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ゲイによる男性写真集と三島由紀夫序文

 トップ画像は映画「大学の暴れん坊」(1959)から。俳優・高田保。1925年生まれ。日活時代に多くの作品に端役で出演していた俳優である。

ブログ「めのおかしブログ」から

 恵まれた体躯、そして着こなしに目が行く。惚れ惚れする。上段中央のジレで浮いたネクタイ、押し広げられた襟元、デンツの物だと言われても信じてしまいそうなグローブ。下段右端のコート姿もいい。華が、役どころであった三下風情のものではない。セリフもないような大部屋俳優に衣装を選ぶ自由があったとは思えないが、大部屋俳優だからこそ自前衣装の持ち込みに「お目こぼし」があった可能性はないか、などと空想する。私はある事情から「期待も込めて」高田保のセンスだったのではと考えずにいられないのだ。なぜか。
 私自身が講師業など人前に出る機会に、ついスーツひとつでも「ヘテロがしない着こなし」を頭の隅で考えているからだ。理想の男性像があって、男の色気を醸し出すことしか考えないからだ——彼はゲイである。

 そう、私は画像をお借りしたブログによって初めて「元々あの人は役者だったのか!」と知ったのだ。驚天動地の思いがした。芽が出ず役者を廃業した高田保は、後年、写真家・矢頭 保やとうたもつとして知られることになる——特にゲイの間では有名な写真家だったのである。


矢頭保、三冊の写真集

 私は写真に造詣が深いわけでもなく、正直善し悪しも分からないと思う。メイルヌードを撮影している写真家は何人かいて、自分なりの好き嫌いはあるが、矢頭保の写真は非常に好きなほうだ。しかしそれが写真として優れているのかどうかを判断する基準も審美眼も私にはない。ただ私が生まれるより以前の日本でメイルヌードを撮影していた写真家がいたことに関心があったという、それだけのことに近い。彼の作品は生前に出版された3冊の写真集「体道」「裸祭り」「OTOKO」に限られているとされ、未掲載の写真やネガも水害で紛失している(と、私は古書店への聞き込みで聞いた)。 

 矢頭保は、そうした幻の写真家である。おそらくよほど写真が好きな方でなければ、名前も知らないのではないだろうか。しかし「三島由紀夫のハラキリ写真を撮影した人」と書けば、それなら確かにどこかで見た、と思い出すのかもしれない。その時のカメラマンが矢頭保だったのである。
 もちろん、かの市谷における実行された切腹(自害)ではない。小説「憂国」にもその描写があるが、三島には切腹願望があり矢頭保に三島自身の切腹写真を撮影させていたのだった。

 この記事においては、矢頭保について書かれない。メレディス・ウェザビー氏(三島由紀夫作品が世界に知られるきっかけになったと言われている人物)からの寵愛を受け、六本木のウェザビー邸で恵まれた暮らしをしながら奔放に遊ぶこともして、やがて写真を撮るようになり、写真集を出版した――そんな矢頭保の人生を探求することは、「めのおかしブログ」がやっている。途方もない労力と情熱で。矢頭保について知りたい方は、ぜひそちらを読んでいただきたい。市井の研究家としての、これほどの労作、偉業を目の当たりにすることはやはり稀だ。いつかご紹介したいと思って、ブログ主様にも許可をいただき、しかしお約束しておきながら二年も経っていた。


三島由紀夫の「ハラキリ」写真、またその周辺事情について

写真家「矢頭保」誕生の経緯


矢頭保作品における「三島由紀夫」というノイズ

 既に素晴らしい研究がある。では私はどうしようか。
 矢頭保の写真が素晴らしいことは、言うを待たない。私にとって矢頭保という人物が、その波乱万丈な人生と孤独な死までが、心惹かれてやまない点もそうである。しかし本稿では、写真家・矢頭保作品における、三島由紀夫の功罪について、特に負の部分で思うところを書いておきたい。前置きとして矢頭保の写真集には三島由紀夫がモデルになった写真もあり、序文を寄せている。私にはその部分が不快であり、素晴らしいと感じたことがない。しかしそれら序文には三島由紀夫のあまり他でみられない一面が刻まれているので、貴重であるとは思う。

写真集における三島由紀夫という「逆柱さかばしら

 概して言えば、私には三島がモデルになった写真集のその数ページがひどく醜悪なものに見える。三島が被写体になった写真のみ、バカバカしいのである。ボディビルで造った身体に矢を放たれているとか、苦悶の表情で腹に刀を刺すふりをしているとか、血糊とか。それらの写真は権力者の遊びに芸術家が付き合わされているとしか見えない。「ヤなもん見ちまった」と思うのだ。

 その辺りについては三島自身が写真集の序文に「逆柱」と書いているが、それは自らが被写体の写真を指して「写真集の汚点」だというのである。「逆柱」とは柱の一本をわざと上下逆にして災厄を避ける、建築における俗信である。建物は完成した瞬間から朽ちていくから、わざと未完成を装い、魔除けとするのだ。しかし三島本人は幾ばくかの含羞から自身を逆柱と評したのかもしれないが、そうした自嘲さえ的外れであり、切腹の真似事と祈りそのもののならわしを同一線上に語れるものではない。時代の寵児だった著名な作家が序文を書くとなれば出版社にも矢頭にもモデルを断る理由はなかっただろうが、聖セバスチャンの殉教を再現して褌姿で苦悶の表情を作った三島の自己陶酔は滑稽なものでしかなかった。矢頭が選んだ他のモデルの、頑健で素朴な面立ちの男性たちが醸し出すあくまでも無作為な魅力に比して、技巧も露わな三島の写真は異彩を放っていた。意図があさましいのだ。

 そうした三島の空回りは、「裸祭り」序文の一節にも明らかだ。

【三島由紀夫による序文】抜粋
 日本の男たちは、この一冊の写真集の中では、かれらもその一員に他ならぬ近代的工業社会の桎梏しっこくから、祭りの一日だけは抜け出して、日常は大工場のブルー・カラーであり、あるひは大建設会社の下請労務者であるものが、日本の古い民衆の風俗に守られて、褌一本の雄々しい裸になり、生命にあふれた男性そのものに立ち還り、歓喜と精悍さとユーモアと悲壮と、あらゆるプリミティヴな男の特性を取り戻してゐる。

「裸祭り」矢頭保 美術出版社(1969)

 これを読み「仮面の告白」を想起する方もいるだろう。私は思い出さずにいられなかった。例の「私が彼になりたいと思った」という場面をである。ただしこの序文においては、「仮面の告白」(1949)にあった「私」「彼」の対置と欲望は、表面上、行儀よく隠ぺいされている。そうして仮面を被り直した結果、この序文は何のこっちゃである。白いシャツ/青いシャツに象徴されるような階級差別にはそれが当時の習いであったろうから目をつぶるとしても、そうした悪徳を抜きにしてもこの文章はひどい。狙いを外してしまっているのだ。

 これは「日常」と「祭」の対比、「ハレ」と「ケ」の話である。
 語り口も仰々しいが、この序文において「裸祭り」を近代社会で生命力を奪われた哀れな男たちが解放される装置とするなら、文章効果からも男性性を取り戻す男たちは必定ホワイトカラーでなければならない。そうなって然るべきだったのだ。
 だから本来、この文章は以下のようになるべきだった。

 日本の男たちは、この一冊の写真集の中では、かれらもその一員に他ならぬ近代的工業社会の桎梏しっこくから、祭りの一日だけは抜け出して、日常は大工場の管理者であり、あるいは大建設会社の重役であるものが、日本の古い民衆の風俗に守られて、褌一本の雄々しい裸になり、生命にあふれた男性そのものに立ち還り、歓喜と精悍さとユーモアと悲壮と、あらゆるプリミティブな男の特性を取り戻している。

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 こうして「ブルーカラー」と「ホワイトカラー」を置き換えてもまだ、参加者の業種は極めて限定されたままだ。三島由紀夫の頭の中では、どうしても裸祭りの参加者は工業系でなければならなかった。その点は理由を後述するが、まずは階級問題である。下帯一本の、ほとんど全裸であるような姿を賞賛され、男性としての生命力と名誉を取り戻す装置が裸祭りであると言い切りたいのであれば、ここは対比として「ホワイトカラー」の男性が描かれなければならなかったはずだ。

 この「社会の歯車となり生命力を失った男たちが男性性を取り戻す」というハレを書き切るべきところで――あろうことか――三島は参加者を「着衣のままで/褌一本にならずとも」男性的魅力に溢れた労働者階級としてしまった。しかしそれでは落差は生じ得ない。必然、起こるべきだったダイナミズムは顔も出さずに死んでいる。
 裸祭りが桎梏から男たちを解放する装置である必然を、自ら薄めてしまっているのだ。なぜこのような愚が起きたのか。三島が性的に欲した男性はブルーカラーだったからだ。ホワイトカラーの男性では、彼の性的ファンタジーを支えないのである。「男性的」な業種と考えてみても、特権階級の家庭に生まれ小説家となった三島にはほかの業種業界が「男性的」で在り得ると想像しきれなかったのだろう。抜きがたく性的好みの問題もあったのである。

 この序文において、三島は文章効果よりも自らの欲望を優先している。しかも晴れがましく「褌一本の雄々しい裸にな」ってゆく男たちと対照的に、彼は彼らブルーカラーに対する自らの劣等感を覆い隠す新たな仮面として、尊大なポーズを取るのである。

 この短い段落にさえ、三島の劣等感は深い。上流階級をひよわな存在と蔑視しつつ自らも上流階級出身であった三島は、ここでやおら労働者階級へ尊大な侮蔑を向けてみせる。そのポーズはあまりにも体面的で、一層卑屈だ。屈強な男性を幻想し同化したいと望み続けながらもついに観念でしか労働者階級にある男性を理解できなかった三島の限界が、ここに露呈しているのである。作家として三島由紀夫は天才であっただろう。そこは疑いない。しかしゲイとしては非常に不器用であり、内奥は卑屈さと尊大さに引き裂かれていた。仮面の奥から「私が彼になりたい」と願い続けた人生だったわけだ。
 本来なら私はそのルサンチマンに涙してもよい。その憧れが癒えない渇きと知ればこそ、引き寄せ肩を抱いてもよい。それはゲイなら誰でも理解するような憧憬であり、自己存在に裏切られる経験だからだ。もし三島がその悲しみを吐露することができていたなら、思いを重ねるに難くない。

 しかしこの序文において、三島は自らのコンプレックスを正直に書かず、「隠そうとして」無様に失敗した。それでもギリギリで自らを「逆柱」と認識し得た三島のバランス感覚には感心しなくもないのだが、だとて捻れた優越と卑屈が好きになれるわけではない。私にはそこがとても不快なのだ。
 憧憬と劣等感を尊大さに隠せば、代わりに侮蔑と支配欲が立ち込めた。三島にとってブルーカラーの男たちは鬱屈していなければならず、行き場なく充満した精力を抑えつけられていなければならなかった。そんな性的空想のなかでのみ、三島は「男たち」を性的に屈服させられたからである――性的対象を見下さなければ欲望できない者がいるものだが、この文章からは彼がそうである——三島にとって男たちは、「見下すために」滑稽でなくてはならなかった。「付け入るためには」悲壮であっても欲しかったのである。その心の作りの、なんと陰惨なことだろうか。

 無論この「序文」における三島の役割を、仰々しくもメイル・ヌード写真集を「日本文化の記録」と言い張ることと捉えれば、三島の筆致は自然でもあるかもしれない。苦しいが、落としどころとしてこうなる、と言える。出版社と写真家がそう考えていたかどうかは知る由もないが、序文にみる限り三島はこの写真集を「メイル・ヌード写真集」と捉え、購買層を同好の士、つまりゲイと考えたのではないだろうか。「いものがあるんだが、君はこんなものも見るかね」と、エロ本をこっそり見せようというのである。

 短く批判すれば、ゲイが隠花植物と自らを嘆きながら、同性指向を美学めかしていた時代が私はきらいである。それはちょうど三島の観念的な光を放つ双眸や、ボディビルで造り上げた肉体のように、私の肌に合わない。この序文にはそうした時代の空気が、無視できない濃密さで立ちこめているようだ。ただ、写真だけが素晴らしい。
 
 果たして写真集の序文について、三島について、これほどの量で書く必要があっただろうか。しかし重要なことなのだ。三島は力強く素朴な魅力を湛えた男性を求め、しかし決して彼らに愛されることはない自己を認識していた。そんな三島が「恋した」写真家こそ、矢頭保だったのである。

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