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シャボン玉が笑った|シロクマ文芸部

 シャボン玉を吹いている女の子がいた。中学生くらいだろうか、白いキャップの上にグレーのパーカーのフードを被り、アパートの階段に座っている。
 日曜日の昼、家にひとりでいることが寂しくて、近所の公園まで歩き、ベンチでコンビニで買ったおにぎりを食べて帰って来たところだった。
 アパートの階段は狭く、お互いが体を横に向けないとすれ違うことが出来ない。邪魔だなあ、と思いながら階段に足をかけた。
 女の子は、俺が近づいて来るにもかかわらず、立ち上がるどころか、隅に寄ることもなく、シャボン玉を吹き続けた。
「ちょっと、ごめん」と声を掛けると、女の子は体を少し横にずらすが、彼女のパーカーの袖と俺のジーンズの膝元が、密着しながらこすれ合った。
「ねえ」
 女の子は俺の顔を見上げた。
「あ、ごめんね」
 ここに座っているお前が悪いんだろ、と思いつつ、文句一つ言うのも面倒臭くて軽く謝った。
「そうじゃなくて、おじさん、チャック開いてるよ」
 視線をズボンの股に落とすと全開になっていた。女の子は慌てて閉める俺を見てクスクスと笑った。
 このアパートに十五年くらい居るが、独り者か小さい子供がいる家族しか見ることがなかった。ここに住んでる子ではないようだし、そんな年頃なのにシャボン玉を吹いてることが不思議だった。
 女の子は石鹸水の入った容器の蓋を閉め、また俺の顔を見上げた。
「私……アイナ。おじさんは?」
 普段は通りがかりの人と話すことは無く、ましてや名前を聞かれることなんてあり得なかった。
「佐藤ですけど」
 親子ぐらい年が離れた子から、自分の名を名乗って尋ねてきたことで、警戒することもなく自然と口に出た。
 女の子は立ち上がり、俺の目をじっと見つめて、
「私のママは、佐藤にろくな奴はいないって言ってたけど、おじさんは違う感じがする」と言った。
「え、どういうこと?」
と尋ねるが、女の子は黙ったままだった。
「なんで、こんなところでシャボン玉吹いてるの?」と俺が訊くと、
「なんでここに来たのかわかんない。でも、寂しい時はシャボン玉が笑ってくれるの」
 女の子はそう言って階段を下りていった。俺は彼女の背中を見つめながら首を傾げた。女の子は最後の一段を下りると、こっちを振り向いた。パーカーのフードを下ろし、「じゃあね。バイバイ」と手を振って帰っていった。
 呆然としていると、ふと、娘のマナのことを思い出した。自分の中では一歳になったばかりの赤ちゃんのままだが、さっきの女の子ぐらいの年齢になっているはずだ。思春期だから、今の父親と口を利かない関係になっているかもしれない、と身勝手に想像した。
 アイナはお父さんと上手くいっているのだろうか、大人になってもシャボン玉を吹くのだろうか、なんてどうでもいいことを考えた。アイナってどう書くのだろうか。愛に菜かな、と自分が好きな字を当てはめると、娘がまだお腹の中にいるとき、良い画数なのか調べたことを思い出した。
 突然、鳥肌が立った。俺は階段を駆け下り、アイナが歩いて行った地下鉄の駅の方へ走った。息を切らしながら、コンビニの店内も探してみたが、白いキャップを被りグレーのパーカーを着た女の子を見つけることが出来なかった。
 俺はコンビニにあったシャボン玉セットを買った。アパートに戻り、アイナが座っていた階段に腰掛けた。
 シャボン玉を吹くと、次々に出てくる泡が、春空の光を浴びて輝いた。生まれて間もない時の娘や、自分の知らない幼稚園や小学生の頃の、マナの笑顔が映ってみえた。
「ありがとう。来てくれて」
 思わず呟いた。
 暖かく柔らかい空気を包んだシャボン玉は、四階のアパートの屋根まで飛ばずに消えてしまうが、愛菜まなのクスクスと笑った顔は、ずっと空に浮かんでいた。




こちらの企画に参加させていただきました。
小牧幸助さま、宜しくお願いします。

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