ぜんぶ話そうと思って出かけるのさ。
(画像は2025年度版のスライド、そのトビラ。a.k.a.だとよ。くすくす)
2025年度の、非常勤講師の講義をしてきた。年にひとコマだけ。いつもクラスは50人くらい。確か最初が2007年だから、19年続けて来たことになる。
対象は医療者になろうという人たちなので、現場に出ればいきなりプロと患者という関係性で性的少数者に出会うことになる。不安だろうなと思う。学生によっては初めて出会う(カミングアウトしている)ゲイが私なのだし、次に出会うのは自分の患者なのだ。講師の責任はとてつもなく大きい。よいクッションでなければならない自覚はある。彼らにとって、現場に出る前にこの90分しかないのだ。だから例年、最初に「失礼な質問というものはこの教室の中にはない/私相手のときはない」と示した。失礼になる質問は「それがどうして失礼にあたるのか」説明するから、何でも聞きたいことを聞きなさいと。全身全霊で応えようとしてきた。その自負はある。
だけどこの数年、それがひどく辛かった。もちろん学生たちが悪いのではなくて、講師である私の心が閉じそうだった。いまの社会にはヘイト言説が溢れていて、心を削られていたのだ。
揺り戻しはどんな人権問題でも起こるものだが、この19年間でもこの数年で社会に起きていたことは最悪だった。トランス女性への攻撃は偶然起こったのではない。世間に反感が醸成されていくうちに、溢れたのだ。そうした世相の変化(蔑視から敵視へという時代的変化)を肌で感じつつ、心を開き、全てを差し出すこと。それがしんどかった。ひたすらにしんどかった。感情が途切れ、空虚に飲み込まれる。語るという行為が意味をもたないという考えが胸によぎると、後はとめどないのだった。私にも怒りがある。ややもすれば、そこに墜ちて戻れないように感じていた。
思いがけないことだったが、今回は、学生たちにその話もした。患者は必死にあなたの前に立つのだ(私のように)。自分はここにいられるのかと、問うているのだ(私のように)。――そんな話もできたことは、よかったのではないかと思う。また一段階、自分を開いたことでもあるからだ。本当に悪い状態のときは、自分が拘泥の中にいたことを言えなかったのだ。だが今年は、教壇に立ち学生たちの視線を全て受け止めながら、90分、彼らのことだけを考えるという仕事が自分はとても好きなのだと、正にそれをしながら感じていた。むしろ新しいアプローチも試みて手応えを得たし、それは担当教員にも好評だった。これでまたやって行けるような気がした。
そして今これを書きながら、ひとつ気づいたこともある。
自分が note を始めた理由。アホとヨタを書きつけながら、時々とんでもなく率直に心を明かして――おれ、リハビリしてたんだよね、これ。そしてスランプから抜け出て、自分は大丈夫だと感じたときに、「少し休む」と書いた。 もうリハビリじゃない。友達と小旅行でも行くか。そうして今は重心が定まる感覚を味わって、その時期も過ぎたら。――そう、過ぎたら。
自分の講師としての真意を、ここでも書いて行こうと思う。
