は三蔵法師にこってり怒られたらしい。
いつも不思議なのは、客がほとんどいないような町外れのインド料理屋で食べるほうれん草カレーが、王族御用達のような味がすることだ。高貴な深みのある緑色のヴェールの奥に潜むのは、生姜とニンニク。ほうれん草の繊細さが、油とスパイスの奔放さと出会って、見事な中毒性を生む。ウニを最初に食べた人もすごいけど、ほうれん草カレーのスパイス比率を考えた人は天才に違いない。
昔、勤め先の近くにインドカレー屋があって、月曜の「日替わりランチ」がほうれん草カレーだった。そのことを覚えちゃっていた私は、月曜=ほうれん草カレーの日と決めて通っていた。
ランチ友達だった同期は、月曜ランチに誘われるたびに「どうせインドカレーだろうね」と思って自分はキーマカレーを注文していた。店員は注文のたびに、「あなた、日替わりね」と先に言っちゃうようになった。
勤め先を辞めてから、こういう「イキホウレン(行きつけのほうれん草カレー)」がなくなってしまった。フリーランスになって外食の機会も減り、小さな子供もいるので行き先も限られるようになった。こうして私の世界からほうれん草カレーが徐々に消え、世界はモスグリーンの精彩を欠いた。
ところが最近、娘たちもだいぶん大きくなって、家族の外食にちょっとスパイシーなインド料理の選択肢が加わった。娘たちはラッシーさえあればラッキーで、私はその横でほうれん草カレーをドキドキキュンキュンしながら口に運び、大抵の場合、天竺に到着した沙悟浄みたいな恍惚の表情を浮かべる。「沙悟浄」なんてパソコンで打ち込む日がくるとは思わなかったけれど、天から追放されて妖怪となった河童のことだ。河童もほうれん草カレーに出会って、涙を流したに違いない。
夫は毎回ほうれん草カレーを注文しないくせに、私が大事に大事にちびりちびり食べていたほうれん草カレーを、あまり食が進まないのかな?と気を利かせて横からすくって食べたりする。私の中の三蔵法師が、「猪八戒、やっちまいな」とつぶやいている。
9歳の長女なんて、「ほうれん草カレーに浸かりたい」くらいの私の心境を理解していて、「良きことかな、良きことかな」とお釈迦様みたいな表情で見守ってくれる。こういう時だけ悟りを開いたような顔をする。一方で、もう何年も何十年も(?)一緒にいる夫は、美味しいものは最後までゆっくり食べたい私のこの習性を未だに理解していないらしい。
しかし、ほうれん草カレーに免じて毎回許してしまう。それは夫のためであり、夫のためではない。心頭滅却(無念無想の境地)。ほうれん草カレーの、ただその風味だけに集中するため。
そして、今日もナンで拭き取るように頂くのだ。
銀色の器の底が光り、天竺のその場所を、想像した。

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