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紙芝居「わたしの命の物語」

 東京都立川市にあるはこぶね行政書士事務所の佐野さんから新聞記事が送られてきた。食堂「なごみ」の藤崎美智子さん(74)についての記事だ。

 国立ハンセン病療養所「多磨全生園」で食堂を切り盛りして7日で10年。訪れる学生や研究者らに、見聞きしてきた療養所の歴史や今を伝えている。
 園のある東京都東村山市で育ち、夫とすし店を約40年営んできた。だが、夫が病気を苦に自死してしまう。
 そんなとき、故・樹木希林さんがハンセン病回復者役で主演した映画「あん」(2015年公開)が地元で撮影されることに。長年ボランティア活動に励み、顔の広さが見込まれてロケを手伝ううちに、国の隔離政策で療養所で一生を過ごし、尊厳を傷つけられた入所者たちのことを知って衝撃を受けた。
 映画が縁で食堂を任され、店の常連だった入所者の藤崎陸安みちやすさんと再婚した。子ども好きだった陸安さんから、若いころに断種の手術を強いられたと聞いた。「世間一般ではあり得ないことが、ここではあったんだ」。人権学習に役立つ紙芝居を作ることが2人の夢となった。
 陸安さんは一昨年に亡くなったが、意志を継いで今年、作家のドリアン助川さんらと紙芝居「わたしの命の物語」を作った。生まれてくることが許されなかったハンセン病患者の子どもが主人公だ。
 「偏見や差別がなく、誰もが生きやすい社会を目指す。紙芝居はそのスタート」。心に留めるのは「ここであったことを、なかったことにされたくない」と語っていた陸安さんや多くの入所者の思いだ。

朝日新聞「ひと」2025年12月5日

 藤崎さんから直接お話をうかがった日のことは、以前に書いている。

 あの日以降も、はこぶね行政書士事務所の佐野さんは多磨全生園内の教会を存続させようと奔走されていた。あの場所に行くと引き込まれて、そんな情熱がよく分かる気がする。藤崎美智子さんの情熱についても同じだ。さもありなん、と思うのだ。「腑に落ちる」という経験は時々、とても五感的だ。私にしてもあの日の日射しに今も心が照らされている。あの澄んだ大気がまだ身体をめぐっている気がする。涙ながらに語る藤崎さんや、何度も訪れているはずの資料館で展示物に見入る佐野さんの背中を思い出している。自分の目が息が入所者たちのそれに入れ替わったような、寂寥に揺さぶられたあの日。私の感性は安易な同化を自己に禁じる。しかしまるでその収容施設での暮らしを生きた日々があったかのように、錯覚もしていた自分。それらの余韻は消えることがないのかもしれないと思わせるほどのものとして今この瞬間も胸にある。それはまるで身体を一部置いて来たような感覚で、また戻りたくなるのだ。「いつかの」物語じゃない、「どこかの」悲劇でもない、これは「誰かの」痛みじゃないんだと、あれからずっと感じている。
 「しかしそれならどう生きればいい?」という問いと共に。

 映画のテーマ曲について少し。

 映画「あん」の主題歌である「水彩の月」は、「外」の人が抱く心情を歌っている。差別問題の「もう一方の」当事者、つまり加害側におかれた人/「抑圧構造において抑圧側に配された」人の心が歌われている。

今日の月は 優しくて でも 寂しくて
君の微笑みと どこか重なる
気付けなかったことが たぶん あるんだろうな
ぬくもりに甘えて

秦 基博「水彩の月」

生きてくことに意味があるなら
ただひたむきであれたら
手のひらにこぼれる かすかな明かり
いつまでも このまま 消えないでよ

秦 基博「水彩の月」

 「水彩の月」において秦基博は如何なくその天才を発揮して、「抑圧側に配された人々」、他者を「当事者」と呼び問題を他人事にすることに慣らされ、それゆえいつまでも「抑圧側としての」スタンスを取れない人々にも「やがて」「未来に」訪れるであろう境地を歌っている。無論この歌は単に「全ての歌はラブソングである」ということ以上に、一級のラブソングとして昇華されているのだが、新しい時代を迎える人々の歌である。

 私たちは「マジョリティ」であることに居心地の悪さを覚え、むずがっている。それはなぜか、何年もずっと考えて来た。自分もゲイというマイノリティである事実は、他のイシューでは厳然とマジョリティである自分の問題意識を(あるいは罪悪感を)相殺しなかった。「自分もマイノリティだから義務はないはずだ」と思うことは無理な話だった。だから私は「この社会に横たわる抑圧構造をまだ解体していない」という立場を引き受ける。そのように「当事者」であろうとする。マジョリティとしてどう生きればいいのか、その問いに答を持たずに死ねないのだ。人は私に問えばいいのだ――「答が見つけられないお前が、ゲイとして社会に何を求めるのか?」と。おれを責めりゃいいんだ。

 年の瀬に思う。もう一冊だけでいい、本を書きたい。
 「こう生きられるんじゃないかな」と残したい。


 夜、用もあって片道20分の散歩に出た。雨の中、傘を持っていない人がチラホラいた。行きがけにひとり、折り返し点にひとり、家の近くでひとり。三人目に「傘、要ります?」と声を掛けてみた。40代のガッチリした兄さんがバス停で濡れていたのだ。またバス停かよ。

 「おれんちすぐだし、このボロいのどうせ捨てるし」
 「いやいや、大丈夫です」
 クリスマスなのに。見ればなんかオシャレしてんじゃんかよ。
 「そっかあ」
 「でもありがとうございます」
 かわいい笑顔はくれた。

 ま、雨に濡れてんの風情ありますけどね。さみいだろ。アレか。恋人に会って来てあったかいのか。そうなのか。許せんのお。ご飯炊けた。豚キムチ食お。


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