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田辺城資料館(京都府舞鶴市)へ見学してきました🏯

 この記事に目を留めていただき、どうもありがとうございます。
 
 舞鶴を旅行中に、タクシーの運転手さんから「東舞鶴は海軍縁の地で西舞鶴は城下町」とお聴きしました。田辺城は戦国武将の細川幽斎が関ヶ原の合戦の際に籠城したお城でもあります。せっかくの機会ですので城趾と資料館を見学してきました。
 このままお読みいただけますと幸いです。


🏯田辺城籠城と古今伝授

 1600年、関ヶ原合戦の前哨戦として西軍1万5000人の軍勢が細川氏の両国である丹後国(現・京都府)を攻めました。この時、細川忠興(細川幽斎の息子)率いる主力は東軍の陣にあり、家老の松井康之は新しく拝領した豊後国杵築(大分県杵築市)に派遣されていました。そのため、細川幽斎は残されたわずか500人ほどの兵でこれを迎え撃ち、田辺城に籠城します。
 籠城戦は52日間に及びましたが、幽斎が「古今和歌集」の秘事口伝の伝承者(古今伝授)であったため、古今伝授の廃絶を憂慮した後陽成天皇の勅命で包囲が解かれました。

🏯細川幽斎とはどんな武将か。

 細川幽斎は、1534年に生まれ、1610年に亡くなっています。室町時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将であり、文化人でもあります。
 戦国時代には織田信長に接近し、1568年に織田信長の支援を受けて足利義昭を第15代将軍に就任させました。その後、足利義昭と織田信長が対立した時は、織田信長に臣従しました。
 1580年に織田信長から丹後国南部を与えられ、宮津城を居城としました。
 1582年には本能寺の変にて織田信長を討ち取った明智光秀に敵対し、出家・剃髪の上、田辺城に隠居しました。その時までは「藤孝」と名乗っていましたが、隠居後は「幽斎」と名乗りました。
 豊臣秀吉が天下を取った後は、文化人として重用されます。
 豊臣秀吉が死去すると、今度は徳川家康に臣従し、関ヶ原の合戦では東軍(徳川家康の側)に味方します。
 関ヶ原の合戦後は、悠々自適な晩年を過ごし、1610年に77歳で死去しました。 

缶バッジ

 この缶バッジは田辺城資料館で無料でいただきました。細川幽斎をモチーフにした舞鶴市の公式キャラクターとのことです。
 ここ以外では「ゆうさいくん」を見かけませんでしたので、PRはやや控えめなのかもしれません。

🏯田辺城

 田辺城は、1582年の本能寺の変の後、隠居した細川幽斎が住む城として伊佐津川と高野川に囲まれた平野部に築かれました。これ以後、田辺城は細川・京極・牧野氏の居城として約290年間、両国統治の中心的存在でした。
 しかし、1873(明治6)年に廃城され、現在は、舞鶴公園となっています。

🏯田辺城跡(舞鶴公園)の見どころ

 舞鶴公園の一部に田辺城の痕跡がありました。一部分ですがご紹介します。

舞鶴公園の全体図です。
田辺城城門
天守台跡

 天守台の規模は、東西約21㍍、南北推定約31㍍、基底部から遺存高約4.5㍍となっています。
 石垣は、自然石や荒割石を用い、その隙間に小石を詰めた古式穴太積み技法によって積まれています。
 この技法は、織田信長の安土城や豊臣秀吉の大阪城の石垣にみられることから、細川幽斎・忠興父子が天正年間(1573〜1592)後半期に築城した当時の遺構であることが判明しました。

本丸井戸跡(復元)

 この復元した井戸跡は、背後の本丸石垣に半円形の凹みがあった場所を発掘調査によって確認したもので、直径1.5㍍、深さ0.9㍍の桶を転用した井戸が見つかりました。
 井戸跡からは細川氏・京極氏が城主だった頃の瓦や陶磁器のほか魚や動物などの骨も見つかり、城内での食生活の一端を窺い知ることができました。

心種園

「いにしへも今もかはらぬ世の中に こころの種を残す言の葉」
 (細川幽斎が田辺城籠城戦の際に詠んだ和歌)

二重櫓
くつろぎ広場

🏯田辺城資料館の基本情報

①住 所:舞鶴市字南田辺15番地22
②アクセス:JR山陰線・舞鶴線西舞鶴駅から徒歩約10分
③開館時間:午前9時〜午後5時(最終入館は4時30分)
④休館日:毎週月曜日(祝日の場合はその翌々日)、
     祝日の翌日、年末年始(12月29日〜1月3日)
⑤入館料:一般の場合は100円、学生(小学生〜大学生)は50円

🏯御城印について

書き置きの御城印

 旅の記念に購入しました。1枚300円でした。

🏯まとめ

 細川幽斎による田辺城籠城のエピソードはうろ覚えでしたが、資料館の見学により改めて学ぶことができました。
 それにしても合戦の最中に古今和歌集の秘事口伝が失われることを憂慮した後陽成天皇の勅命で戦が終了したということに驚きを禁じ得ません。下剋上の世の中であっても天皇の権威はそれだけ強かったのかもしれません。
 田辺城資料館では、係員の方が親切に説明してくださいました。そして日本史に関する知識がとても豊富でした。聴いていて勉強になりましたし、楽しい時間を過ごすことができました。
 しかし、痛恨のミスもやらかしました。ちょうど旅行の最中に、偶然に和田竜氏の執筆した歴史小説『最後の一色』の途中(半分ぐらい)まで読んでいました。小説の舞台は丹後国ですし、細川幽斎・忠興父子も出てくるため、そのことを話題にしました。
 係員の方に悪気は全く無いのですが、細川氏と一色氏との関係を結末までスラスラと流れるように説明してしまいましたので、話の筋が分かってしまい、読書の楽しみが半減してしまいました。正に「後悔先に立たず」でした。
 それでも田辺城資料館の見学で歴史を学ぶ楽しみを再確認できたのは良かったかなあと思っています。
 
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