信じることをやめないために、私が変えたこと
「人付き合いで一番大切なことって何?」
昔の私なら、迷わず「相手を信じること」と答えていた。
信じた人の力になりたいし、自分にできることがあるなら惜しみなく貢献したい。相手が喜んでくれるなら時間や知識なんていくらでも差し出したい。
本気でそう思って人と接してきた。
でも、その先に待っていたのは、何度も繰り返される裏切りだった。
一人や二人じゃない。
信じた相手に都合よく利用され、傷つけられ、最終的には関係が壊れる。
そんなことを何度も味わっているうちに、私の人付き合いに対する考え方は少しずつ変わっていった。
最初の違和感を、自分で消していた
今、同じ質問をされたら私はこう答える。
「人を簡単に白か黒かで決めつけないこと」。
そして「最初に覚えた違和感を、自分で打ち消さないこと」だと。
正直に言うと、最初から気づいてはいたのだ。
相手の目つき、ふとした仕草や発言、その場にいない人への嫌な評価。
「あ、この人はちょっと危ないかもしれない」という小さなシグナルは、出会った初期からいくつも出ていた。
それなのに、私は自分の直感をわざわざ打ち消してしまった。
相手が業界の著名人だったから。
この人に認められれば自分の評価も上がるんじゃないかと思ったから。
「確かに癖のある人だけど、自分ならうまく付き合えるはずだ」なんて、妙な自信を持ってしまったからだ。
今振り返ると恥ずかしいけれど、私は相手そのものを見ていなかった。
その人と付き合うことで得られる「自分の利益や評価」を見ていたのだ。だから目が曇り、違和感から目を背けてしまった。
元警察官の癖が邪魔をした
当時の私には、人を「敵か味方か」の二択で見る極端な癖があった。
「この人は味方だ」と6割くらい判断すると、残りの4割にある違和感にはすっかり目をつむる。
一度味方だと決めつけると、相手を盲目的に信じ込んでしまう。
逆に「敵だ」と判断したら、その人の言動のすべてが悪に見えてくる。
白か黒か。正義か悪か。味方か敵か。
警察官として働いていた頃の感覚が、無意識のうちに影響していたのかもしれない。
でも、人間なんてそんな単純なものじゃない。
聖人もいなければ悪魔もいない。
誰の中にも優しさと醜さがあって、誠実さとずるさが同居している。
善意もあれば自己都合もある。
みんなグラデーションの中で矛盾を抱えながら生きている。
そんな当たり前のことに、私は何度も傷ついて、ずいぶん遠回りをして、ようやく気づくことができた。
自分の正義を振りかざしていた
人間関係を壊してきたもう一つの原因は、相手だけじゃなく、自分自身にもあった。
私はずっと「自分の正義」を振り回していたのだ。自分の価値観が絶対に正しくて、間違っている人間は正さなきゃいけない。
そう思い込み、相手の価値観を認めずに怒りをぶつけた。
言い負かすまで徹底的に戦って、相手が傷ついても「間違っている方が悪いんだから自業自得だ」と本気で思っていた。
もちろん、人を騙したり裏切ったりする行為を正しいとは思わない。
でも、だからといって自分の正義を相手に押しつける必要も、無理に理解させる必要も、勝ち負けを決める必要もなかったのだ。
ただ、そっと離れればよかった。今は心からそう思う。
もう戦わない、そっと離れる
だから最近の私は、もう戦わない。
違和感を覚えたら、静かに距離を取る。
相手を説得しようとしないし、正そうともしない。
悪さを証明しようとも思わない。
「あぁ、そういう人なんだな」とそのまま受け止めて、すっと離れる。
昔の自分にはできなかったことだ。
でも今は、これが自分を守り、同時に相手も無駄に傷つけない一番の方法だと感じている。
私が信用する人、しない人
じゃあ、今の私はどんな人を信用するのか。
愛想がいい人でも、口がうまい人でも、私を褒めてくれる人でもない。
私が信用するのは「人としての情」を感じられる人だ。
しっかり目を見て挨拶をする。
自分の気分で態度を変えない。
相手の立場によって接し方を変えたりしない。
与えられた役割を黙々と果たす。
そんな人は、たとえ少し無愛想だったとしても深く信頼できる。
逆に、どれだけ感じが良くても、立場の弱い人に横柄だったり、人によって態度を変える人は信用しない。
特に「りょうさんのことが好きなんです」なんて言葉を何度も口にする人は警戒する。本当に好意を持っているなら、わざわざ言葉で繰り返さなくても行動に出るはずだ。何度もアピールしてくる人ほど裏に別の目的があることを、嫌というほど学んできた。
それでも人を信じたい
それでも、私は人を信じることを諦めたくない。
何度裏切られても、何度傷ついたとしても、「どうせ人は信用できない」「誰も信じない」なんて冷め切った人間にはなりたくないのだ。
ありがたいことに、私の欠点も弱さも全部知ったうえで、変わらず付き合ってくれる人もいる。
一番は妻だ。
一見すると人当たりが良さそうに見える私だが、実際はかなりわがままで自己主張が強く、自分の正義を振り回してしまう面倒な性根を持っている。
そんな裏も表も知ったうえで、妻は今も隣にいてくれる。
良いときは褒めてくれて、悪いときは寄り添ってくれて、時には耳の痛いこともちゃんと言ってくれる。
それでも最後は絶対に味方でいてくれる。私にとって「本当に信頼できる人」というのは、まさに妻のような人のことだ。
たどり着いた答え
人付き合いで一番大切なこと。
昔の私は「相手を信じきること」だと思っていた。でも今は違う。
相手を白か黒かで決めつけず、最初に感じた違和感を無視せず、調子のいい言葉ではなく積み重ねられた行動を見る。
合わない人を正そうとせず、静かに距離を置く。
そして何より、傷つくことを恐れて「人を信じること」自体を投げ出さない。
人を信じるハードルは、以前より少し高くなったかもしれない。
けれどその分、一度築けた信頼は前よりもずっと大切にできるようになった。
これからも人に傷つくことはあるだろうし、また人を見誤ることもあると思う。
それでも私は、人を信じて生きていきたい。自分の直感を裏切らず、自分の心もしっかり守りながら。
その両方を大切にして、これからも人と付き合っていきたい。
