雑記|Podcast作りは、面白い
Podcast── 皆さんは聴いたりするだろうか。
2年半くらい前から、Podcastの配信をしている。「Le café des Curiosités(ル・カフェ・デ・キュリオジテ)」、日本語で好奇心の喫茶店というタイトル。 私一人で話しているわけではなく、フランス人の友人Marilène(マリ)と一緒に、月1回喫茶店を営業(配信)中だ。もう少し正確に言うと、日本語版とフランス語版二つあるので、月2本のペースで収録・配信している。
毎回ひとつの 「もの」 をテーマに、文化や社会が違えば、その意味づけや使われ方がどう変わるのかを探求している。時には、環境や教育のような社会問題を話すこともある。自分で言うのもなんですが、まあまあ硬派な番組。
例えばこのエピソード。日本の針供養の民間信仰はご存知だろうか。折れたり錆びたりして使えなくなった縫い針を、豆腐やこんにゃくに刺して供養する日本の伝統行事。針供養を切り口に、日本のアニミズム(植物や動物、ものなど、すべてに魂が宿っているという考え方や信仰)に迫った。
このエピソードはフランスの話。フランスには、「もの」を借りられる図書館がある。家の中を見渡してみると、一年に1、2回しか使わないようなものが意外と多い。このフランスの図書館では、ものを買わずに借りられる。実際に、図書館を運営しているスタッフに、インタビューに応じてもらった。
リサーチに骨が折れる時もあるし、インタビューしたり、言語によって説明を足したり、編集したりと、結構手間はかかる。さらに、フランス語で話す時には収録をやり直すことも(多々)ある。そんなわけで、当初は月4本(日本語2、フランス語2)というストイック体制だったが、苦行になる前に方向転換し、現在は各言語月1回の配信に落ち着いている。
Podcastの面白さ
Podcastが面白いのは、自分の声が、自分の話が、何年も何十年も後になっても聴いてもらえることじゃないかと思う。
SNSは、タイムラインという急流に流し込んだら最後、すぐに過去へ消えていく。Podcastはその逆で、たとえその時バズらなくても、数年、数十年先まで残るメディアだ。極端な話、自分がいなくなった後でも、声だけ世界に残って、喫茶店の椅子に座って話し続ける… そう想像すると感慨深いものがある。
この魅力は、文章を書くことにも似ている。noteというこの媒体とも、近しいものがあると思う。日常や考えの痕跡を、文章あるいは声で残す。どちらにも 、自分という形を拾い上げ表現し残していく感覚がある。
だから、noteを書くのが好きな人は、きっとPodcast作りも好きになるのではないかと密かに思っている。どうだろうか。
Podcastを始めるのは、それほど大変じゃない
Podcastを始めるために、機材について勉強したり、音声の編集作業に必要な知識を習得したりした。一本のエピソードを作るために沢山リサーチして沢山本も読む。インタビューしたい相手にコンタクトを取って、実際に足を運んだり、遠隔でお願いしたりしている。
こうしてまとめてしまうと、やることが山積しているように見える。でも実際は、小さくひとつずつ積み上げていけば良いだけで、決して手を出せないほど高い山ではない。
私も始めるまでは未知の世界だったが、Podcastをやり始めてみると、音を編集する作業が思いのほか奥深くて、単純に楽しかった。まだまだ進化できるところは多いけれど、少しずつ改善している。音をやり出してから、今では気づけば動画編集にまで手を出している。
結局、やってみないと分からない。難しそうなものは、挑戦しない限りずっと難しいまま。興味があるなら、まず触ってみるのが早いと思う。
まだまだ続く、私のPodcast作り
私が幸いだったのは、一緒に続けてくれる相棒がいたことだ。正直ひとりだと心折れる瞬間はきっとあった。
仕事や育児をしながらだと、仕事が当然優先だし、子供が熱を出せば収録は後回し。自分が喉を潰せば、収録すらできない。完璧を求めるのは無理だと実感する瞬間も、多々ある。
それでもお互いフォローし合いながら、続けてみる。続けていると、見えなかったその先にも必ず新しい道が開けている。新しい人と出会っている。その連続だった。そう。行けば分かるさ──最後は猪木調になってしまったけれど、Podcastは今や「私を語る上で欠かせないメディア」になってくれた。始める前は、想像もしなかったような出来事だ。
さて、もし興味があればやってみませんか?
面白いですよ、Podcast──
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