暗黙知から実在へ──ポランニーとバスカーに見る科学の存在論的転回

バスカーは、「科学が可能であるためには、その対象である世界はどのような世界でなければならないか」という超越論的問いを設定した。これにより目指したのは、ポパーの言うような反証による経験主義的レベルの知識の獲得にとどまらず、存在論的レベルでの知識の探究であった。

ポパーは、批判的合理論を展開するに当たって、知識の誤謬性を強調するあまり、その背景にある世界の探究の重要性をスポイルしてしまった。 バスカーはこの超越論的設問によって、ポパーが軽視した世界の存在論的条件を、再び理論の俎上に載せたのである。

科学的知識が暫定的で誤謬に開かれているとしても、それが向き合っている対象世界は、単なる経験の束や観察事実の集積ではありえない、と考えたのである。


暗黙知から実在へ──ポランニーとバスカーの射程

このバスカーの問いは、マイケル・ポランニーの暗黙知の次元を想起させる。ポランニーは手元にある情報を近位項、それを成り立たせているメカニズムを遠位項と呼び分け、近位項から遠位項を探索する人間の創造的な知の働きを、暗黙知と呼んだ。

杖で地面をつつくとき、手元にはその響きが伝わってくるが、それによって杖の先の地面がコンクリートなのか、土なのか、暗黙の内に知ることができる。

バスカーはこのポランニーの洞察を、存在論の次元へと徹底化したと理解できる。ポランニーは、「人間は言葉で表せる以上のことを知っている」と言ったが、ここで問題になるのは、その「言葉で表せる以上のもの」──遠位項──が、単なる認識の構成物なのか、それとも認識に先立つ実在なのか、という点である。

バスカーはここでさらに問うたのが、この「言葉で表せる以上のこと」である遠位項が、どのように存在しているのかということであった。

ポランニーが示そうとしたのは、人間の知がつねに明示的命題の水準を超えて働いているという、認識の事実であった。それに対してバスカーは、そうした認識のあり方が可能であること自体を条件づけている、世界の側の存在論的構造を問いに付した。バスカーの問いは、ポランニーの暗黙知論を、素朴な主観主義へ転落させないための理論的基礎づけであった、と言ってもよいだろう。

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