見出し画像

自己紹介【16000字を超えてしまいました…】

皆さん。こんにちは!!
コツコツ継続の会社員のRYOさんです。

「NOTE」は、2021年1月4日から毎日配信し、皆様のおかげで1400号を超えるまで続けることができています。

そんな私ですが、改めて自己紹介としようと思い、今回、書き上げてみました。

詳細が書けない部分もありますが、気づけば16000字を超えてしまいました。

でも、私自身の半生を振り返っている紹介になりますので、少しでもこんな人間だということを知って頂ければ幸いです。

簡単な概略は以下のとおりです。


名前:RYOさん
性別:男
年齢:40代前半
家族:妻1人、子供2人
属性:会社員(マネジャー)
趣味:ロードバイク 、釣り、キャンプ
  ランニング、読書、ゲーム、魚飼育、漫画


本業では、大学卒業後、金融に入社。当時の私は、「自分はできる」と勘違いし、社会人生活の厳しさを思い知る日々が続きました。

しかし、父親の会社倒産をきっかけに危機意識と自立心が芽生え、目の前の仕事に本気で向き合うようになりました。

ただ、その結果、思考停止となり目の前の仕事に没頭するようになるのです。

その結果、30代中盤になって、私にとってこの世で1番大切な家族を顧みない生活が続けた結果、妻は育児やストレスで精神的に追い詰められることに…。

妻の病気をきっかけにようやく我に返り、猛烈に反省し、自分の人生を本気で考えるようになったのです。

「人生で本当に大切なこと」に気づけた瞬間です。

その後、本当の学びが始まり、様々な人との出会いや読書という学びを通じて、自分の考えや価値観を見つめ直す時間を持つようになりました。

他者の生き方や考え方に触れることで、自分の過去の失敗や成功を振り返り、そこから多くのヒントを得ました。

そして、現時点でたどり着いたのは…

「人生をより充実させるためには、明確な目的を持ち、それを実現する仕組みを日々の習慣に落とし込むこと」

という結論です。

目的があるからこそ、日々の努力に意味が生まれ、行動が続きます。

そして、その積み重ねが小さな変化を生み、やがて、大きな成長へとつながります。

今では、仕事だけでなく、家族、健康、人間関係、趣味など、人生を豊かにする多くの要素を大切にしながら、目的を軸に行動を習慣化しています。

金融事業会社で新規事業開発のマネージャーを務める一方で、育児や情報発信にも積極的に取り組み、心身ともに充実した毎日を過ごしています。

私の人生は決して順風満帆ではありません。失敗や挫折を何度も経験し、それでも諦めずにコツコツと努力を積み重ねてきました。

その結果、少しずつ人生を変えることができました。

僭越ですが、私の43年間の歩みを少しでもご紹介できればと思います。以下が目次です。

幼少期

1980年12月、大阪で生まれました。
3歳のとき、父親の仕事の関係で奈良へ移住。それ以来、奈良で育ちました。

自分で言うのもなんですが、とにかく元気な少年で、1年中半ズボン姿(今でいうホットパンツのような半ズボン)で過ごしていました。

当時の半ズボンは短く、足は乾燥して真っ白になりながらも、風邪ひとつ引かない丈夫な子どもでした。

田舎だったので、公園や山、畑を友達と駆け回り、毎日外で遊んでいた記憶が鮮明です。

当時はゲーム機もなく、外遊びが中心で、家では「仮面ライダー」や「ウルトラマン」をひたすら見ていた記憶があります。

ただ、父親が自営業だったこともあり、家にいる時間は少なく、父と話すときは少し緊張していたような気が…(今は良好な関係です(笑))

小学校時代


私の低学年時代は、幼稚園の延長のようなものでした。とにかく外で遊ぶことが中心で、近所の友達と毎日のように遊び回っていました。

近所のメンバーは、同じ小学校の子たちだったので、日々の遊び仲間はほとんど変わりません。

進化した遊びといえば、「ビックリマンシール」くらいでしょうか。あの頃はただひたすらカードを集め、友達とビックリマン勝負に夢中でした。

しかし、一方で、両親がある信仰活動に熱心だったこともあり、放課後、帰宅しても家にいないことが多かったのです。

夜も活動などで両親(父親は仕事が多かったですが…)が出かけることがあり、子供ながらに寂しい思いをしていました。

むしろ、その活動を憎んでいた側面もあったのでしょう。

ただ、両親が大切にしていることだと分かっていたので、「わがままを言ってはいけない」と我慢していた記憶があります。

その経験が、ある意味で「我慢強さ」を育てたのかもしれませんが、正直なところ、辛かったのは事実です。

今は、その思いも両親には伝えています。

さらに、今の自分自身も目的を持って生きることが理解できているので、「親の活動に共感はできないが理解できる」旨はきちんと伝え、お互いに分かり合えています。

話を戻すと、そんな日々の中、小学3年生のとき、ついに我が家にファミコンがやってきたのです。

最初に、やっぱり『スーパーマリオ』。

夜、両親が留守の時が実はチャンス!!弟と一緒に、親が帰ってくるまで、ひたすら色々なゲームをして過ごしていました。

そして、私にとっての運命の出会いが『ドラゴンクエストIII』。

初めてプレイしたとき、心の底から「こんな面白いゲームを自分でも作りたい!そして、自分と同じように喜んでもらいたい!!」と感じたのです。

この時の気持ちは、今でもしっかりと胸に残っています!!

実際、高校でその夢を諦めてしまうのですが、社会人になって、自分の仕事を俯瞰するようになって、夢の形は変えども、「新しい企画や商品を開発し、お客様に喜んでもらえる仕事をしている」と気づくこともできています。

そう解釈すると、夢の形は少し変わりましたが、本質的に「誰かの心を動かす」という部分は実現できているのだと思っています。

当時は、ゲーム以外にも、少年ジャンプ絶世期。月曜の学校は、ジャンプの話題で盛り上がるのが定番でした。

『ドラゴンボール』
『スラムダンク』
『幽☆遊☆白書』
『ジョジョの奇妙な冒険』
『ダイの大冒険』
『キャプテン翼』
『ろくでなしBLUES』
『忍空』

など、黄金時代のジャンプ作品にどっぷりハマっていました。特に、私はドラゴンボール派で、気を操る練習を本気でお風呂場でしてみたり、空を飛べると信じてみたり。

まさにマンガの世界に生きていました(笑)

その一方で、勉強は全く手をつけず、宿題もせず、テストの点数が60点を取れれば上出来という感じでした。

だから、テストもずっと机の中に入れたまま、終業式にグチャグチャになった状態で持って帰るようなダメ学生でした(笑)

ただ、小学校5年生になると、両親から中学受験をすすめてきたのです。

当時の私には、「受験」の意味すらよく分かっていなかったのですが、親を喜ばせたい一心で受験を決意。

それから毎日のように塾に通い始めましたが、今まで勉強してこなかった少年がいきなり勉強漬けの日々になり、相当なストレスを感じたのでしょう。

その影響でアトピーがひどくなり、顔と関節各部に強く現れたのです。ピークは、寝る時にかかないように包帯まで巻いて寝る始末…。

丁度、外見に対して意識し始める年頃であり、アトピーのせいで、自分の見た目に対する自信を失うようになりました。

今思うと、自信の無さから下を向いて歩いたことも度々あったと、今も覚えています。

ただ、不思議なもので、塾に通い続けているうちに少しずつ成績が上がると、それがまた自信に繋がっていったのです。

『努力を続ければ成長できる』

「こんな自分でもできるんだ?!」と思えたことは、大きな収穫だったと思います。当時の夢は、歴史が好きだったこともあり「歴史博士」になることと卒業文集にも書いていました。

中学受験は塾に行き学力は伸びたのですが、結局、失敗したのです。

親には申し訳ない気持ちもありましたが、正直なところ「ほっとした自分」もいたのです。

受験勉強からの解放感や、進むべき道が親の敷いたレールから外れたことに対する安堵感。

その後は、地元の中学校に進むことになりましたが、この経験は、今振り返ると、「頑張り続けることの大切さ」と「自分に合ったペースを知ること」の両方を教えてくれたと解釈しています。

これが私の小学校時代の記憶です。

遊び、ゲーム、そして少しの勉強。楽しいことも辛いこともあった日々でしたが、振り返ると自分という人間を形作った大切な時間だったと思います。

中学生時代


小学生の頃、外で遊ぶことが好きだった私は、なんとなく色々なスポーツが平均的にできる少年でした。

しかし、特に熱心に取り組んでいたスポーツがあったわけではなく、中学に入る際の部活選びに悩んだのを覚えています。

当時、「キャプテン翼」に夢中だったこともあり、中学ではサッカーをやりたいと思っていました。

ですが、残念ながら中学にはサッカー部がなく断念。また、「スラムダンク」の影響で、バスケットボールにも憧れていましたが、自分のアトピーによる外見が気になり、露出の多いバスケットのユニフォームに自信が持てず、これも断念。

最終的に選んだのは、テニス部。
もう何となくです。

部活を始めてから、最初はボール拾い、ランニングと筋トレ、素振りだけの日々で、結構辛い記憶があります。今考えると、当たり前ですが、当時は、あまり理解できていなかったのでしょう。

たた、毎日運動するうちに、明らかにアトピーの症状が大幅に改善されたことで、私にとっては、密かに少しずつ自信を取り戻す機会になっていたのです。

アトピーの回復で外見を気にすることはなくなり始めたのですが、やはり昭和の時代。

テニス部は、結構体育会系の部活で、「夏休みは強制的に坊主」がルール化されていました。テニスに坊主は合わないでしょうが(笑)

初めての坊主経験。床屋で丸刈りをお願いしに行った日に、床屋のおじさんから「にいちゃん。悪いことしたんか?」と笑いながら聞かれ、返答に困った自分がいたことを今もよく覚えています。

当時は嫌でしたが、それも、今では良い経験になったと思っています。

結局、部活は3年間通してすることができましたし、市大会では優勝するなど、弱小ながらに頑張っていました。

そんな部活を通じて運動を楽しむ一方、次第に音楽にも興味を持つように。部活が終わって、家に帰ると、夜10時からは、ラジオタイム。

ラジオ大阪のブンブンリクエスト。
その音楽ランキングを毎日聴くのが楽しみで、B'zの「裸足の女神」やミスチルの「innocent world」がランキング上位の時代。

部屋の窓を開けて、夜空を見ながら、よく聞いていました(笑)。物思いにふける学生さんでした。

また、当時は、カセットテープだったので、録音もしていたのを覚えています。

そんな日々を過ごしながら、3年生になるまでは、部活仲間や友達、学校生活を楽しみ、多少は勉強もしていた普通の中学生でした。

しかし、中学3年生になると、クラスに「イケてるグループ」というヒエラルキーが生まれ、自分もその中に入りたいと思うようになりました。

見栄を張って加わったものの、これが苦しい経験の始まりでした。

自分に合わない会話や雰囲気に無理して馴染もうとする日々。

ある意味で、自分を押し殺してグループの中に居続けるのは辛く、それでも「1人ぼっちだと思われたくない」というプライドのために耐えました。

そんな中、グループの一人と揉め事が起き、関係がぎくしゃくしても、周りの目が気になって抜ける勇気が持てない自分。

結果的に、さらに息苦しくなり、学校を終えて後は、本来塾にいくはずが、現実逃避するようにゲーセンに通うようになってしまったのです。

その頃は勉強にも手がつかず、結果的に定員割れの高校に何とか合格。内申点に助けられた部分はかなりあったと思いますが…。

ただ、「とにかく早く卒業したい」と思っていたので、それはそれで良かったのかもしれません。

中学3年の辛い時期を支えてくれたのは、やはりテニス部の仲間と近所の仲間。やはり、持つべきは心の友とそう思えたくらいです。

3年生は苦い思い出が多かったですが、「集団に合わせることの安心感」「周りの目を気にして無理をすること」が、どれほど自分を苦しめるのかを理解したのです。

ただ、それは、社会人になるまで、それらは続くのですが…

高校時代


高校に入学したとき、すべてが新しい環境でとても新鮮。自分の過去を知っている人はいない。そう思うと、とても嬉しく感じたのです。

中学3年生のときには、自信を失う出来事が多くありましたが、高校では新しい環境のおかげで「進化したい」という気持ちが生またのです。

しかし、中学時代の自信の欠如は、影響を残していたのです。

高校1年生のとき、テニス部に入ろうとしたものの、自分より上手い人が多いことに気後れし、結局は断念。

その後、なぜか初心者だから「失敗してもいい」と自分を奮い立たせ、サッカー部に入部したのです。中学生のときに入れなかった反動かも知れませんが…。

当たり前ですが、未経験だったため苦労が続き、自分の不器用さに悩む日々。

結局、チームは弱小ながら、同級生が次々とユニフォームをもらう中、自分だけがもらえず、悔し涙を飲んだ経験もあります。

また、そんな状況のときに、初めて女性に告白。結果は、見事に撃沈し、自分の未熟さを痛感(笑)

この出来事もあって、さらに自信を失いました。

ただ、その頃からおしゃれに興味を持つようになったのです。服を選ぶことで、少しでも自分に自信をつけようとしていたのかもしれません。

その頃から、地元の中学時代の友人たちと再び交流するようになったのです。

中学の頃とは激変し、自由奔放に楽しく過ごしている友達を見て、自分もそんな風に自由に生きたいと思ったのです。学校という閉塞感に嫌気がさしていたのでしょう(笑)

そこから、すぐにサッカー部を退部。

だらだらとした学生生活が始まります。

何をやるわけでもなく、ただみんなで毎日集まってカラオケに行ったり買い物に行ったり、という日常。その原資の資金はバイトで稼ぐ。

さらに、友達の中に、バンドやっている友達がいて、色々な経緯があって私がベースをやることになったのです。

でも、それが良かった。

私にとって、夢中になれるものを見つけたのです。とにかく練習するのが、楽しく時間を忘れてベースを聴いていました。

そして、ライブ。

よくアメ村に行って、古着屋で服を購入、他人のライブ見たり自分がライブをしたりと充実した日々でした。

高校時代で、1番楽しかったことですね。

ちなみに、そんな生活をしているので、全く勉強はせずの状態になっていました。

だから、中間・期末テストの度に赤点ばかりで、親に呼び出されることもしょっちゅうでした(笑)

ただ、高校2年生になると、進路として文系か理系を選ぶ時期がきたのです。

それまでも、ずっと心の片隅に、「ゲーム開発者になる夢」を持っていたのです。当時は、「ゲーム開発=理系」と考え、理系に進むべきか悩んだのです。

しかし、仲の良い友人が皆文系を選んだこともあり、「今が楽しければいい」と短絡的に考えに流され、見事に文系を選択することに…。

そのとき、ゲーム開発者の夢が崩れていく音がしたことを今でもはっきり覚えています。自分で選んだのですが…(笑)

そして、高校3年生になると、周囲の多くが就職や専門学校を目指していたこともあり、別にやりたいこともなかったので、自分も働こうと考えていました。

しかし、父からは、「本当にやりたいことなのか考えてみろ。なければ大学に行って探せ」とアドバイスを受けたのです。

そこで、短絡的に、「もう少し遊べる時間が伸ばせる」と安易な気持ちで大学進学を目指すことを決めました。

ただ勉強を始めましたが、それまでほとんど勉強してこなかったため、勉強習慣もなく、就職する友達に遊びに誘われたら遊ぶ。

そんな日々を過ごしていたので、当然の如く、受験に失敗。本当にどこにも受からず。

結構ショックでしたが、大学に行く以外の選択肢がないので、結果として、浪人生活を送ることになります。

ただ、これが私にとって人生を変える起点になったのです。

浪人時代


浪人して初めて気づいたのは、浪人生活が「社会からのはみ出し者」ともいえる立場であるということでした。

それまで当たり前にあった所属する学校やクラスという枠組みがなくなり、初めて「どこにも属さない」という感覚を味わったのです。

そのときの孤独感は非常に大きく、今までは自動的に流されていた日々から、初めて「自分の力で前に進まなければならない」という現実に直面した瞬間でした。

本当の意味で、初めて危機感を持ったのかも知れません。

ただ、そのとき感じた危機感が、私を奮い立たせてくれたのです。

「ここで本気を出さなければ、自分は本当にダメになる」

という思いが、浪人生活を頑張る原動力に。

正直にいうと、私は浪人して良かったとポジティブ解釈しています。

浪人生活は、毎日勉強だけに集中する単調な日々でしたが、私にとって非常に意味のある時間になったのです。

平日のスケジュールは次のようなもの。

午前9時〜12時:予備校で授業
午後1時〜7時:予備校の自習室で勉強

この生活が月曜日から土曜日まで続き、日曜日は完全に休むという予備校の方針。

このサイクルを1年間徹底的に繰り返す日々。

その習慣的な日々の中で、私は「人は習慣の力で成長できる」ということを実感するのです。

小学生の頃に受験勉強で頑張った記憶が蘇り、「やればやるだけ成果が出る」という当たり前のことを再認識できたのです。

当初、私は偏差値40以下のダメ学生からのスタートでしたが、毎日の仕組みの中で努力を続けた結果、最終的に同志社大学に合格することができたのです。

この経験を通じて、初めて「コツコツと努力を積み重ねることで目標を達成できる」という感覚を体験することができたのです。

むしろ、きちんと目標をもって長期間に渡って努力し、何を達成したのは初めて近かったかも知れません。

だからこそ、浪人生活は、私にとって思い出深いものであり、自信を形成してくれた大きな要因の一つです。

「目的を持ち、その目的に向かって長期間努力する」という習慣をこの1年間で学ぶことができたのです。

そして、ついに華のキャンパスライフとなる大学へ進学することになったのです!!

大学時代


晴れて大学に合格し、浪人時代の仲間も含めて何人かの知り合いがいる状態で大学生活をスタートすることができました。

しかし、大学という環境は、それまでの学校生活とは勝手が大きく異なります。

これまでは、与えられた環境で、与えられた仲間と過ごせばよかったのですが、大学では、自ら動くことで世界が広がっていく環境。

つまり、色々な人に声をかけたり、自分から話しかけたりすることで、人脈が広がる場所。それが大学です。

そのため、行動する人はどんどん成長し、行動しない人はそのままというのが大学の特徴だと思います。

私は、浪人経験を経て多少の自信を得ましたが、本質的には人見知りで、自分に自信が持てない部分があったのです。

そのため、自ら積極的に声をかけたり、世界を広げたりすることがなかなかできませんでした。

特に、高校時代にバンド活動をしていたこともあり、軽音楽部やサークルに入ろうと思っていたのですが、実際に見学に行くと周りの人たちが上手に見えたのです。

そこで、自分が「しょぼい」と思われるのが嫌で、結局、軽音楽部やサークルへの入部を諦めてしまいました。自分から逃げていたのでしょう。

その結果、なんとなく浪人時代の友人たちに流されてテニスサークルに入ったものの、特にやりたいことがあったわけでもなく、悩みを抱えていました。

そのときの大きな悩みが、目標です。

大学合格という目標に向かって浪人時代は頑張っていたのですが、それがなくなり自分は何を目指すのか?という心にポカンと穴が空いた感覚だったのです。

「今なら、新しい目標だろ?」ってなるのですが、当時の自分は理解できず。

その中で、商学部だったこともあり、とりあえず簿記の勉強を始めてみることにしたのです。

簿記を学び始めると意外と面白く、徐々にのめり込んでいきました。

簿記3級、2級を取得した後、「どうしようか?」って考えたときに、その延長で税理士という資格があることを知り、安易な気持ちで税理士試験の勉強を始めることにしたのです。

しかし、税理士は簡単に取れる資格ではなく、また、私自身に「本気で税理士になりたい」という強い目的意識がなかったこともあり、周りが楽しそうに遊んでいるのを見て、1年間で挫折…。

ただ、この経験を通じて、何かに資格を取得する際には、きちんとした目的意識がないと長続きしないということを学びました。

その後、税理士試験を挫折してからの私は、目標を見失い、パチンコをしたり遊んだりする日々を過ごしていました。

3回生になって、大学のゼミが始まり、少しずつ人との人間関係を広げることができるようになり、多少は楽しくなったのを覚えています。

また、親にお願いして1ヶ月間の海外留学も経験し、異文化に触れることで、自分のフィールドを少しずつ広げる経験もしたのです。

そんな中、父親の仕事の関係で家族が東京に引っ越すことになり、私は一人で暮らすように。

弟は、すでに家を出て住み込みで仕事をしていたので、本当の意味で1人になったのです。

しかし、両親が東京にいくと、環境変化や更年期障害も相まって母親が精神的に不安定になり、私にとって大きな衝撃を受ける出来事が起こりました。

あれだけ優しかった母が人が変わったように目つきが鋭くなり、お酒を浴びるように飲む姿を見て、「人はここまで変わるのか」と驚いたのを今でも覚えています。

結果的に、時間の経過、病院での治療のおかげで母の症状は少しずつ改善しましたが、当時の衝撃は忘れられません。

この出来事が私に、「人に迷惑をかけてはいけない」という強い意識を植え付けたのかもしれません。

就職の際は、ゲーム開発者への夢は諦めていたので、ゲーム会社を受けることもなく、悩みました。

就職氷河期だったので、どこも厳しい。

そんな中、「お客様と一緒に苦しみを分かち合いながら会社を良くする」という経営コンサル会社の特集をテレビで観て、「これだ!
」とホールインワンしたのです。

でも、実際に受けても、頭の良い人ばかりで当然受からず。

そんな中で、金融のお客様の本業支援をしていることを知り、就職先として選ぶようになったのです。

結果的に、多少安定している業種、親も安心すること、関西から離れないことなどを加味して、今の会社に何とか採用してもらえたのです。

そこから、社会人としての歩みを始めることになっていきます。

社会人(1年目から3年目前半)


私は社会人1年目、本当になぜか分かりませんが、「自分にはできる」と勘違いして入社しました。

しかし、新入社員研修で次々と現実を突きつけられます。

漢字が書けない
スーツの着方がわからない
挨拶ができない
髪型が不適切
敬語使えない

など、全てにダメ出しを受け、自分は“ポンコツ”扱い

さらに、現場へ配属されても、行動や態度が未熟であることを痛感し、その影響で仕事の幅も広がらず、人間関係も上手くいかず。

当時は本当に苦しかったです。

何が苦しいのかといえば、自分が周りから必要とされていない、役に立てていないという感覚。本当に辛かったです。

そして、仕事の空回り。

毎日、怒られるばかりで、「このままでいいはずがない」と思いながらも、何をどう改善すればいいのかわからず、ただ凹む日々。

そんな中で、小さな希望が開けたのは、直属の先輩の異動。そのおかげで、私が先輩のポジションに入ることになったのです。

そこで、「自分がやらなければ」という思いで、目の前の仕事に一生懸命取り組みました。

その結果、少しずつ周囲から認められるようになり、何とか必要とされる存在になったのです。

社会に出ると、何が正しいのかは誰も教えてくれません。そのため、自分が信じたことをしっかりとやることが大事だと今では思いますが、当時の私はなかなかそのことに気づけませんでした。

そんな辛い船出を経験していますが、社会人になって良かったこともあります。

学生時代は、常に誰かと群れで行動するのが当たり前でしたが、社会ではそれが判断基準ではありません。

仕事ができるかどうか、それだけが評価基準です。無理に人に合わせる必要がないという点は、私にとって非常にありがたいことでした。

シンプルに、目の前の仕事を頑張れば良いだけだったのです。

振り返れば、社会人1年目から2年目後半まではとにかく目の前のことに全力を注いだ時期でした。その経験を通じて、社会人としての基礎が少しずつ身についたように思います。

そこから順風満帆にいけばいいのですが、次は初めての転勤・異動が待っていたのです。

社会人(3年目中盤から7年目)


社会人3年目。私はそれまでの店舗で必要とされる存在になれたのが、多少評価されたこともあったのでしょう。

新たに開店する新設店舗への異動が決まったのです。初めての異動です。

新設店舗ということもあり、そこには実力が揃った個性豊かなメンバーばかりが招聘されていたのです。

そんな中で、私は1番若手。
雑務は全て私。

3年目になって、また全ての雑務こなす日々が辛いという思いが顔に出たのでしょうね。

先輩たちの雑務も適当にこなすことがバレ、次第に「使えないやつ」とレッテルを貼られるようになったのです。

だから、人間関係も上手くいかず、いびられる日々が始まったのです。

自分の至らなさや能力のなさに嫌気がさし、営業成績も全く振るわず、自己嫌悪に陥った時期もありました。


しかし、それ以上に「周りがこんな人ばかりだから自分はダメなんだ」と、環境のせいにしていた自分もいたのです。

そんな状態だったので、会社を辞めようかどうか悩む日々を過ごしていました。

そして、「もう辞めよう!!」と思ったときに、家族に大きな出来事が起こるのです。

それが、父親の会社が倒産するという話。

父は、父の兄と会社経営していたのですが、その兄がいくつか問題を起こし、会社を続けられなくなったのです。

その時の父は本当に辛そうで、私も胸が締め付けられる思いでした。しかも、年に一回集まる正月の場で、その話を打ち明けられたのです。

だから、あの時の正月は今でも忘れません。
父親の顔、家族の雰囲気を含めて忘れてはならないと。

母親は、「皆が暗い顔をしている」といって、無理に元気を装い、皆を励ましていたのも、辛かったです。

そして、その出来事をきっかけに、私は初めて「父親には頼れない」という危機意識を持ったのです。

それまでは、心のどこかで「会社を辞めても父が面倒を見てくれるだろう」という甘えがあったのかも知れません。

しかし、このとき初めて自立心が芽生え、「自分で努力しないと、本気で詰んでしまう…。目の前の仕事に本気で向き合おう」と決意したのです。

むしろ、自分が父親の分まで稼ごうと思うくらい強くなろうと考えたのです。

結果として、父親の会社は倒産したのですが、一店舗だけ残る格好に。

その一店舗をきっかけに、そこから約15年かけて、20数店舗まで増やしている現在。

父親の頑張りに感服するばかり。
そんな父親の背中を見ながら、自分の人生を切り開く、逆境から立ち直るとはこういうことだと学べた気がします。

話を戻すと、父親の会社の倒産をきっかけに、自分の思考は、他責思考から自責思考へと切り替わったのです。

その結果、営業成績も伸び上手くいくようになり、徐々に周囲からも評価されるようになりました。

しかし、評価されるようになると、今度は自分を過信するようになります。

「自分はできる」と勘違いし、調子に乗ってしまうのです。これが後に苦労する火種となります。

そんな中で、余力を持ちながら仕事ができるようになったときに、改めて何かを目指そうかと考えたとき、ふと思い出したのが税理士の資格でした。

しかし、仕事をしながら資格勉強を進めるのは難しく、20万円を払って申し込んだ講座も1カ月足らずで挫折。

本当に、学ばない人間だったと(笑)

強く目的意識が芽生えるまで、資格をとらないと決心したのです。

そんな生活を4年余り過ごし主任にも昇格し、中堅社員になりつつある中、次の異動が待っていたのです。

社会人(本部編/前半)


7年目になって、次の異動先も営業店(現場)かと思っていたのですが、予想外にも本部セクションへの異動。

本部への異動をきっかけに、少し自分も評価されているのだろうと調子に乗っていたのでしょう。

しかし、実際に本部に行ってみると、それまでの世界とはまったく異なり、まるで転職したような感覚。

今までの現場の仕事とは、すべてが違う。人間関係、仕事のやり方、進め方を含めて別世界でした。

そんな環境の中で、自分の過信と勘違いしていたことに気づかず、新しい環境に適応しようとする姿勢が欠けていました。

その結果、全く仕事がうまくいかず、また、辛い日々が続きました。

そして、自分ができないのは、この環境や上司のせいだと勝手に決めつけ、いわば“他責思考”にまた陥っていたのです。

一旦、自分はできると過信してしまったからこそ、「いつか周りが自分を理解してくれるだろう」と甘い考えを抱いていたのです。

当然、そんな姿勢では何も変わらず、仕事はできないまま半年ほどが過ぎました。

その頃には、また「もうこの仕事を辞めようか」と本気で思うように…。

そんな時、前の店舗での経験を思い出したのです。結局、その時も周りのせいにしていた自分がいて、それが原因でうまくいかなかったのだと、自分を振り返ることで気づいたのです。

つまり、自分が考え方を変えなければならないということを再認識したのです。

そこで、もう一度自分自身を見つめ直し、気づいたことは、「自分ができることはまだたくさんある」ということでした。

その“できること”に全力で取り組んでいなかったのです。

周囲に「伝わらない」、「理解されない」と嘆いていても、それは自分が本気を出していないからだと気づきました。

そこからは、目の前の仕事に一生懸命取り組むことを決め、自分のできることを全力でやるようになりました。

すると、また不思議と少しずつ状況が変わり始めたのです。

仕事にも成果が出るようになり、上司との関係性も改善され、周りからも認められるようになったのです。

やっぱり、目の前のことに本気で向き合う大切さを改めて実感。

そして、その頃、現在の妻との結婚。
結婚を機により一層、「仕事に精を出そう」と目の前の仕事に一生懸命になっていくのです。

ところが、それがいつの間にか、目の前のことに没頭するあまり、思考停止状態に陥るようになっていった原因なのですが、その時は気づかず。

社会人(本部編/後半)


私は、中堅社員としてのキャリアを歩む中で、大きな転機になる出来事が。

それが上司が転勤。

その上司の異動によって、私がその上司のポジションへ就くことになったのです。昇格してマネジメント職に就くことに…。

それまで、誰かに判断を委ねていたものをすべて自分で決断しなければなったのです。

その瞬間から、孤独や責任の重さを初めて実感するようになります。

その結果、心に余裕がなくなり、人材育成のプレッシャーに押しつぶされそうになりました。

「自分と同じような人間を育てなければならないという思いが強く、知らず知らずのうちに自分の価値観を部下に押し付けていたのです。

私は、すべての人の能力や行動が同じだと捉え、自分が育てられてきたように同じ方法で部下を指導しようとしていました。

それぞれの個人差やモチベーションの違いを理解せず、一部の部下に強く当たりすぎたこともありました。

振り返れば後悔するばかりですが、当時の私はその問題にすら気づいていませんでした。

そんな中、たまたま女性の部下を持つ機会があり、彼女を通じてようやく「個人差」というものに気づくことができました。

彼女は、私が想定していたようなモチベーションを持っていませんでした。

それが良いきっかけになり、他の男性部下についても同じだということに気づくことになったのです。

つまり、全員が「仕事ができるようになりたい」、「何かを成し遂げたい」と思っているわけではなく、人それぞれに考え方があり、得意不得意もあるのだということを理解したのです。

もし彼女がいなければ、今頃、パワハラで訴えられていたかも…?!

本当に気づけてよかったと思います。

もう一つの問題として、仕事に没頭していく生活の中で、私は家庭を顧みる余裕を失っていました。

育児や家事はすべて妻に任せきりで、結果として妻は育児ストレスやさまざまな要因から精神的な病気を患うことになってしまったのです。

あのとき、私は「目の前の仕事さえこなしていれば良い」と勝手に思い込んでいました。

しかし、妻の病気をきっかけに「家族のことをもっと考えるべきだった」とようやく気づくのです。

深く自分を悔やみました。

「もっと相談に乗ればよかった」
「もっと話を聞けばよかった」

と何度も思いましたが、当時の私は妻に「任せているつもり」で、本気で向き合っていなかったのです。

そこから、私は「人生とは仕事だけではない」と強く意識するようになりました。

家族のことを考え、健康や友人との関係も大切にする。そうした「バランス」を意識するようになったのです。

そこから、ようやく「幸せとは?」、「人生とは?」って漠然と考えるようになるのです。

まさに、目の前のことだけに専念し、思考停止状態だった私が、30代中盤でようやく気づけたのです。

ただ、気づけても現実をどのように変えていくのか?それが分からず、右往左往する日々がしばらくは続きます。

社会人(本部編/30代中盤の気づき)


30代中盤、私は自分自身がどこへ向かうのか、何をしたいのか、そして、どういう状態が幸せなのかを改めて考えるようになりました。

その過程で、過去の出来事を思い出すようになったのです。

浪人時代は明確な目標があったため、その目標に向けて努力を続けることができていました。

しかし、振り返ってみると、現在の自分には目標がないため、何をどうすべきかわからず、漠然と日々を過ごしていたことに気づきました。

ただ、気づいただけでは何も変わらず、進展もない日々が続いていたのです。

そんな時、鮒谷周史さんの「平成進化論」というメルマガに出会うのです。そこで、目標を持つことの大切さ、人の変化・変容について学ぶことになるのです。

ここで、私は完全にホールインワン。

あのタイミングで出会ったからこそ、私に響いたと思っています。

それまでにも、自己啓発本をいくつも読んでいましたが、それらは「なんとなく」読んでいたため、自分の中に深く落とし込めていなかったのです。

しかし、あのタイミングでようやく「自分の人生に目標がなければ、ただ流されるだけだ」という現実に向き合うことができたのです。

また、私自身、「仕事が全て」だと思い込んでいた考え方も、大きな出来事を通じて変わりました。

それが先ほどもお伝えした妻の病気です。
(おかげさまで、妻の容態は、半年くらいかけて回復に向かうことになったので、良かったですが…当時は、仕事を休んだり、結構苦労はしましたが、休んで良かったと思っています) 

この経験を通して、人生で本当に大切なものは何かを深く考えるきっかけになっており、それ以降、様々な学びを始めることで、新しい挑戦に目を向けるようになりました。

例えば、タバコを吸っていた頃、「タバコを吸う人間は運動ができない」と勝手に決めつけていました。しかし、それは単なる思い込みだと気づき、ロードバイクに興味を持つようになりました。

きっかけは漫画『弱虫ペダル』で、その影響でロードバイクを始めたのです。

ロードバイクを通じて、「もっと早く走りたい」、「健康な体でいたい」、「80歳まで働き続けたい」と考えるようになり、結果的にタバコもやめることに成功。

このように、小さな挑戦が連鎖的に大きな変化を生むことを実感しました。

それから私は、自分の人生の目標をきちんと言語化し始めました。

日記を書いたり、ブログに良い言葉を残したりする習慣を取り入れ、少しずつ自分の思考や行動を整理するようになりました。

このプロセスを経て、ようやく「自分で選択し、自分から何かを始める」という感覚を得られるようになったのです。

この時期は、自分の価値観を見直し、より良い人生に向けて歩み始める大切な転機になったのです。

社会人(現在/進化編・まとめ)


それ以降、私は「継続する力」を意識するようになりました。目標に向かって何ができるのかを考え続ける中で、「やり続ける力」が自分の中に芽生えてきたのです。

この「継続する力」を持ち続けることで、自分との約束を守れるようになり、それが結果として自信につながっていきます。

また、過去の自分を振り返ることで、今の自分がどのように形成されているのかにも気づけるようにもなったのです。

こうやって、目先の短期思考ではなく人生という長期的思考へシフトすることで、挑戦することへの抵抗感がなくなってきたのだと思います。

たとえば、ロードバイク、釣り、料理、ランニング、キャンプ、ブログ、日記、SNS投稿。

さらには仕事でも、以前は少し躊躇していたことが少しずつできるようになっています。

それによって、「自分で選んでいる」という実感を得られ、挑戦するたびに「自分は成長できる」という確信も深まります。

この2つが合わさることで、人生が充実しているという感覚を多少なりとも得られるようになりました。

さらに、仕事で挑戦し続けることで、誰かに喜んでもらえる機会が増えました。

私は過去、自分が夢に描いていた「ゲーム開発者」は諦めたと認識していたのですが、自己理解を深めることで、今までやってきた企画の仕事も抽象度を上げれば、同じことに気付けたのです。

何かを企画、開発し、それによって誰かに喜んでもらえる

それが、私にとって何よりも嬉しいのです。形を変えてはいますが、夢のカケラとして実現していたのです。

さらに、自分が成長するほど仕事がより楽しくなり、その感覚を得られることが、現在の私の楽しみになっています。

だからこそ、これからも人生をより良くするために、「時間的余裕」、「心の余裕」、「お金の余裕」を意識して行動し続けたいと思っています(これは、あるインフルエンサーに教えてもらった考えです)。

今まさに、その取り組みの途中にあると実感しています。そして、以前と比べて自分の人生が大きく変わったと感じています。

かつては思考停止状態で流されるままに生き、どこへ向かっているのか分からない日々を過ごしていましたが、今では目標を立て、それに向かって挑戦し、行動するようになりました。

一歩一歩、小さな行動を積み重ねることで自信が育まれ、それが大きな力になっていくのだと実感しています。

だからこそ、これからも「コツコツやり続ける力」を大切にしていきたい。

そして、この考えや経験を皆さんとシェアしながら、ともに歩んでいければと思っています。

かつての私のように「流されている」と感じている人々には、変化の第一歩を踏み出してほしいと願っています。

その結果、より豊かで充実した人生を送れる人が増え、幸せな環境が広がるように、日々努力していきたいと考えています。

少しでもそんな皆様のお役に立てるよう、これからも情報発信していきます。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集