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寿司なら銀座でいただきますの

ザギンでシース―

 そんなの嘘っぱちでも「寿司は銀座でしか食べない」とネットで書いて、画像をどう見ても回転寿司だったら面白かろうと思いついてパートナーに言ったら、発案から数日で実行の運びとなった。ノリが全て、理解が早い。ただ話の運び方でも明らかなように、冗談にするのはやめた。なんだかジョークとして成立しにくかったのだ。私たち自身が笑えなかったからだ。

わざわざ回転寿司のために銀座へ行ったのに

「旗艦店」という本気感

 疲れたインバウンド客が長蛇の列をなすさま。受付票に90分待ちと出る。その時点でもう冗談にならないことは分かり切っていた。「銀座で寿司と言えば回らない寿司」という前提がもうない。「銀座=高級」のような図式も成立しないのだ。「銀座の寿司なんて高いのだろう」という先入観がなければ、「回転寿司だったのかよ」というオチへの落差が作れない。

無人の一角には寿司/団子/天ぷらの模擬店。時間帯によってはパフォーマンスが行なわれるのか

これは「寿司を食う」という体験なのか

 そもそも徹底したオートメーション化に、「ザギンでシース―」以前の話として「店で寿司を食う」という経験はこういうものだっただろうか、と考え始めていた。店員に会うのは、受付番号を呼ばれのれんで目隠しされたブースの部屋番号を告げられる時のみである。寿司を握る人の姿も、他の客が寿司を食う様子も見ることはない。終始、誰とも言葉を交わさなくてよい。これがフラッグシップ店の在り方なのか。海外からの客がほとんどだが、彼らにとってこれが「日本で寿司を食った」という体験になることに、小さくも拭い難い抵抗感を覚えた。

頬張る一貫の小ささに「これは回転寿司だけだ」と教えたくなる

 もし昔ながらの空気を味わいたいなら、高級店じゃなくても旨い店はある。ハリーポッターが好きでスタジオツアー東京に行くなら、亀寿司がある。「だからこれは心配することじゃないのだ」と思い直す。ただし、もう「ザギンでシース―」は冗談にならない。スノッブなるものを笑うには、スノッブ的なものへの懐疑だけでなく憧憬もなければならなかったのだ。

マロニエゲート銀座で、ナガノマーケットSHOPに紛れ込んだり。

 MATSUYA GINZA(MG)の MGカフェで休憩して、帰り道へと。

 家に着くとパートナーが麻婆豆腐を作ってくれたので、調理中ずっと隣で「豆腐の水切りは命だ」「火入れ。匠が動いた」 など実況していたら、「バカにしてるのか!」と追い払われてしまった。本人は「辛すぎた」と言うが本当に旨かった。米を研いでいる間にさっと作っておいた、長ネギと豚肉とこんにゃくの煮物を持たせて帰した。


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 たよろよろ図書館 DATABASE 様、ありがとうございます。




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