no.25/『ヒーローは少し遅れて立ち上がる』(#日向荘の人々 / 連作短編集②)
ーー小説版ーー
※目安:約5600文字
こんな朝は珍しい。
早い時間から物件探しなんて始めてしまったからだろうか。
今回は僕の意に反した引っ越しだからだろうか。
……昔、ヒーローショーへ行った。
黄色の戦士がカッコよくて、帰りにはじめて買ってもらったソフトビニールの人形を握りしめながら
「ぼくも大きくなったら黄色の戦士になるんだ」
と、言った。
けれど、それをニコニコと微笑みながら見てくれていたであろう人の顔を、もう鮮明には思い出せない。
声は、もっと前に記憶から消えてしまった。
母との、唯一に近い思い出。
突然思い出すなんて。
こんな日曜の朝は珍しい。毎週楽しみに見ているヒーロー番組が全く頭に入ってこなくて、気づいた頃には目の前にエンディングが映し出されていた。今なら、少しでも元気な姿を動画の一つにでも納めたのにと、持ち物に何の権限も持てなかった少年の自分を呪った。
そうだ、あの時と似ている
僕は生まれてしまった喪失感を悟られまいと
でもそんな姿は明らかに滑稽で
仮に、周囲への気遣いゆえの行動、のつもりだとしても、無意味なまま自分の首を絞めていくだけなのに。
僕は、何の成長もないまま再び似た状況が立ち塞がってきたのかと、打つ手なく無言でテレビを消した。
周囲の大人が思うより
僕はちゃんとわかっていた
お母さんに会うためには
病院へ行かなければいけなくなった時の事も
突然
もう会えなくなった日の事も
その理由も
壁という壁を黒と白の布が覆う四角い部屋へ集まった様々な人がざわつく中、小学二年生の僕は取るべき行動がわからなかった。でもきっと僕が悲しむ姿を見るのはお父さんもおばあちゃんも辛いだろう。そう思って、泣くこともせず静かにしていた。奇妙にざわつくこの空間で喪失感を悟られてはいけない。だから悟られないように。
それはきっとお父さんやおばあちゃんのためにもなる。
……だから、大丈夫なフリをした。
『翔くん、意外と元気そうね』
『お母さんが亡くなったこと、まだよくわかっていないんじゃない?』
『え? もう小学生よ?』
『ほら、発達の速度も女の子と違うって言うじゃない?』
『ひとりっ子だしねぇ』
『まだお子さん小さくて、旦那さん大変ね』
『おばあちゃんがいるんだからなんとかなるわよ』
けど、そんな僕を見た周囲の大人の言葉は意外にも冷たくて。ざわざわとした雑音をすり抜けるように耳へ届いた言葉は、幼い僕の心を突き刺した。慌てて否定したかった。本当は大丈夫なんかじゃないんだと泣き喚きたかった。ただの大丈夫なフリだって。でも、今更寂しいとか悲しいとか言えなくて、方法のわからない僕は、周囲の声に気づかないフリをした。
気づかないフリをしていた周囲の声が、やがて本当に耳に入ってこなくなったのは6年生の頃。最初に聞こえなくなったのはおばあちゃんの声。
『もう小さい子じゃないんだからそんなもの卒業しなさい、みっともない』
「……」
『毎週毎週朝からテレビにかじりついて、こんなものばかり見て』
「……」
「翔。好きならいいけど、ヒーロー番組なんてもう友達も見てないだろう? 学校で流行ってるゲームをお父さんが買ってやろうか」
「……いらない」
『あぁいやだいやだ、反抗期かしらねぇ』
「母さんも言い方があるだろう」
『父親がもっとしっかり言ってやらないからでしょう』
反抗期。実際そうだったのかもしれない。
でも、周囲の言葉から自分を守るには、これしか方法が思いつかなかった。
……中学1年のある日、目が覚めると異変に気がついた。
(体が動かない?)
冷静に考えれば“動かない”わけではなく“動けなかった”だけと気づくのだけど。開いた目に映った天井が、いつもより少し遠くて暗くて、色味を失っていくようだった。
狭くなった視界の隅に映る、ハンガーにかけられた制服に、袖を通すのを考えることさえ億劫になっていた。理由なんてない。ただ、億劫だった。
『翔、早く起きなさい。何時だと思っているの!』
部屋の扉をおばあちゃんがノックして何か言う。耳の奥でぼやけて響く。
……動けない……動きたくない。
今まで張っていた糸があと少しでプツリと切れてしまいそうなほど擦り減って、「この糸を張り続けているのは危険だ」と、僕の中で何かが訴えているようだった。
視界から色が消えていくように、このまま僕も世界から消えてしまえばきっと楽なのに。そんなことを思いながら、ぼんやり天井を眺め続けていた。
『翔、いつまでそうしてるの。いいかげん起きて学校に行きなさい』
あれから何分経ったのか知らないけど、おばあちゃんが勝手に部屋へ入ってきてカーテンを開けた。具合が悪いのかと言いながら顔色をのぞき込まれて「元気そうじゃない」とあきれられる。
だるい身体を引きずるようにベッドから起き出す。
気怠いまま支度をして制服に着替える。
重い足取りで学校へ向かっても、そこに僕の居場所は感じられなくなっていった。
僕はずっと何かを気遣っていて、その気遣いは次第に周囲への誤解を生んでいく。誤解は自分自身を苦しめて、やがて本当に学校へ行けなくなってしまった。担当生徒を不登校児へカウントしたくない担任とか、孫が学校へ行けないことを認めたくないおばあちゃんとか、そういうことを考えるのが面倒そうなお父さんとか。気遣いの副作用が自分自身の首を絞めていくことは、誰が責任を取ってくれるものでもない。
『小さい時にお母さんが死んじゃってかわいそうな河上君は全然悲しそうにしていないからきっと冷たいやつだ』
『ゲームもテレビも話が合わなくて面白くないやつ』
早くここを出て行きたかった。
生まれた時からの僕を知っている小さな街で、あたりまえに顔を合わせていたみんなが、空回りだらけな僕の経歴全てを見透しているみたいで。聞こえないふりをしていた同級生たちが僕を見てささやく声も、近所のおばさんたちの噂話も、おばあちゃんの愚痴もお父さんのため息も、本当は全部聞こえていたんだから!
年に数回しか足を運べなかった中学校はなぜかそのまま卒業できたけど、僕は、卒業式に出席しなかった。あの目に触れたくなかったから。
早くここを出ていきたかった。
東京の大学に進学するのであれば仕送りをしてくれるとお父さんが妥協案を出してくれて、誰も僕の事を知らない場所へ行くために毎日勉強をした。
空白だった中学時代を埋めるように、全日制ではなかった高校の分も。少しでも遠くへ行くために。自立して自分の責任で生きていくための第一歩を踏み出すために。
何とか合格した第一志望大学から程よく離れている場所で、安い物件のアパートを探していたら見つけたのが日向荘。
「翔、大丈夫か? もう少しセキュリティのしっかりしたところとか、住みやすい学生向けの賃貸マンションとか、探せばあっただろう? なにもこんな年季の入ったアパートにしなくても。今からでもいい物件が見つかったら引っ越したっていいんだぞ」
「ここでいい。家賃も安いし」
「父さんの学生時代だって、このくらいのアパートはさすがに家賃が安かったもんだ。学生寮とか、選択肢は他にもあったのになぁ」
「……いい」
僕が新生活の拠点に選んだ日向荘は、築年数がお父さんの歳と同じくらいで、きっと今までいろんな人の日常を見守ってきた古いアパート。ここでなら、僕の未熟な人生なんて紛れてかき消されてまうだろう。そんな期待に似た気持ちで。
古い柱は、画鋲のあとや小さな擦り傷があって、僕の知らない歴史を持っていた。少し古い畳はなかなか慣れないだろうけど、きっとそのうち馴染むだろう。
「……確かに今更こんなこと言ったってな。じゃぁ元気でやれよ」
「うん」
「あぁこれ。最初はいろいろ必要だろうから」
そう言って僕にお金の入った封筒を渡すと、引っ越しに付き添ってくれた父さんは帰っていった。管理の行き届いた学生寮も、きれいな今時のアパートも賃貸マンションも、その時の僕には明らかに不釣り合いだと思っていた。どれもキラキラしすぎている。
「……ありがとう」
「何かあったら連絡すればいいから」
「……ん」
そんなこともあまりないだろうと思いながら、曖昧に返事をした。
誰も僕の事を知らない新しい場所。新しい街、新しい学校。静かにしていれば穏やかに過ごすことができる。目立って楽しいことがなくても辛いことはない。
(プルルル……プルルル)
大学二年の秋、久しぶりにお父さんからの着信があった。
「……なんだろう?」
(プルルル……プッ)
「もしもし」
「翔か、おばあちゃんが亡くなった。明後日葬式だから、大学へ忌引きの連絡をして帰ってきなさい」
「え……」
僕が家を出てから病気が見つかったのも、その後入院していた事も知らなかった。
涙は出なかったけど
僕とお母さんの唯一の思い出を
「そんなもの」と言ったおばあちゃんへの怒りは
アパートへ戻る頃には不思議と消えていた
人の死なんてあっけないものだ……
僕がどれだけ無理をして大丈夫なフリをしていても、生まれ育った場所で過ごすことができない気持ちになっても、もうこの世にいないおばあちゃんには何一つ関係ない。
今までの行動は、本当に僕がしたくてしていた事なんだろうかと考えると、きっと違っていた。だからこそ苦しくて、誰も悪くない憤りをどこへぶつけるでもなく、空虚な場所へ放り投げるしかなかった。こんな気持ちになるくらいなら、最初から寂しいと言って泣けばよかった。
日向荘へ戻った僕が真っ先にしたのは、ずっと押し入れへ入れっぱなしになっていた段ボール箱を開封すること。部屋の明かりを点けて、そのまま押し入れに向かい勢いよく襖を開ける。目当ての段ボール箱だけを発掘するように引きずり出すと、留めていたガムテープを引きはがした。
箱を開けると見えてくるのは、日向荘へ引っ越してくる時に詰めた、僕の大切なもの。
正直、何を入れたかなんて覚えていない。ただあの街を飛び出すために全部捨てたくて、捨てきれなかったものを詰め込んだだけのもの。捨てきれなかったんだから、きっと大切なものだろう。
リセットしきれなかった僕の過去たち。
「…あった…!」
ヒーローショーの帰りに買ってもらった黄色の戦士。昔と変わらない姿で僕をみているようだった。これを買ってくれたお母さんは、今生きていたら何歳だっただろうか。小二の僕が心の奥に閉じ込めてしまった寂しさや喪失感が、この箱の中身といっしょに溢れ出て、時を超えて次々押し寄せてきた。
「……お母さん、本当は僕、全部、苦しかったんだよ……っ!」
あの夜、僕はお母さんがいなくなってから初めて泣いた。
僕がリセットしきれていなかった自分の心の内側は、素直に受け止めればそんなに悪いものではなかった。部屋の雰囲気もずいぶん変わったし、少しは自分のことも大切にできるようになったと思う。そして気がついたことは……
僕は、ちゃんと傷ついていた。
たぶん、この通知にもショックを受けていた。きっと僕にとっては、あの時に似た喪失感が生まれるほど。
住みなれたこの部屋と、好きなものを好きと言える空間と、気心知れたみんなと過ごしているこの毎日と。何かを防御しようなどという気持ちが生まれないほど穏やかな日常に。
こんなことを急に思い出したのは、朝から物件探しなんてしていたからかな。
でも……
ピコン
「ん? 通知」
足元に置いてあった携帯電話に視線を落とすと、チャットの通知がポップアップされている。
ピコン
ピコン
「……なんであるか?」
ものすごい頻度で主張を繰り返している。どうせここの住人のだれか……
ピコン
ほらやっぱり。
「……キツネ氏」
《ござるさん今日のブングオー見ました?》
《あれ? 起きてます?》
《超絶望的でしたけど神回でしたよねー!》
《いよいよ終盤っぽくなってきましたね!》
《ちょっとござるさん?》
《もしかして寝てます?》
《見逃しッスか?》
《もし配信見るなら一緒に見ましょう!もう一回見たいんで!》
僕がぼうっとしている間に、トーク画面はキツネ氏からのメッセージでいっぱいになっていた。こうしている間にも更にメッセージが増えていく。
《あ、既読。おはようございまッス!》
「……もはやみんなの前で、妙な気遣いなど不要であるか」
日向荘に住むみんなに、今更取り繕う必要はない。僕は素直な気持ちを返信した。
《おはよう。次の部屋を探していたら寂しくなって内容が頭に入ってこなかったである》
《まじスか!? じゃぁ103号室で待ってまーす!一緒に神回配信見ましょうね!》
「くははっ、神回であるか〜」
呟きながら玄関の扉を開けると、冬のパリッとした空気が青い空をよりクリアに見せてくれている。今の僕ならきっと次の居場所も見つけられる。
そのまま向こう隣の部屋へ向かい、形式ばかりのノックをしてから103号室のドアを開けた。
「おー、ござる! オハヨー」
「ござるさんおはようッす! 待ってたッスよ!」
「ござる。朝食は食ったか?」
「ござるくんおはよう」
みんながこちらを向いて出迎えてくれる。ここが今の居場所。ドアを閉めて、つっかけてきたサンダルを脱いだ。5人分の履物が小さい玄関にぎゅうぎゅう並んでいる。今からここで今日の見逃し配信を見よう。そしてまた次の居場所へも踏み出そう。
「みんなおはよう、遅くなったである」
《ヒーローは少し遅れて立ち上がる・完》
ーーフルボイスアニメ版ーー
【朗報】動いて喋る住人たちを覗き見れるのはこのチャンネルだけ!!
【連続アニメ小説『日向荘の人々』旅立ち編 】
▶︎ヒーロー、特に黄色の戦士に拘るござるくん。
乗り越えてきたはずの過去に再び囚われていることに気づいてしまい……?
想像以上に辛い過去回想の号泣シーンはぜひフルボイスの動画で見守りたい!
ep.101「ヒーローは少し遅れて立ち上がる」
声の出演
河上翔/控田まりおさん
翔の父/石滝涼さん
河上翔(少年期)/EA011さん
(回想)
上田中真/焔屋稀丹さん
鳥海拓人/韮山蒼太さん
大井崇/Neguさん
金森友太/成林ジンさん
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▶︎小説版では描ききれていなかった、住人たちの出会い編と、そのシナリオアイズ版(脚本)もよろしくお願います!
▶︎わいわい楽しい【日常編】もついに完結!
全てをそこに置いてきた!!
▶住人達がそれぞれのワケをひっそり乗り越えていく【旅立ち編】
毎月一話ずつ投稿中です
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