異世界ダイニング りょりょ亭 第二十九話
#第二十九話 明かされる真実
薄暗い店内に足を踏み入れたリョコたちを、七色の髪を持つピキアージュが優雅に迎えた。
「まあまあ、お連れさんもいるのね」ピキアージュがガリオンとエリンを値踏みするように見る。「ふぅん、なるほど。王様の子飼いってわけ」
「え!?」ガリオンが驚く。「なんで分かるんだ」
「あら、ピキねえさんを誰だと思ってるの?」ピキアージュが妖艶に微笑む。「この店に来る客の素性くらい、一目で分かるわよ」
カウンターの奥から、涼やかな声が響いた。
「あら、お客様?今日は賑やかね」
蒼い髪を優雅に揺らしながら、人魚の女性が現れた。海の煌めきを宿したような瞳。

「紹介するわ」ピキアージュが手を振る。「うちのバーテンダー、世界中の海を旅してる人魚なの。旅から戻ると、ここで働いてくれるのよ」
「はじめまして」リヴァラが優雅に一礼する。「海の旅人、リヴァラと申します。りょりょ亭のリョコさんですね? 噂はかねがね」
「噂?」
「ええ、深海の賢者たちも話題にしていましたよ。『陸の上に、海をも癒す料理を作る店がある』って」
リョコは照れくさそうに頭を掻いた。
「さて」ピキアージュが手を叩く。「立ち話もなんだから、座りなさい。リヴァラ、みんなに何か作って」
「ええ、じゃあ今日は特製の《きまぐれ氷星》を作るわ」リヴァラが張り切って準備を始める。
リョコたちがカウンターに座ると、ピキアージュは真剣な表情になった。
「で、何を聞きに来たの? 国王様のこと? それとも、りょりょ亭の本当のことかしら?」
「両方です」リョコが真っ直ぐピキアージュを見つめる。
ピキアージュは深いため息をついた。
「やっぱり、その時が来たのね……」
リヴァラが美しいカクテルを並べる。グラスの中で、小さな蒼い結晶が深海に差す光のように輝いていた。

「まず、飲んで」ピキアージュが促す。「話は長くなるから」
一口飲むと、不思議な清涼感が体を包んだ。まるで、心の中の靄が晴れていくような……
「美味しい……」エリンが驚く。「これは……魔力が」
「そう、心を澄ませる効果があります」リヴァラが得意げに説明する。「真実を聞くには、心が澄んでないと」
ピキアージュは懐かしそうに天井を見上げた。
「あなたがここに来たのは、まだ五歳の時だったわね」
「え?」リョコが驚く。「そんなに小さい頃から?」
「覚えてないの?まあ、無理もないかしら」ピキアージュが微笑む。「あの日は、大雨が降っていたわ」
店内の照明が少し暗くなり、まるで回想シーンのような雰囲気になった。
「小さな女の子が、りょりょ亭の前で泣いていたのよ。びしょ濡れで、裸足で。『お母さん、お母さん』って」

リョコの表情が曇る。断片的な記憶が蘇ってきた。
「私が外に出ると、その子——あなたは私を見て言ったの。『きれいな髪』って」ピキアージュが七色の髪を撫でる。「それで思わず笑っちゃって。こんな状況で、髪の色なんか気にする子がいるなんて」
リヴァラが興味深そうに身を乗り出す。
「それで、その子を店に入れたんですか?」
「ええ。温かいスープを作ってあげたら、美味しそうに飲んでくれて」ピキアージュの目が優しくなる。「でもね、普通じゃなかったのよ」

「普通じゃない?」ガリオンが眉をひそめる。
「その子の瞳を見た瞬間、分かったの」ピキアージュが真剣な表情になる。「この子には、特別な『素質』があるって」
「素質……」リョコが呟く。
「料理に魔力を込める素質? いいえ、違う」ピキアージュが首を振る。「もっと根源的なもの。人と人を『繋ぐ』力。異なる種族、異なる世界観を持つ者たちを、繋ぐ力」
エリンが頷く。
「だから、りょりょ亭にはあんなに多様な種族が集まるのですね」
「そう。リョコには、誰も拒まない包容力がある」ピキアージュが続ける。「それは生まれ持った才能。特別な血筋の子にしか宿らない力よ」
リョコが困惑する中、ガリオンが疑問を口にした。
「ちょっと待て。あんた、どうしてそんなことまで分かるんだ? それに、さっきから気になってたんだが……」
ガリオンはピキアージュをじっと見つめた。
「あんた、人間だろ?一体いくつなんだ!?」
ピキアージュが妖艶に微笑む。
「あら、年齢を聞くなんて野暮ね〜」
「いや、でも五歳のリョコを引き取ったってことは、少なくとも二十年以上前から……」
「もっとよ」ピキアージュがさらりと言う。「私がりょりょ亭を作ったのは、三十年前。その前は……」
「その前は?」エリンが身を乗り出す。
「王国に仕えていたわ」ピキアージュが懐かしそうに語る。「前王の時代から。リーリョがまだ赤ん坊の頃から知ってるのよ」
「前王の時代!?」ガリオンが声を裏返す。「それって、少なくとも五十年以上前じゃ……」
「もっとよ」ピキアージュがくすりと笑う。「前王の即位式にも立ち会ったわ。あれは百年前のことだったかしら」
「ひゃ、百年!?」ガリオンが椅子から転げ落ちそうになる。「人間の寿命じゃ……」

「誰が普通の人間だって言った?」ピキアージュがまた、くすりと笑う。「まあ、その話は置いておきましょう。大事なのは、りょりょ亭の秘密」
リヴァラが尋ねる。
「りょりょ亭には、何か特別なものがあるんですね?」
「ええ」ピキアージュが頷く。「地下に、とても大切なものが眠っている」
「大切なもの?」
「『調和の礎石』よ」ピキアージュが静かに告げる。「リョリーディア王国の建国時に据えられた、三つの礎石の一つ」
エリンが息を呑む。
「建国神話に出てくる、伝説の……」
「伝説じゃないわ」ピキアージュが首を振る。「実在する。そして、その礎石こそが、この国の『巡環』を保っている」
「魔力の循環、自然の調和、そして人々の心の均衡」ピキアージュが説明する。「礎石は、それら全てを調整する役割を持っている。そして、りょりょ亭の地下に眠る『調和の礎石』は、特に重要」
「なぜ?」
「異なる種族が集い、食事を共にする」ピキアージュが微笑む。「その行為自体が、調和の力を強めるの。だから私は、礎石の上にりょりょ亭を建てた」
リヴァラが感心したように呟く。
「だから、りょりょ亭には不思議な魅力があるのですね…」
「そして、あの子…いえ、国王リーリョもそれを知っていた」ピキアージュが続ける。

「幼い頃から私の膝の上で、この話を聞いて育ったから。王になってからも、礎石の状態が気になって仕方なかったのよ」
リョコが驚く。
「じゃあ、リーリョ様が言っていた『大切なもの』って……」
「そう、調和の礎石」ピキアージュが頷く。「でも、それだけじゃないのよ。もっと個人的で大切な理由もあるの…まあ、それは本人からいつか聞きなさい」
ガリオンが腕を組む。
「なるほど、それで国王自ら……でも、なぜそんな重要なものを」
「二十年前の出来事が関係しているわ」ピキアージュの表情が暗くなる。「ネクリシアの建国にまつわる、悲劇が」
「ネクリシア?」
「今では魔国と呼ばれているけど、元々はリョリーディアの一部だった土地よ」ピキアージュが重い口を開く。「二十年前、黒い霧が初めて現れた時、リーリョは即位してまだ日も浅い若き王だった」
「でも、原因不明の病に倒れ、床に伏せってしまった」ピキアージュが続ける。「そんな時、宰相が独断で『浄化政策』を実行した」

エリンが青ざめる。
「王の許可なく?」
「そう。『国を守るため』という大義名分で」ピキアージュが苦い表情を浮かべる。「黒い霧に侵された者たちを、容赦なく国外追放した。リーリョが意識を取り戻した時には、もう手遅れだった」
「それって……」リョコが言葉を失う。
「リョリーディア史上最大の悲劇よ」ピキアージュが深くため息をつく。「一夜にして、何千もの家族が引き裂かれた」
その時、ガリオンの表情が急に暗くなった。
「なあ……その中に、ザイリスって名前は……」
ピキアージュがガリオンを見つめる。その瞳には、深い同情が宿っていた。
「ザイリス……」ピキアージュが記憶を辿る。「ああ、あの子ね。」
「知ってるのか!?」ガリオンが身を乗り出す。
「ええ。王国騎士団の若きエースだった」ピキアージュが続ける。「二十年前、黒い霧が現れた時、真っ先に前線に立った勇敢な騎士」

ガリオンの目に涙が滲む。
「兄貴は……俺よりずっと優秀だった。剣術も、魔法も、何もかも」
「覚えているわ」ピキアージュが優しく言う。「ザイリスは真面目で責任感が強かった…」
「でも、いつも俺を守ってくれた」ガリオンが震え声で続ける。「『弟は俺が守る』って」
リョコとエリンが心配そうにガリオンを見つめる。
ガリオンが拳を握りしめる。「俺は何も知らなかった。兄貴が忽然と姿を消して……」
ピキアージュが静かに続けた。
「ザイリスは、仲間を守るために自分の体で黒い霧を受け止めた。その瞬間、彼の瞳が……変わってしまった」
「黒く濁って、まるで別人みたいに」ピキアージュが静かに語る。「でも、最後の瞬間、正気に戻ってみんなに言ったわ。『俺から離れろ』って」

店内に重い沈黙が流れる。
「『弟に、仲間に迷惑をかけたくない』」ピキアージュが呟く。「それが、ザイリスが残した最後の言葉」
ガリオンが歯を食いしばる。「俺は……俺は何も知らなかった」
リヴァラがそっとハンカチを差し出す。
「でも今は」ピキアージュが重い口を開く。「ネクリシアで将軍の一人になっているわ。『黒の剣聖』と呼ばれて」
「将軍……」ガリオンが呆然とする。「兄貴が、敵の……」
「でも、完全に心を失ったわけじゃないみたい」ピキアージュが付け加える。「リョリーディアの民間人は決して傷つけないという噂もある」
「本当か!?」ガリオンが顔を上げる。
「ただの噂かもしれない。でも……」ピキアージュは意味深に微笑む。「希望は、まだあるわ」
リヴァラが呟く。
「こんな悲劇が、他にも……」
「ええ」ピキアージュが頷く。「ガリオンとザイリスだけじゃない。リョリーディア中で、同じような悲劇が起きた」
ピキアージュは新しいグラスを取り出し、自分用の酒を注いだ。

「商人ギルドの会長だったマルセルは、娘のリーナが黒い霧に侵されて追放された後、全財産を投げ打って娘を探しに旅立った。でも、二度と戻らなかった」
「王立魔法学院の主席だったエレナとその恋人のシリウス」ピキアージュが続ける。「二人は結婚を約束していた。でも、シリウスが霧に侵されて……エレナは今も独身で、彼の帰りを待っている」
「そんな……」リョコが涙を流す。
「パン屋のおばあさんは、三人の孫を一度に失った」ピキアージュの声も震える。「今も毎日、孫たちの好きだったパンを焼き続けている。『いつか帰ってきた時のために』って」
店内が悲しみに包まれる中、ピキアージュは話を続けた。
「今回のような大規模な黒霧はなかったけど、今までにも黒霧は何度もリョリーディアを襲ってる……あのバカのことも…」
「誰?」リョコが尋ねる。
「私の弟、マロヴァンよ」
「なんだって!?」全員が驚愕する。
ピキアージュは深い悲しみを湛えた目で、グラスの中の酒を見つめた。
「あの子も、昔はりょりょ亭で働いていたのは知ってるでしょう?」懐かしむような、後悔するような声。「才能豊かな料理人だった。でも……」
「でも?」
「黒い霧が現れた時、あの子は興奮していた」ピキアージュが苦い表情を浮かべる。「『これだ!これこそ俺が求めていた力だ!』って」

リヴァラが困惑する。
「なぜ、そんなことを」
「マロヴァンは幼い頃から、特別な力に憧れていた」ピキアージュが説明する。「料理の才能はあったけど、それだけじゃ満足できなかった。もっと強い力、もっと人を支配できる力を求めていた」
「それで、自ら黒い霧に?」エリンが信じられないという表情をする。
「私は必死に止めたわ」ピキアージュの声が震える。「『そんなものに頼らなくても、あなたには素晴らしい才能がある』って。でも……」
ピキアージュは一気にグラスを空けた。
「『姉さんには分からない』」声真似をするように、低い声で続ける。「『この平凡な人生の退屈さが。この素晴らしい力があれば、俺は特別な存在になれる』」
「そして、目の前で黒い霧に身を委ねた」ピキアージュが潤んだ瞳を伏せる。「あの時の狂気に満ちた笑顔が、今でも忘れられない」
リヴァラがピキアージュの背中をさする。
「変貌は一瞬だった」ピキアージュが続ける。「優しかった弟の顔が、狂気に歪んで……そして言ったの。『ありがとう、姉さん。これで俺は自由だ』」

「自由……」リョコが呟く。
「高笑いしながら去って行った」ピキアージュが自嘲的に笑う。「今では『絶望のシェフ』なんて呼ばれて、ネクリシアで恐れられている」
ガリオンが同情的な眼差しでピキアージュを見る。
「あんたも、家族を……」
「そう、私たちは同じ」ピキアージュが頷く。「家族を闇に奪われた者同士」
重い沈黙の後、リョコが尋ねた。
「でも、ネクリシアを支配しているのは誰なの?マロヴァンじゃないんでしょう?」
ピキアージュの表情が急に険しくなった。
「それが……最大の謎よ」
「謎?」
「ネクリシアの支配者……」ピキアージュが声を低める。「魔王ヴァルダルク」
「魔王!?」全員が驚く。
「聞いたことがない」エリンが困惑する。「王国の記録にも、諜報部の報告にも、そんな名前は……」
「当然よ」ピキアージュが頷く。「ヴァルダルクの存在を知る者は、ごく僅か。そして、その正体を知る者は誰もいない」
リヴァラが震え声で尋ねる。
「誰も……見たことがないんですか?」
「見た者は生きて帰らない」ピキアージュが断言する。
ガリオンが眉をひそめる。
「ヴァルダルクは常に深い闇に包まれている」ピキアージュが説明する。「玉座に座っているのは確かだけど、その姿は誰も見えない。ただ、虚無のような声だけが響く」
「いつから、そんな存在が?」リョコが尋ねる。
ピキアージュが首を振る。「ある日突然、ネクリシアの玉座に座っていた。まるで、最初からそこにいたかのように」
リヴァラが恐る恐る尋ねる。
「もしかして、人間じゃない……?」
「分からない」ピキアージュが繰り返す。「闇そのものが意志を持った存在かもしれないし、異界から来た何かかもしれない……」
全員が言葉を失う中、ピキアージュは続けた。
「確かなのは、ヴァルダルクが現れてから、ネクリシアは本当の魔国になったということ」
「どういう意味ですか?」エリンが尋ねる。
「それまでは、ただの追放者の集まりだった」ピキアージュが説明する。「でも、ヴァルダルクが現れてから、組織化され、軍事力を持ち、他国を脅かす存在になった」
「そして今も、各地から人を攫い続けている」リヴァラが付け加える。「海でも、行方不明者が増えています」
「黒い霧で洗脳して、国民を増やすため」ピキアージュが頷く。「ヴァルダルクの目的は、全世界を絶望で満たすことらしい」
「なぜ、そんなことを」リョコが尋ねる。
「分からない」ピキアージュが三度、同じ答えを返す。「ヴァルダルクの思考は、理解できない。」
「とにかく」ピキアージュが話をまとめる。「ネクリシアとの戦いは、これからが本番よ。『巡環の饗宴』で一時的に黒い霧を払ったけど、ヴァルダルクは必ず次の手を打ってくる」
ガリオンが決意を込めて立ち上がる。
「俺は戦う。兄貴を取り戻すためにも、こんな悲劇を二度と起こさないためにも」
「私も」エリンが頷く。「王国のため、そしてすべての引き裂かれた家族のために」
「みんな……」リョコが言葉を詰まらせる。
「希望はある」ピキアージュが優しく微笑む。「リョコ、あなたの料理が証明した。絶望に染まった心も、取り戻すことができる」
リョコが力強く頷く。「必ず、みんなを取り戻す。ザイリスさんも、マロヴァンも、すべての人を」
「頼もしいわね」ピキアージュが立ち上がる。「さあ、今夜は泊まっていきなさい。明日は早いわよ」
「明日?」
「リョコ、あなたにも話していない地下への通路がりょりょ亭にはあるのよ。調和の礎石に会わせてあげる」ピキアージュがウインクする。「りょりょ亭の本当の力を知れば、きっと希望が見えてくる」
全員が驚くがそれ以上は明日のお楽しみよと、今夜泊まる部屋へと案内をされた。
その夜、リョコは与えられた部屋で一人、考え込んでいた。

数え切れない家族たちの悲劇。
謎に包まれた魔王ヴァルダルク。
りょりょ亭の存在意義。
人と人を繋ぎ、心を通わせ、希望を紡ぐ場所。
それを守り、広げていくことが、自分の使命。
窓の外では、星が静かに瞬いている。
ヴァルダルクに対抗する鍵があることを信じて、リョコは静かに眠りについた。
引き裂かれたすべての家族が、再び食卓を囲める日を夢見ながら。
* * *
朝靄が立ち込める中、リョコたちはピキアージュに連れられて、りょりょ亭の隠された地下へと向かっていた。
リョコが呟く。「こんなところ…気づきもしなかった…」

「当たり前よ、分かったらとっくに攻め込まれてるわ。特別な呪術がないと入れないのよ」ピキアージュが壁の一部に手を当てる。すると、石壁がゆっくりと開いた。
「すげぇ……」ガリオンが息を呑む。
螺旋階段を下りていくと、次第に空気が変わってきた。清浄で、それでいて力強い何かを感じる。
「魔力が……濃い」エリンが呟く。
「当然よ、調和の礎石に近づいているんだから」
階段を下りきると、そこには巨大な地下空間が広がっていた。
中央には、人の背丈ほどもある水晶のような石が、眩い光を放っていた。

「これが……調和の礎石」リョコが圧倒される。
「美しい……」エリンが感嘆の声を上げる。「まるで、すべての色が調和しているようですね」
ピキアージュが礎石に近づく。
「この石は、リョリーディア建国時に据えられた三つの礎石の一つ。『力の礎石』『知恵の礎石』そして、この『調和の礎石』」
「他の二つは?」ガリオンが尋ねる。
「『力の礎石』は王城の地下深くに」ピキアージュが説明する。「『知恵の礎石』は王立図書館の最深部に。」
「見て」
ピキアージュが手をかざすと、礎石がより強く輝き始めた。すると、空中に無数の光の糸が現れた。
「これは……」エリンが驚く。
「リョリーディア中の人々の『繋がり』よ」ピキアージュが説明する。「家族、友人、恋人、仲間……すべての絆が、この石を通じて可視化されている」
光の糸は複雑に絡み合い、美しい模様を描いていた。しかし——
リョコが指差す。「黒く切れている糸が」
「そう」ピキアージュの表情が曇る。「切れた絆。ネクリシアに堕ちた者たちとの繋がり」
黒く切れた糸は、無数にあった。まるで、傷跡のように。
ガリオンが一本の糸を見つめる。それは彼から伸びて、途中で黒く千切れていた。
「兄貴との……」
「よく見て」ピキアージュが優しく言う。「完全には切れていない」
確かに、黒く千切れたように見える糸も、よく見ると細い光が残っていた。
「希望は、まだある」ピキアージュが微笑む。「そして、リョコ。あなたを見て」
リョコから伸びる光の糸は、他の誰よりも多く、そして強く輝いていた。
「これは……」
「あなたが繋いできた絆」ピキアージュが説明する。「りょりょ亭で出会った、すべての人との繋がり」
その時、礎石が突然強く脈動した。
ピキアージュの表情が真剣になる。
光が闇に変わり、一つの映像を映し出した。

そこには、深い闇に包まれた玉座が見えた。そして、その闇の中から響く声——
『調和の礎石か……やはり、そこにあったか』
全員が凍りつく。
「…まさか…ヴァルダルク!?」ピキアージュが叫ぶ。
『私を知っているのか…聡いではないか。そして、それが調和の子か…』
「調和の子?」リョコが震え声で尋ねる。
『お前のことだ、リョコ。お前こそ、我が探し求めていた存在』
ピキアージュがリョコを庇うように前に出る。
「何が目的!?」
『簡単なことだ。調和を絶望に変える。それが、我が目的』
闇がうごめく。
『安心しろ。すぐに終わる。次の双月が交わる夜、我は動く。調和の礎石を、絶望の礎石に変えてやる』
「そんなことはさせない!」ガリオンが叫ぶ。
『ほう、その風貌…貴様はザイリスの弟か。やつは、我が最強の将軍だ。お前も、いずれ兄と同じ道を辿るだろう』
ガリオンが歯を食いしばる。
『ピキアージュ、マロヴァンもお前を待っている。絶望のシェフとして、見事に成長したぞ』
「マロヴァン……」ピキアージュが動揺する。
『待っているがいい。次に会う時は、すべてが終わる時だ』
映像が消え、礎石は元の穏やかな光に戻った。
重い沈黙が地下空間を包む。
「双月が交わる夜…」エリンが計算する。「あと3ヶ月もないですね…」
「どうすれば……」リョコが震える。
その時、礎石が光り始めた。今度は、温かく優しい光。
『怖がらないで』
若い女性の声が響いた。それは、ヴァルダルクの虚無的な声とは対照的に、慈愛に満ちていた。
「この声は…まさか」ピキアージュが驚く。
『私は調和の礎石に宿る意志、ハルステラ。千年前、この石を作った魔法使いの想いの結晶』
光が渦を巻きながら集まり、人の形を取り始める。蒼い光で作られた、美しい精霊の姿。白い髪はクリスタルのように煌めき、その瞳は全てを内包しているかのようだった。

『久しぶりね、ピキアージュ』
「ハルステラ様……」ピキアージュが膝をつく。「百年前、一度だけお会いしたことが」
『覚えていてくれて嬉しいわ』ハルステラが優しく微笑む。『あの時のあなたは、まだ若い宮廷魔術師だったわね』
リョコたちは圧倒されて言葉を失っていた。
ハルステラがゆっくりとリョコに近づく。その歩みと共に、床に小さな光が花のように咲いていく。
『リョコ』
名前を呼ばれた瞬間、リョコの体が微かに光った。
「は、はい」
『初めまして。でも、私はずっとあなたを見守っていた』ハルステラがリョコの頬に手を当てる。

『五歳の時、雨の中で泣いていたあなたを。りょりょ亭で初めて料理を作った時のあなたを。そして、仲間たちと笑い合うあなたを』
「ずっと……見ていたんですか?」
『ええ。あなたは特別な子だから』ハルステラの瞳が優しく細められる。『あなたには力がある。人を繋ぐ力、絆を紡ぐ力、そして——』
ハルステラがリョコの手を取った。その瞬間、リョコの意識に映像が流れ込んできた。
無数の人々が、一つの大きなテーブルを囲んでいる光景。人間、獣人、妖精、精霊……あらゆる種族が共に食事をし、笑い合っている。その中心には、リョコがいた。

『これが、あなたの本当の力。絶望を希望に変える力』
『巡環の饗宴を作れたのは、あなたがいたから』ハルステラが優しく諭す。『でも、あなたは一人だった?』
リョコははっとする。そうだ、あの六つの食材を集められたのは——
「仲間が……みんながいてくれたから」
『そう』ハルステラが嬉しそうに頷く。『それこそが、調和の真髄。一人では成し得ないことも、心を合わせれば可能になる』
ハルステラは一度リョコから離れ、全員を見渡した。
『ガリオン』
「は、はい!」
『あなたの兄への想いは、この石を通じて見える。その絆は、まだ生きている』
ガリオンの目から涙が零れる。
『エリン、あなたの忠誠心と優しさが、王国を支えている』
『ピキアージュ、あなたがりょりょ亭を作ってくれなければ、この奇跡は起きなかった』
「私はただ……」ピキアージュが言いかける。
『謙遜しないで』ハルステラが微笑む。『あなたは知っていたのでしょう? いつか、こういう日が来ることを』
ピキアージュが小さく頷く。
一人一人に優しい言葉をかけた後、ハルステラは再びリョコに向き直った。
『でも、ここからはもっと大きな輪が必要。りょりょ亭に集う、すべての仲間たち。そして——』
ハルステラが手を振ると、空中に新たな光景が浮かび上がった。
黒く切れた糸が、少しずつ光を取り戻していく様子。
『見て。これが未来の可能性。切れた糸も、繋ぎ直すことができる』
『でも、それには条件がある』ハルステラの表情が少し厳しくなる。
彼女が指を一本立てる。
『まず、憎しみではなく、愛を持って。憎しみは新たな断絶を生むだけ。愛こそが、切れた糸を繋ぐ接着剤』
二本目の指。
『次に、恐れではなく、勇気を持って。ヴァルダルクは恐怖を糧とする。勇気ある行動こそが、闇を払う光となる』
三本目の指。
『そして何より——』
ハルステラがリョコの両手を包み込む。その瞬間、二人の間に強い光が生まれた。
『信じること。どんなに深い闇に落ちた者でも、必ず光は残っている。それは、あなた自身が証明したでしょう?』
「私が?」
『トルヴィンを救った時、あなたは信じた。彼の中に残る優しさを。その信念が、巡環の饗宴に力を与えた』
リョコの脳裏に、あの時の記憶が蘇る。確かに、諦めなかった。信じ続けた。
『それを、もっと大きな規模で。ザイリスも、マロヴァンも、そしてネクリシアのすべての民も。彼らの中に残る光を信じ続けることができるかしら?』
リョコは迷いなく頷いた。
「はい。信じます。みんなを。たとえヴァルダルクでも——」
その瞬間、ハルステラの表情に驚きが浮かんだ。
『ヴァルダルクまで?』
「だって」リョコが真っ直ぐハルステラを見つめる。「絶望の化身だとしても、元は何かの想いから生まれたはず。その想いの中に、きっと——」
ハルステラが感極まったように、リョコを抱きしめた。
『やはり、あなたは……』言いかけて止める。『素晴らしい子ね。その純粋な心、決して失わないで』
ハルステラの体が徐々に薄くなっていく。
『最後に一つ』
光の欠片が、リョコの胸に吸い込まれた。
『これは、私からの贈り物。窮地に陥った時、きっとあなたを助けるわ』
『リョコ、あなたの本当の物語は、これから始まる。あなたが誰なのか、なぜ選ばれたのか。すべては、時が来れば分かる』
最後の言葉と共に、ハルステラは無数の光の粒子となって、礎石へと戻っていった。
礎石は静かに脈動を続け、まるで彼女がまだそこにいることを示すかのようだった。
地下空間には、温かな余韻だけが残されていた。
「切れた糸を、繋ぎ直す……」リョコが呟く。
「でも、どうやって?」エリンが尋ねる。
リョコの目に、決意の光が宿った。
「…料理。りょりょ亭だもの、それしかないわっ!もっと強力な、もっと多くの人に届く料理を作る」
「巡環の饗宴を超えるってのか?」ガリオンが尋ねる。
「いいえ」リョコが首を振る。「巡環の饗宴を、みんなで作るんです」
ピキアージュが理解したように頷く。
「なるほど。一人の力じゃなく、みんなの力を合わせて」
「はい。りょりょ亭の仲間全員で、それぞれの得意技術で一つの大きな饗宴を作る」
* * *
りょりょ亭に戻ると、仲間たちが心配そうに待っていた。
「リョコ!」ミラベルが駆け寄る。「何かわかった?」
「みんな、聞いて」リョコが全員を見回す。「大変なことが分かったの」
事情を説明すると、店内がざわめいた。
「魔王ヴァルダルク……」ジョレルが拳を握る。
「…あと3ヶ月…」ソルヴィーヌが青ざめる。
「でも、方法はある」リョコが言う。「みんなで、最高の饗宴を作るの」
詳しい計画を話すと、次第に皆の表情が明るくなっていった。
「面白そうじゃない」シルウェンが微笑む。「建築魔法で、特別な会場も作れるわ」
「俺は最高の調理器具を用意する」ブロノールが胸を叩く。
「薬膳の知識を総動員するわ」スライアが頷く。
仲間がいる。絆がある。そして、希望がある。
調和の礎石が示した通り、切れた糸も必ず繋ぎ直せる。
そう、それはきっとオリンにも。
リョコが静かに、しかし更に力強く仲間に言う。
「さぁ…りょりょ亭、再始動するわ…!みんな準備はいい?」
