文章を書いていてよかった、と静かに思えた夜inライター忘年会
「ライター忘年会」が始まる三時間前、ぼくは会場近くのカフェにいた。まだ薄い午後の光が窓辺にこぼれていて、カップの縁から立ちのぼる湯気だけが、少しだけ現実をやわらかくしてくれていた。
けれど、ぼくの心はまったく落ち着かなかった。コーヒーはもう冷めているのに、手は汗ばんでいて、胸の奥では小さなざわつきが延々と続いていた。
大人数は苦手なのに、知らない人ばかりが集まる会に足を運ぶ。きっと自分から誰にも話しかけられない。いつもなら杞憂で終わる不安が、今日は胸の中のほとんどを占めていた。
参加を迷う理由はいくつもあった。ぼくはこれまで、意識してライターではない人ばかりに会ってきた。同業者同士で過ごす時間は楽しいし、言葉を丁寧に扱う人たちの空気は居心地がいい。でも、そこで自分の世界は広がらないんじゃないかと、どこかで思っていた。
孤独に書くほうが、自分には向いている。そんなふうに、知らず知らず信じていたのかもしれない。それなのに今、ぼくは「ライター忘年会」なんて場所に向かおうとしている。自分でも驚くような衝動に背中を押されて、ここまで来てしまった。
カフェの窓の外を歩く人たちは、誰もこの緊張なんて知らない顔で通り過ぎる。その無関心さが逆に優しく感じられた。深く息を吸って、冷たくなったコーヒーを飲み干した。もう腹を括るしかない。そう思ったというより、そう思わないと立ち上がれなかった。
会場のエレベーターに乗り込むと、鼓動がひどく速くなった。扉が開いた瞬間、温かい空気とざわめきがなだれ込んできて、一瞬だけ帰りたくなった。でも、足は勝手に前へ出ていた。
イベントが始まると、会場の空気はゆっくりと温度を増していく。壇上に現れた伊佐知美さんといしかわゆきさんのクロストークは、画面越しでしか知らなかった言葉の主が、確かに息づいて語っているという喜びに満ちていた。
ああ、この人たちはちゃんと実在していたんだ。
そんな当たり前のことが胸の奥で柔らかく弾けて、しばらく観客という意識すら忘れて聞き入った。
トークが終わり、集合写真の時間がやってきた。光の中で笑い合う人たちの姿を見て、この場所に自分がいることがまだどこか信じられなかった。
そして、乾杯の声を合図に交流会の幕が開いた。すぐさま人の輪が広がっていく。重なり合う笑い声、名刺交換をする人。その全部が空気を一気に明るくしていく。
その明るさに目が追いつかなくて、逃げるように会場の端へ向かった。もともと人混みが得意ではないし、急に世界が広がりすぎたように感じたのだ。
そんなときだった。
「もしかして、サトウさんですか?」
振り向くと、SNSで何度もお見かけしていた人が立っていた。現実の声で名前を呼ばれるだけで、胸の奥がふっと温かくなる。
ぼくはすかさず返した。
「本当に実在していたんですね」
言ってしまってから可笑しくなった。けれど、その人は目を丸くしたあと、優しく笑ってくれた。そこから、まるで波のように次々と人が声をかけてくれた。そのたび、条件反射のように同じ言葉を返していた。
「本当に実在していたんですね」
完全に、「本当に実在していたんですねbot」と化していた。でも、その言葉には嘘がひとつもなかった。今日ここに来て、初めて画面の向こうの誰かが、輪郭のある人として立っているのを見ることができたのだから。不思議なことに、その単調な一言が、ぼくにとっては小さな祈りのようでもあった。
会話を重ねるうちに、胸のざわつきがゆっくりと溶けていった。「更新楽しみにしています」と言ってくれる人がいて、「応援しています」と微笑む人もいた。
その瞬間、孤独に耐えながら続けてきた夜が、静かに報われた気がした。
書くことは、いつもひとりだった。まだ暖房の効かない朝の机で、白い画面とにらめっこをした日も、誰にも読まれないかもしれないという不安に負けそうになった夜もあった。けれど、あの積み重ねた夜は、たしかに誰かに届いていたのだ。その事実だけで、胸の奥がじんわりと温かくなった。
イベントが終わり、外に出ると、冬の夜気が頬を撫でていった。冷たさは変わらないのに、どこかやわらかく感じられた。街灯に照らされた自分の影が、いつもよりまっすぐ伸びていた。
「文章を書いていて、ほんとうに良かった」
その言葉が胸の奥に静かに沈み、まるで小さな火種のように光り続けた。これから先も謙虚さと感謝の気持ちを忘れないよう生きていたい。自分の実力なんて豆粒程度のものだ。まだまだ成長の余地は残されているし、成長しなければ生き残ることはできない。
冷たい冬の夜風の中を歩きながら、そっと目を伏せる。胸の奥に灯った感謝の気持ちと、そしてほんの少しだけ誇らしくなった自分を抱えて、ゆっくりと帰路についた。
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