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「架空講義録」(性暴力被害者男性)

これは架空の講義録(抄録)である。ここで私は6歳だった頃の経験を話している。その内容は事実であっても、実際にこのような講演をしたわけではないし、そんな予定があるわけでもない。その意味での「架空」であるということだが、実際に聴衆を前に語る時はこんな風に語るというところを、感じていただけると思う。執筆中のことで全文ではないが、エッセンスとしては充分だろう。

サバイバー/マイノリティからの発信が常に「型」に押し込められていること、読まれ方にも「型」があることを念頭に、新しいものであろうとしている。いつもそうだが、これはそうした私の試みを明確に映したものにはなっていると思う。ヴィクティム・ブレイミングについてはもちろん、私の様々な「怒り」から書き始め、だが私なら講師としてこう語り、物書きとしてこう書くのだ、というところを示そうとする。

工夫としてはサバイバーのナラティブとして「行動に動機を与えつつ」「フラッシュバックを起こさせない」「虐待のヒントを与えない」発信であろうと挑戦している。ただし充分ということはなかろうし、もちろん性暴力被害について書いてはいるので、もしお読みいただけるなら注意を促したいところだ(当然トラウマとフラッシュバックも別物だ)。

これが本の原稿ならこの本は出しておいた方がいいと、どなたにもこんな本の必要を感じていただけると思っている。体裁として架空の講義録にしているが、本来出版を希望して書いたものだ。その方向でも全く動けてないのだが、良い話はいつでも待ち望んでいる。助力も。

RYOJI

 本日はお招きいただきありがとうございます。RYOJIと申します。変な名前なのですが、これがペンネームなのでご容赦ください。日頃は性的少数者の話をする講師です。2007年の春から東京医科歯科大学、現在の東京科学大学で非常勤講師を務めておりまして、毎年看護学生たち約50人に「性的少数者と医療」というタイトルで語るということを続けています。現代の、東京で暮らす学部生また院生でも、「ゲイに出会ったことがない」と感じている学生もいるんですね。しかし卒業して現場に出ると、医療者という立場で患者と向き合わなければならない。だから私はまだ彼らが学生でいられる内に、彼らにとっての「初めてのゲイ」になろうとする。「ファーストゲイ」という言い方をするんですが、プロとして現場に立つ前に、少なくとも一度は「自分はゲイとセッションした」という経験をさせたい。初めてではないという自信が、医療者を支えると信じます。今こうして皆さん一人一人のお顔を見ているように、講義室で学生たちと向かい合うことを続けています。——ああ初めまして、笑顔が出るのはいいですね、私も笑顔になれます、こんな感じでよろしくお願い致します——こんな風に、実際には講義前の数分で既に着席している学生たちの顔を見渡しながら行なうのですが、講師であり、トレーナーであり、メンターでもあり、初めての見なし患者でもある役割を、最大限、果たすと、正にこんな数分で心を作り上げるわけです。

 やや長い自己紹介でしたが、私の講師としての特性を感じていただけたと思います。私はどんなテーマでも基本的にスタイルを変えませんので、この、質疑応答を別として正味60分という時間が、皆さんにとってどのような経験になるか、予感していただけたかと思います。私は今も血を流す犠牲者として、ここに立っているわけではない。救出されるべきタイミングは逃しました。何らかのサポートが必要だった時期は通り過ぎています。今になって「あなたは悪くない」という言葉を待っているのでもありません——聴くまでもなく私にはよく分かっています——「あの日泣いていたあの子に落ち度があったのではない」、よく分かっています。では私は皆さんに何を求めているか。「救えなかった子ではなく」、これから周囲の子どもたちを救うことです。この場で私は自分に何を求めているか。そんな皆さんにとって行動開始のトリガーになることです。だからこれは私を慰めるのではなく、実務を前にした、行動の準備という時間です。後でこれからの私たちに何ができるか、意見を交わしましょう。セッションを楽しみにしています。時間の終わりに、私たちの前にひとつの仕事が立ち現れるのならば、講師料は無駄にならなかったということになる。

 ではやっと、本題に入ります。テーマは覚えておられますか。
 「性暴力被害者男性と出会い、共に歩み始める」です。




グランドルール

 本日は避けがたく性暴力の場面が出て来ます。短いですし、具体的には加害者が子どもに囁いた「言葉」が出て来ます。その場面で、私は「これからその話になる」とお断りして、スーツの上着を脱ぐことにします——こんな風に。その場面が終わったら上着を羽織り直します——こんな風に。その間は耳をふさいでいて下さってもいい。あるいは離席されてもいい。よろしいですか。もちろんその場面でなくとも、今回ずっと暴力的な状況について考える時間になりますので、いつどのタイミングで離席していただいてもよいのです。あ、今はやめてくださいね。さすがにまだ早いですね。とにかく「いつ離席してもよい」がルールです。よろしいですか。バッチリですか。ありがとうございます。


講師としての約束

 特に質疑応答のために申し上げておきたいのですが、私が講師である場合に限っては、「どんな質問もお受けする」という点を明確にしておきます。NGの質問というものがない。私はプロの講師です。決して安くない報酬を受け取るから? それはポイントかもしれないが、「訓練済みだから」です。例えば「その質問には答えない」と言えるからです。もちろんその場合は「なぜその質問に答えないか」という理由を御説明します。そのやり取りは間違いなく有益な時間になるでしょう。前提としてアウトな質問はない。なぜなら、まだこの問題におけるアウトな質問がどういうものか私たちは手探りしているから。そして「なぜアウトなのか」考える時間が必要だから、皆さんは「被害者」ではなく「講師」を呼んだ。私はプロの講師です——よろしいですか。こちらはオーケーです。


「男性サバイバーの語り方」その傾向、
「女性サバイバーの語り方」との顕著な相違点

 とは申しましても、私の話はかなり抑制されています。
 実際に答えなかった質問というのも、今までなかったと思います。
 ①性暴力被害者女性支援の窓口で電話相談員をした経験
 ②20年以上の期間にわたる体面での講師経験
 ③複合的なマイノリティ性による個々別種な経験の相対化と整理
 ④ナラティブの安易な物語化に自制的/警戒心をもつ傾向
 ということがあり、被害経験の話も語り口もマイルドに仕上がっている。今そもそも被害経験そのものよりも被害者をめぐる周辺的な状況や言論の方が過酷に思えてしまうほどだという厄介な現実があればこそ、もう耳を傾ける人がいなくていいと思いながら淡々と語るしかない。残酷さってキリがないですよね。

 さて今後「男性サバイバーのための相談窓口」を開設したい方に、こんな話はいかがかと、このスライドです——「被害の語り方に性差がある」というのです。「ランチ向けの話題」というやつですが、相談員育成を考えるなら知っておいていい。私は学者ではないし、これも論拠となるエビデンスを度外視した話ですが、相談員としての経験から言えます——概して男性サバイバーの話は「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」である、そうなりがちだという話です。しかしこれはまさに「被害を軽視される経験」と「語りの習熟機会のなさ」という「性差」問題だと私は考えています。それゆえ男性サバイバーのそうした語りに対しては「■■■■■■■■■■■■■■■■■■」と導く、ということをしていました。潜在的な不安ゆえの表現と、私は考えている。自認女性でも、トランス女性には同じ傾向がみられました。「サンプル数の少ない話」として、そう言えばそんな話があったなと、思い出していただけましたら。検証は、未来の学究に委ねましょう。ただ予測として、こうした「性差」は、今後小さくなっていくかもしれません。女性サバイバーの語りが男性サバイバーの語りに近づいていく。なぜなら誰も女性サバイバーの尊厳を気にしなくなったからです。女性の痛みはトランス女性を攻撃したい時に思い出す材料になった。伊藤詩織さんを攻撃したい時には忘れる——本当に何がしたいんでしょうかね。
 だから思ったんです。再びサバイバーは言葉を奪われようとしている/ここで語るのをやめてはならない。男性サバイバーにも役割があるはずだ。だから語ることにします。今は中年男性になった、6歳だった男児について。


事件と背景——「子どもは言わない」

 幼稚園に入る数年前に、父が脳の病気で倒れました。半身不随です。この私が子どもだった頃、約50年も前の田舎で起きたことで、当時の医療者は患者の心が折れるまで暴言を浴びせました。「医師(スペース)暴言」で検索して、「今」出て来るのは「患者から医療者に対する」暴言問題ですが、昔は逆だった、ということです。障害者と障害者家族はどうしたか。私の母は心が折れて失語症まで始まった父を守り、病院から取り返しました。つまり自宅介護に舵を切ったということです。凄絶な日々で、母は当然、働けなくなりました。我が家はそれゆえ貧しくありました。追い詰められた母は、しばしば「一家心中」という言葉を口にしました。吼えるように、小さな家のガラス窓が鳴るほどの声で泣き叫ぶ母の悲しみがやんでくれないかと願いながら、冷めて乾いてゆく夕食の前で、身体を固くして、時間が過ぎるのを待っていました。思えばあの頃から、母を慰めることを始めていたのだと思います。そこだけ隔絶したように、お互いしかいなかった。そういう中、私も人並みに幼稚園に通い始めることになりました。6歳でした。

 ここでのポイントは、以下のような点だと思います。
 ・誰もが我が家の惨状を知っていた
 ・「再起不能の父」「追い詰められた母」「放置された息子」
 父52歳、母36歳、息子6歳ですね。
 いつも寝ぐせをつけて、常にパンツを薄く汚している男児を想像してください。内向的で、恥ずかしがりやでした。今回の被害者です。

 性暴力は、加害者の性的衝動で起こるでしょうか。目の前の対象に、抑制できない欲望が向き、本人にも抑えきれず実行してしまうのでしょうか。私は、多くの犯行はもっと理性的かつ計画的に行なわれるものだと思います。被害者は選ばれている。私が選ばれたのは、家庭環境ゆえだと思います。堂々とした男が「うちの子がちんちんを触られたって言っているんですが、どういうことなんでしょうか」と乗り込んで来ることなどないと、余裕のない母親に子どもは告げ口するなどできないと、そんな男児になら何をしても露見しないと加害者は考えることができました。その計算は緻密で、実際このケースにおいては、彼女の「観察」は正確でもありました。
 加害者は妊婦で、男児がお腹のなかにいました。幼稚園の担任でした。

 今、お話ししたのはふたつのことです。
 ・誰でも被害者にも加害者にもなる(ステレオタイプからの脱却)
 ・犯行は衝動的ではなく、被害者は選ばれているケースがある
 もちろん、衝動的かつ無差別に加害が起こる可能性も念頭にお聴きください。そういうケースも多いでしょう。私はこの話で、「無計画/衝動的で粗暴」という加害者のステレオタイプを否定したいだけです。ステレオタイプは、あなた方にとって目くらましにしかならない。
 さて、一度上着を脱ぎます。性暴力の場面になります。

——暴力の場面は割愛——


 上着を着ます。そういうわけで、私には記憶に欠落部分があります。私の人生は二段階あって、今の人生は「迎えに来てくれた母」の姿から始まっている。それ以前の他者からの性的攻撃で終わった短い人生をなかったことにするなら、私の人生はたとえようのない安堵感から始まったことになる。常にではありませんが、私には人生をそのように捉えてもよいと感じる瞬間があります。人生の始まりを覚えている人はほぼいないのに、私はこの目で見て、覚えていられるのです。私の人生は私を迎えに来た母の、落ち着いて堂々とした姿で始まっている。やっぱり、大泣きしながらでしたしね。
 真逆に、加害者によって奪われた記憶を取り戻したいと、強く思うことも、今でもあります。他者に奪われたことが許せないのです。心って多面的ですよね。

 事件のことは、誰にも言いませんでした。両親とも知らずに死んで行きました。
 ちなみに自分がゲイだと気付いたのは、その前年、5歳の時です。時々、異性からの不適切な働きかけがトラウマでゲイになったのではないかという質問を受けるので、念のため申し上げておきます。少なくとも私には前年の5歳でゲイとしての自覚があった。だから女性恐怖が男性への指向性を決定したという可能性は検討されなくいていい。性的指向——「どの性別を恋愛/性愛的に欲求するか」という概念ですが、性的指向は3歳までに決定するという説もあります。私は経験と実感からその「ほぼ生得的な決定である」という説を支持しています。だから私は「プログラム」だと言うんですけどね。
 5歳でゲイだと自覚した、その時も言わなかった。子どもは大人をよく見ています。強い禁止がある時、子どもが簡単に心を明かすなんてない。大人があらゆる準備をして努力して安心させて、やっと子どもは話し始めるのです。当時、男児のために社会はそんな準備をしていなかった。今だって大人の感覚は「そんな性被害児が目の前に現れたらどう対応するか」です。これからはどうですか。6歳の男児が周囲に性被害を訴えられるように環境を整備できますか。防犯を具体的に考えていますか。


被害の後に残ったもの

 被害の直後から、私に表れたのは以下のような特徴でした。
 ・自慰行為
 ・強い羞恥心と反動的な行動
 ・イマジナリーフレンド/空想上の友達
 どれか詳細に話せればいいのですが。イマジナリーフレンドについては、彼の名前は「ビビンバ」で、内気で優しく、世の中の悲しみを一身に背負って苦しむ子どもでした。彼といる時は、私は闊達で明るい少年になれて、彼を励ます役割になれるのです。彼との交流を、いつも私は家族に話していたのですが、家族は私を空想力がある子どもだと思うだけでした。私は家族の前でいつもおどけて笑わせる子どもでしかありませんでした。ビビンバが消滅したのはいつだったのか、覚えていません。思春期か。長く一緒にいたのです。思えば消滅したというより、統合されたようなイメージが、今あります。今この瞬間は。人生を通じて、何度も何度も反復するのです。今でも彼をどこかに置き去りにして来たような罪悪感を感じます。自分が裏切り者のような感覚です。今サバイバーズ・ギルトについて考えた方がおられるでしょうが、非常によく似た感覚があります。否定はできないですね。ただあまり聞きかじった専門用語で説明したくないのです。昔の彼が謎解きできないのであれば、そのまま保全しておきたいんですよね。今の私がすることじゃない気がして。それが冒涜になるような、自戒もある。知識はこの長い旅を支えてくれるのですが、これは彼の旅であって自分のではないとも思う。

 やがて彼のイメージは、ろう学校を訪問して出会った同い年の少年に重なって行った。それは今こうして考えている間にパズルをやったわけですね。今この瞬間まで考えたことがなかったけれど、皆さんに話している間に考えた——私は大人になるにつれ、出会う誰かにビビンバを重ねているのかもしれない。自分のような誰か。ろう者であったり、HIV陽性者であったり、ゲイだったり。救えないことに耐え難い思いがする、そんな誰か。
 ね。こうやってずっと考えて行くんだと思います。
 その場で対処できなかった、自衛できなかった、闘えなかった、守れなかった、守られなかった、尊厳どころか記憶さえ、蹂躙されるものだった。手が届かないし取り戻せない。今も心は圧し潰されている。だれも自分の話など待っていないと思っている。だから考えてしまうんですかね。

 初期においては、以上のようなことがありました。しかし思春期までの間に、長くずっと心を占めたひとつのセルフイメージがあります。概して言えば「老若男女を問わず、自分に出会った人が全員、自分とキスしたらどんな感じか空想するような存在でいたい」というイメージです。ファムファタールな感じでしょうか。ニンフォマニア、男性の場合は「サチリアジス」と言うようですけど、大人からされる行為と犠牲者としての自己との間に、そんな像で整合性を見出すというか、要は理屈に合わない現実を、どうにか納得しようと思って、歪んだセルフイメージを構築していくわけです。今にして思えば「自分がない/拒絶がない/守るべきラインがない」状態です。また「性的関係を取引と考えている」傾向がないでしょうか。実際「大人から拒絶されない」ということは、貧しい家庭の子どもだった私にとって生存にかかる問題でもあったのです。
 どういうことか分かりますか。私は欲望されると安心したのです。今は、ちょっと違うんですけどね。私が性的な働きかけをするのではないかと誰かに警戒されたと感じると、ものすごい勢いでシャッターを閉める。我慢ならないんですね。実際、私の欲望は相手の欲望に感応して起こるのです。こんな屈辱的な言葉もないんですけど、「許可制」というような。ほら、こうやってまた苦しくなる。

 自分を追い詰めるのはお休みして、話を流れに戻します。幼稚園での事件から時間があいて、自分から働きかけたのではなく大人から「発見された」のですが、中学二年になろうとする中学一年の春休みから、本格的に大人たちと性的関係をもつようになります。成人、家庭があるような男女ばかりでしたが、多くの大人が私を誘いました。自分から拒んだのは、中学時代の同級生だった女子から誘われた一度だけで、その時は「同級生である」という理性が働いたのだと思います。オフィシャルな領域ですよね。自分は「成人用」だというような感覚もあったのかもしれません。混乱期を経て、ゲイなので男性からの誘いのみ受けるようにはなって行くのですが、彼らをゲイと認識していて、ゲイとの出会いはゲイとしての孤独感も埋めてくれたのでこちらからも求めていて、十代のうちに大変な数の大人を経験してしまった。とてもマイケル・ジョーダンには及ばないけれど、ハリウッド俳優がデートした人数を聞いて「それだけ?」と思ったくらいの人数です。今でこそ彼らをゲイとは思わず「チャイルドマレスター/子どもから性的搾取する大人」と認識していますが、当時は淫行条例もなかった時代です。全く拒めないという状態は長くそのままでした。田舎のことですから家を突き止められ、在籍する中学校も自動的に確定してということもある。大人たちも多くが家庭もあるのであまり直接的に脅されるわけではないのですが、やんわりと意地悪にプレッシャーをかけられて断れなくされるということはありました。しかし妻子もいて市内で美容院を経営しているとこちらも分かっているというようなケースでは強引な行為はされませんでした。

 少し「チャイルドマレスター」という用語について説明した方がよいでしょうか。子どもを性的に虐待する人を考える時、小児性愛者ペドフィリアが挙がるのですが、チャイルドマレスターはもっと広義の概念です。「小学生の娘の同級生をレイプする父親」のような、つまり基本的には成人が性的対象でありながら機会的に子どもを性的に虐待する人が含まれます。成人女性にしか性的関心がないこと前提であるように見えるが、思春期の男児には性的に多大な関心を示し虐待するというようなケースもあるわけです。小児性愛者は性的願望を実践に移さなければ、問題ではないわけですね。しかし子どもを性的に虐待する人は小児性愛者ばかりではない。そうした現実あってチャイルドマレスターという概念が必要になるのです。あなたが警察で犯人を追う時、小児性愛者に限定して捜査をしたら犯人を逃すことになる。そういうことです。

 中学生時代までの私は大人は子どもに性的欲望をもつものだと思っていました。それは取引の可能性、生存可能性を広げるような感覚も含んで、対象として発見されたことが、何か有利なことのような錯覚がありました。ただ当時のことで思い出すのは、それでも私は自分から大人に何かするのが嫌でたまらなかった。一方的な行為は受け入れても、何かさせられるのが嫌だった。特にキスは絶対に嫌でした。終わった後にすぐさまシャワーを浴びなくても嫌じゃないセックスもあるのだと知ったのは、随分後のことなのです。美しい言い方をするなら、恋をしてからですね。自分が求めてのセックスは全く別物なんだと、実感するわけです。もちろんこの「移行」はスムーズじゃないし誰にでも訪れるものではない。私は「移行」できたサンプルです。全て嫌になってしまう人も当然いるわけです。どれくらいの割合で性嫌悪になるのか、ということは分からない。性的サバイバーがいつか恋愛をし性行為もできるようになるかという一点を聞きたい方は、私に回答を求めないでください。私は大人になるプロセスで、ひとりで長い時間をかけて現実認識と価値観を一新しなければならなかった。そんなプロセスが誰にでも訪れるわけではないし、誰もが成せるわけでもない。それだけが自明なことです。そして私たちの主題は「サバイバーが回復するかどうか/回復とは何か」ではなく、「全ての子どもを救う」ということだったはずです。

  自分にとって社会や安全ってどういうものだったんだろう、と思いますね。家族は生きられないところに絶えず追い込まれていた。これは別の話、性暴力被害者家族としての経験談になりますが、母も絶えず人々の興味を引いたわけです。とても大変な思いをしていた。なぜあんなにも多くの大人が、その家族に性的な関心をしか向けなかったのか。死にかけた一家が、残酷な欲情を喚起したということなのか。分かりませんが、ひとつ言えるのは「彼らはチャンスがあると感じた」ということです。私はそのような現実認識で生きていました。彼らは被害者候補を「観察する」。やっても露見しないか黙らせられるかということを緻密に「計算する」。そして行為に及ぶ。行きずりの通り魔的なレイプでなければ、被害者は徹底的に選ばれている。行きずりの通り魔的な、いわば突発的な、それこそ衝動だけのレイプであっても、被害者が弱者であることや「誰も見ていない」というような、複合的な状況判断はされているでしょう。


以降、執筆中
 
出版できるなら書きます。



頼むぜ最高裁。たしかな光をくれ。

記事をご紹介いただきました

佐藤雀@すずめ組 様、ありがとうございます。

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