嫉妬という感情は、冷たいようで熱い
嫉妬という感情は、冷たいようで熱い。触れれば鋭く、でも内側ではじっと燃えている。子どもの頃は嫉妬が持つプラスの側面に気づけず、ダメなものと考えていたのだけれど、大人になってからはうまく活用すれば、大きなエネルギーを生み出すガソリンになるという認識に変わった。
嫉妬という感情は、自分なら同じことができるという慢心から生まれるものだ。現時点では確実に負けているのに潔くそれを認められない。カッコ悪さの権化のようなものだ。心の奥に纏わりついた嫉妬という感情は己の身を滅ぼす要因となる。ポジティブに捉えれば、まだ自分の可能性を捨てていないという意味にも受け取れるが、たいていの人間は嫉妬の渦に飲み込まれるのがオチだ。
たとえば、SNSで知り合いが「出版します!」と報告したとき、飲み会で話をうまく回す人を見たとき、会社で誰かが褒められている様子を見たとき、何かハッピーなニュースを目にするたびに、誰かの成功が妬ましいと感じてしまう。嫉妬はどこか遠くから吹いてきた風が、自分の中の灰を静かに煽るように突然生み出される感情だ。どうして自分じゃないのだろうか。自分もそれぐらいならできるのに。そんな感情と出会うたびに、すぐに蓋をして見て見ぬ振りをしていた。
でも、嫉妬を悪いものだと決めつけてしまうのは、なんだか少しもったいない気がする。どうにかしてポジティブに捉えられないだろうか。そこで嫉妬という感情を味方につける方法を模索することにした。「弘法筆を選ばず」という言葉を信じるのであれば、どんな感情もうまく活用できるはずだ。
まずネガティブな側面を考えるのをやめてみることにした。嫉妬を己の身を滅ぼす刃だと仮定して、それを逆手に取ってみる。刃は人を傷つける可能性を孕んでいるが、料理を作る包丁しても活用できるのだ。嫉妬が刃だとすれば、扱い方を間違えなければ、ポジティブな方向で活用できる。
いわば嫉妬は、ガソリンみたいなものだ。何かを燃やすために必要な無色透明の液体。車体に注ぎすぎれば漏れ出すし、こぼせばきつい臭いが周りに充満する。でも適量を注げば、自分の体をどこまででも運んでくれるエンジンと化す。
嫉妬について捉え方を変えてみた結果、わざと少しだけその感情を眺めるようになった。なぜ嫉妬という感情が生まれたのか。どうして羨ましいと思ったのか。時間をかけて思考の海の中に潜ってみると、たいてい自分の心の奥底に眠る願望と出会っていることに気づく。嫉妬は、自分でも気づいていなかったエンジンを動かすスイッチなのかもしれない。そう考えると、嫉妬の数だけ成長の機会が隠されていると仮定できる。
ぼくは何者にもなれない。どれだけ足掻いても活躍している人間と同じ人生を歩めないし、誰かの持っているものをそのまま欲しがることもできない。だけど、誰かの活躍を見て、胸の中に小さなざわつきが生まれた瞬間にこそ、自身の進むべき方向性が明らかになる。あの人のようになりたいわけではない。自分の中に搭載されたエンジンで、目標に向かって突き進んでいく。それこそが、自身のやりたいことなのだ。
もちろん、嫉妬は扱いを間違えると、自分を傷つけてしまう。他人と比べてばかりいると、燃料が漏れてやがて地面に広がっていく。そして、何かの拍子で自分の足元に火がついて、取り返しのつかない事態を招く羽目になる。大切なものを焦がしてしまうと、それはもう使い物にならない。ぼくは搭載されたガソリンをうまく活用できなかった。その後悔の繰り返しを経て、ようやく嫉妬との正しい付き合い方を理解できるようになった。
生きている以上は、誰かを羨む瞬間からは逃れられない。たまに他人ではなく、昨日の自分と比べるという猛者と出会うことがある。自身もそんな人間になりたいと思ったことはあるけれど、どう足掻いても他人の成功にばかり目を奪われてしまう。人間の本質はすぐには変わらない。だからこそ、潔く彼らのようにはなれないと諦めることにした。その代わりに嫉妬という感情とうまく付き合う方法を模索した。その結果、少しだけ生きやすくなったような気がする。
今日もまた誰かの活躍を見て、少しだけ胸がざわつくのを感じた。だが、その瞬間に生まれたガソリンは自分をうまく操作燃料として活用する手段になり得る。嫉妬という感情をどう使うかは自分で決めていい。火をつけてもいいし、時にはブレーキをかけたっていい。諦めるという決意は何も悪いことばかりではない。大切なのは、諦めた後にどんな行動を起こすかだ。
嫉妬という感情は、冷たいようで熱い。触れれば鋭く、でも内側ではじっと燃えている。それを怖がることなく、有効活用できる人間はかっこいいと思う。
適宜ガソリンを補給しながら、自身の速度で少しずつ前に進んでいきたい。時には寄り道をしてしまうこともあるだろうけれど、きっと行き着く先は手に入れたいと願った未来だ。嫉妬というガソリンはいわば願いである。その事実を知った人間は、羽の生えた鳥のようにどこまでも羽ばたくことができるに違いない。
※当エッセイは、斉藤ナミさんの新連載を記念して、池松潤さんがご企画された「 #嫉妬祭り 」の参加作品として執筆しました。
改めて、ナミさん新連載おめでとうございます!そして池松さん、楽しい企画の開催をありがとうございます!
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