見出し画像

エッセイなんて金にならないでしょ?

 「エッセイなんて金にならないでしょ?」

 そう言われて、ぼくは笑った。いや、笑いで誤魔化しただけだ。本当は怒りでどうにかなりそうだった。うるせぇなという言葉が喉元まで出かけたし、殴ってやろうかと思った。その人に悪気はなかった。ただ現実を言っただけだ。でも、その一言が胸の奥に刺さったまま抜けない。何も反論できない事実が悔しくてたまらなかった。

 「そうですね」とだけ答えて、目の前のコーヒーに口をつけた。苦味がいつもより濃く感じられた。窓の外では、雨が降っているようだ。ガラス越しに見える街はぼんやりとかすんでいて、まるで未来の輪郭が見えないみたいだった。

 仕事で書く文章は、誰かの役に立たなければならない。企業の思いを伝えること。サービスを宣伝すること。けれど、エッセイは違う。うまく伝わらなくてもいい。誰かを感動させようとしなくてもいい。ただ自分の中の声を、形にして置いておく。それだけで、少しだけ生きやすくなる。

 ずっとそう思っていた。けれど、ときどき怖くなる。書いている意味が、ふいにわからなくなる夜がある。誰かの役に立たなければ、存在価値がないんじゃないかと。「いい文章ですね」と言われなければ、不安になる。誰かに届かなければ、書いた意味がない。机の上の光の下で、指が止まる。目の前の白い画面に、自分の無力さだけが映っている。

 本当は、どちらも嘘ではない。役に立ちたいと思う気持ちも、ただ書きたいと思う気持ちも、どちらも自分の中に存在している。そのあいだで揺れながら、読者が読みたいと思う文章を探しては、路頭に迷ってしまうだけだ。

 SNSを開くたびに、知り合いがどんどん出版していく。何かで賞を受賞し、それをきっかけに出版が決まる。はたまたSNSでバズって出版が決まるケースも多い。どちらも世間に求められているエッセイを書いているという事実は変わらない。書店に並ぶ写真。帯に並ぶ推薦コメント。「夢が叶いました」と添えられた投稿。そのたびに、胸の奥がざわつく。ぼくはそれを指を咥えながら見ることしかできない。

 心から祝福しているのも事実だ。でも同時に、心の奥では小さな炎が燃えている。悔しさ、焦り、嫉妬。いいねを押す指先が、少しだけ震える。「おめでとうございます」と打ち込むたびに、自分の中で何かが崩れていく音がする。そんな自分が、いちばん嫌いだ。でも、目を背けたくない。この感情の中にしか、ほんとうの自分はいない気がする。

 誰かの夢が叶う音を聞くたび、心のどこかが軋む。その軋みの中で、自分の現実を見つめ直す。痛みを感じられるうちは、まだ前を向ける。痛みがあるから、書ける。それが唯一の救いだった。

 正直、今のところエッセイは、お金にはなっていない。けれど、それでも書きたい。誰もが驚くようなエッセイを書いて、彼らに続きたい。

 ある日、見知らぬ人からメッセージが届いた。

「あなたの文章を読んで、少しだけ楽になりました」

 たった一文。それだけだった。でも、その一文のために、何年も書き続けてきた気がした。届かないと思っていた言葉が、誰かの夜を照らしていた。その事実が、ぼくを少しだけ救った。

 だから、書く。誰かのためでもあり、自分のためでもある。役に立ちたい気持ちと、誰にも役に立たなくていいという願いが、いつも胸の中でぶつかり合っている。矛盾を抱えたまま、書いている。それでも、ひたすらに書く。

 陽が沈んだ頃に、空が黒みを帯びはじめる。街がネオンで彩られる頃、ぼくはエッセイを書き終える。保存ボタンを押し、深く息を吐く。投稿するかどうか、しばらく迷う。でも、いつものように「公開ボタン」を押す。誰が読むかわからない。それでも、この小さな光を消したくなかった。

 SNSでは、また誰かが出版を報告していた。祝福のコメントで埋まるタイムラインを見ながら、ぼくはコーヒーを飲む。苦味の中に、ほんの少しだけ甘さを感じながら。

 エッセイなんて金にならない。わかっている。それでも、書く。書かずには、生きられない。そして、ぼくは願っている。この手で書いた言葉で、いつか誰かの心を震わせたい。ぼくはエッセイストとして、死ぬほど売れたい。本当にやりたいことが見つかったこの人生を心から嬉しく思うと同時に、自分の実力不足を大いに嘆いている。

いいなと思ったら応援しよう!

サトウリョウタ@編集者 ありがとうございます٩( 'ω' )و活動資金に充てさせて頂きます!あなたに良いことがありますように!

この記事が参加している募集