三年目の、note。
ひとりで。誰に会う予定も、用事もなく。
そんな風に出かけるのが本当に苦手だ。
どこに行って、何をすればいいのか分からない。

「ふるさとの 訛りなくせし友といて モカ珈琲はかくまで苦し」(寺山修司)
「鉄郎さあーん! 早くはやくぅー!」(車掌さん)
だから上野も、「じゅらく」にだけ行って、帰って来た。
ま、半分は門馬直人さんのせいだ。人生飯テロみたいな人で困る。
後の半分は、どこかでスーパードライを飲みたかったからだ。

店に置かれているのが Asahi のスーパードライだというので、頼んだ。
献杯。一気に飲み干した。沁みわたる。

ポン酢ベースじゃなくて、おろし玉ねぎかにんにくのソースにすべきだったなと思った。あとは note を含め、今後のことをぼんやり考えていた。
note 、三年目。どうするのか。
苦しかった、と思う。
文責上という意味でもシス₋ゲイという属性を明らかにして書き続けてきた。しかしそれゆえにパッケージ問題は避けられなかった。公益の話をしていても性的少数者の利益に誘導する目的と決めつけられる不便からは免れない。その通りであるしそれは構わないのだが——ゲイが他と同等の権利を求めるのは当然だ――私という個人は性的少数者「のみ」の受益に立つ人間ではない。そもそも順序がちがう。「ゲイだから」理論武装したのではなく、まず私の中に言葉があった。ものの理であり人権感覚だ。その私が気づいてみれば権利を損なわれている人々がいて、そうした数多のグループの中に性的少数者がいたのだ。その前提が取り違えられると、伝わる意図が変わってしまう焦燥が消えない。実際、忸怩たる思いもあったのだが。——
「苦しかったのは」、そう苦しかったのは、「公益」とまだ言い切って見せられないと思ってかかる、自分の弱さだったのだろう。流れては消えるトピックとして語りたくない「本気」を、どう扱えばよいか分からなくて。まだ筆が熟してないとか、時機とか方法とか。それを言って人に信じさせられるだけの器かという、疑念。
しかし「始まりの場所」で思う。恐れるな、と。
子どもの頃に親に連れられて来た店で、自分が当時と何ひとつ変わらないことを知る。ただ天が命じたまま、すくすく育って来ただけだ。私はずっと、RYOJIだった。
私は「新しきマイノリティ」だったのではなかった。むしろ「新しきマジョリティ」としてキャリアを積むはずが、先にゲイ関連の運動に身を投じたために、マイノリティという一面が前面に出たのである。それでも私が「マイノリティとして/その立場性のみで」ものを言ったことなどないのだ。
人がそれを理解するのは「私が書いたものを読むときでなく」、私という人間に会うときだろう。可愛げがなくて悪いが、私は微塵もマイノリティらしくない。指導者も庇護者も要らない。アタマとココロが強靭な仲間と、人間を育てているだけだ。それを見てもらえばいい。
もちろんそれでも、「マイノリティとして」大切に説きたいことはある。
おれはあなたの子どもだ
いや、これじゃ「寄生獣」の受け売りじゃねえか。ダメだな。でも、
だから、その手を引く
そう続ければ、多少なり RYOJI らしくなる。
店を出ればちょうど青信号。まっすぐ山手線のホームへ。
電車に揺られながら「全然ちがうこともやりたいな」とも思った。
……街歩きを楽しめるようになるとか。
