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分からず屋たちの5ポケット

 電車でクラブ系ファッションの若い男性が「時々は音楽とふたりきりになりたいよ」と英語で書かれたキャップを被っていた。かわいい何だそれ。お前このままクラブ行くんだろ。仲間に囲まれるためだろ。それでそのキャップって。くすぐり方を心得てるねえ。分かってるねえ。そのせいで、たぶん30年前くらいの広告を思い出した。そう、あの本。おれはあの本で ORIS の時計に憧れたんだ。あの、何かムック本の背表紙にその広告はあった。ジーンズのメーカーで、こんなコピーだったと記憶している。

わかったふりができなくて、わからず屋になりました。
愛想笑いがへたくそで、横目で空を見てました。
誰かほかの人にはなれない、変わりたいと思わない。
そんな自分を、知る時がある。

たぶんEDWIN。とにかくどこかのメーカーの広告だった

 ビジュアルとしてはベッドに上半身裸の男がうつぶせで寝ていて、下はジーンズで。顔はあっち向き、片腕がベッドから落ちている。まあカッコいいっすね。だけど写真に添えられた上のコピーもなかなかにいい。ここに示された人物像には誰もがある種の憧れを抱くのではないだろうか。あるいは「自分だ」と思うのではないか。「そう、本当のオレってこうなんだよね」と。ナイーブで不器用。もちろん5ポケットでコットン100%的な「変わらなさ」を謳う広告であるわけだが……
・「人とちがって特別な」変わらないまま保存されている自分があって
・そちらこそ本質で
・そこをこそ見てほしいと願っている人たち――を、魅了する。
 さかんに何か/誰かに擬態する日々を送りながらも「本当の自分を見てほしい」と願わずにいられない心を、その広告は全肯定していた。

 だが「本当の自分」も、それが「変わらない」まま保存され続けることも幻想だ。その本質が誰かに見出されることもない。だって、君は擬態した別人格のまま生きて行くんだから。

 「どこかに保存された本来の自分」という幻想も、擬態も悪いとは思わない。この広告だってナイーブで大好きだ。むしろ好きで心惹かれるからこそ忘れずにいた。でも「そんな(変わらない)自分を知る時」ってさ、絶望してんのよ。陶酔も憧れもないのよ。昼日中に自然光が入り込むベッドで洗いざらしの真っ白なシーツに包まってジーンズのみの裸で寝てねえのよ。大体、寝る時はジーンズ脱ぐだろ。脱げよ。……若かったから全部真似したじゃねえかよ。寝苦しいったらなかったよ。


 周囲のみんなと同じ部分なんてひとつもない気がした。同じになりたかった。心底「普通」に憧れた。他人とちがうということは恐怖だった。コミュニティからコミュニティへと渡り歩いて埋没できる場を探しては、どこも本質的に同じであることを思い知らされた。そのどれもが「社会」なのであれば、そうなる。――なんだ、当たり前か。

 「決して他の人にはなれない」という発見なんて絶望でしかないのに、甘く舌の上で転がされる「本当の自分」という幻影。本当の自分を見てほしいなんて可愛らしいねえと思いながら、許したい気持ちと裏切られた気分がせめぎ合う。フェイク? なら今すぐやめりゃいいじゃねえか。でもお前やめねえだろ。仲間に囲まれてイケてる楽しい「誰か」でいたいんだろ。

 そろそろ他人になりてえわ。おれだって。
 自分の人生を取り返しがつかないくらいに手ひどく裏切ってみたいと思うおれは、裏切られたと感じ続けているんだろう。でも他人のふりをすることが何になる? 何もならねえよ。なあ坊主。――それだけは、分かってる。

 なあ、おれ。そうだろう? そろそろこの人生を受け入れろ。

 あ、横目で空を眺めるのもやめとけな。目、痛えぞ。やったから分かる。

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