「違い」を「間違い」と分けられるか - 出る杭から実のなる大木へ
日本語では「違い」の延長線上に「間違い」を置いてしまうことがある。「間」が開けば開くほど「間違い」と捉えてしまう可能性がある。
大学のコミュニケーション学の名誉教授の先生に教えていただきました。

大人になり、親となり、国際結婚で生まれた3歳半の息子とともにずっと考え続けるトピックだろうな、と感じていることの一つです。今日は大きなトピックではありますが、「違い」について少し考えてみました。
1. 先天的な違い
子どもから大人、老若男女、グローバル規模でこの「違い」にどう向き合えるかというのは課題のようです。個性の重要性は話され続けられていますが、人の争いやいじめのきっかけとして、この個性や違いが発端になるようなことも多いような気がしています。幼稚園や学校でも、外見や小さな見た目の違いがきっかけになることもあるかもしれません。大人でも人種、民族感が原因の争いもいまだにあるかと思います。
最近話題に上がるアメリカの人種差別に関する件でも、昔からなかなか乗り越えられない社会問題として存在し続けています。60年前にアメリカでローザ・パークスさんのバスの乗車が問題となったモンゴメリー・バスボイコット事件がきっかけに始まった公民権運動で、キング牧師が有名な"I have a dream"演説で多くの人に訴えかけて、勝訴を勝ち取ったことも思い出されます。
2. 自文化中心主義からの脱却
留学中に英語でEthnocentrismという単語を学びました。自文化中心主義や自民族中心主義と日本語にされるようです。
エスノセントリズム(英: ethnocentrism)とは、アメリカの社会進化論者ウィリアム・サムナーの造語で、自分の育ってきたエスニック集団(族群)、民族、人種の文化を基準として他の文化を否定的に判断したり、低く評価したりする態度や思想のこと。自民族中心主義、自文化中心主義とも呼ばれる。(こちら)
留学や海外生活を通して得ることのできた大きな学びの一つが、「違いは当たり前」と感じられることのように思います。違う国から来た人が集うと、自分の価値観だけが正しいという自分の視点を見直すことが必要になります。文化相対主義 (Cultural Relativism) という考え方がさらに必要になるかもしれないなと改めて考えています。
3. 後天的な違い - 出る杭
後天的に出てくる違いもあるような気がしています。「出る杭は打たれる」について、杭の出方が中途半端だと、嫉妬心みたいなものから誰かが打とうとするのではないかな、と勝手に思っています。もし杭が大木のように太くて、高くて、根もしっかり張っていたとしたら、他の人は打とうとも思わないし、むしろ他の人が大木の下で雨宿りができたり、できた果実を与えることもできるのではないかと思っていたりもします。
ちょうど偶然イチローさんが、こどもに出る杭について聞かれている動画を見つけました。「打たれないためには突き抜ければ良い」とあっさりと話す姿に言葉の重みを感じ、強く共感させられました。
最後に
金子みすゞさんの、「みんなちがってみんないい」も我が子も少しずつわかる年齢になってきたかな、と思っているところです。
息子が起きてきたので、この辺りで終わりたいと思います。
今日も最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
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