【夢日記 ✕ 夢分析】2026.01.18(日)『ユルユル』

大学院の頃の夢。研修として提携校に赴いたのだが、校舎へ足を踏み入れた途端「うんっ…?」となった。この心情は、言葉で言い表すのが難しいのだが「なんか違う…?」といった違和感を覚えた。また、この違和感も、ポジティブなものかネガティブなものかさえも、上手く解せなかった。

「思っていたのと違う」。こう書くとネガティブに聞こえるかもしれないが、フタを開けてみればポジティブな方へと転じた(≒良い意味で裏切られた)なんてこともある。その類いの違和感だったように思う。端的に言えば「なんかヘンな感じがするんだけど、コレがどう転ぶのかまではよく分からないんだよね。」といった感じ。拙い心理描写になってしまったが、ニュアンスが少しでも伝われば幸いである。

が、違和感の正体は、早々にして、答えが出た。

教職員の方と挨拶を交わす際、校舎内を移動する時に「あぁ、これか…。」となった。そう。この学校には「教室」という概念が存在しないのだ。例えるのならば「校舎の中で青空教室を行なっている」であろうか。矛盾した表現ではあるが、イメージを重視すれば、あながち間違いではないようにも思う。

「クラス」の概念はあるらしかった。ただしこれも「1組」「2組」などと明確な区分はなされていなかったため「らしい」という書き方にはなってしまうのだが。けれども、一定の間隔を空けて集団を形成している点から、なんとなく、そう察することが出来た。ただ、この間隔が、疎らだったのだ。僕はなぜ等間隔ではないのかが気になった。これは質問してみようかとも思ったのだが、相手の話を遮ってまで聞くのは憚られたため、結局、聞けずじまいに終わった。

(相手がどんな話をしていたのかは記憶に残っていない。挨拶に付随する内容であったとうっすら記憶しているだけだ。失礼を承知で申せば、僕は「建前・儀礼的・社交辞令」に類する会話は、意味を見出せないからか、耳から耳へ抜けてしまうところがあり、夢世界の僕もまた「聞いているようで聞いていない」状態だったと見える。申し訳ついでに、と書くとそれこそ失礼にあたるのだが、どんな人だったのかすらも上手く思い出せない。性別も失念してしまった。確か、用務員の方だったかとは思う。)

応接室へと通された。中に入ると外国人男性が居た。この時、まさか研修生の担当にあたる方が外国人だとは思いもよらなかったのもあり、僕は反射的に身構えてしまった。また、これは「日本人あるある」とも言えるかもしれないが、僕には、外国人を見かけると「あっ」となるところがある。京都に住んでいた時期もあるので、もう慣れっこであってもおかしくはないはずなのに、一向に慣れる気配は無く、むしろ苦手意識を強めている始末。今回もやはり「あっ、どうしよう…。」となった。付け加えると、前述した「青空教室風の校舎」へのモヤモヤ感も相まって、いつも以上に、狼狽の念を覚えたのもあるかもしれない。

「ユルユル!(笑)」
「デショウ?(笑)」

僕が、その外国人男性の顔色を窺うように、及び腰のテイでいると、それを察したのか、向こうの方から、フレンドリーに話し掛けてくれた。この時、カタコトの日本語で話されており、英語でなくともコミュニケーションが取れるのだと分かり、ホッと一安心した。この安堵感が強く印象に残ったのを見ても、京都に住んでいる際、日本語が通じない、自分の英語力では伝えられない、そういった苦い記憶が、トラウマと化しているのかもしれない。

「ユルユル…。はぁ。ユルユル…。(苦笑)」

ただ、日本語が通じると分かったところまでは良かったのだが、今度はまた、別の問題が出て来た。というのも、この「ユルユル」は、いったいどう解釈するべきなのか、咄嗟に判断が付かなかったのだ。なので、曖昧な受け答えになってしまった。けれども、外国人男性は気さくな笑みを浮かべたままだったので、僕もその調子に合わせようとした。しかし、引きつったような笑い方になってしまった。なので「(笑)」ではなく「(苦笑)」と書いた方が適当かと思う。

「ネッ!(笑)」

だが、外国人男性は、そんな僕の振る舞いを意に介することなく、高いトーンのまま、相槌を打ってくれた。それをありがたいと感じるのと同時に「あっ、そういうことか…。」と腑に落ちる思いにもなった。これはどういうことかと言うと、僕が及び腰であるのを受けて、意識的に声のトーンを上げた、というよりも、元々明るい気質の方なんだろうなぁと、人となりを推し量ることが出来たわけだ。無論、僕の主観でしかないわけだが、良い意味での鈍感力を持ち合わせている、とでもいうのか、僕と正反対の人物像であるのが窺えて「おぉ…。」となったのを記憶している。

それが僕の心を、スッとラクにさせた。

「ユルユル」の意味合いを考える必要なんてないと思えた。それも自然にそう思うことが出来た。僕の悪癖でもある「深読み・裏読み」を意識的にやめよう、とするのではなく、無意識のうちに、相手の言葉をそのまま受け取ることが出来た。それが僕の心をラクにさせたわけだ。これもひとえに、外国人男性から滲み出ている、陽のエネルギーのおかげであろう。

それを受けて、僕は「ユルユル」を「なってしまっている」というネガティブな表現ではなく「なれている」というポジティブな表現に置き換えた上で、外国人男性の「ユルユル デショウ!」に賛意を示した。また、この返答の仕方は、相手の期待を上回るものだったようで、とても喜んでくれたのを、強く記憶している。

この時、外国人男性の感情表現の豊かさもまた、自分には無い魅力だと思った。相手が喜んでくれると、僕も嬉しい。文字だけでは、この温度感が伝わり切らないかとは思うが、決して、耳心地の良い言葉を並べ立てているだけではない。心から、そう思えたのだ。心から、そう思わせてくれたのだ。彼は、そんなナイスガイだった。

続けて、僕は「心理的安全性」の観点から、この学校の運営手法のユニークさを称えた。このように、僕には「〇〇だから△△だ」などと、ロジックに寄った言い回しを用いるきらいがあるのだが、外国人男性は、そんな僕の長話にも、傾聴の姿勢を崩さず、真摯に耳を傾けてくれた。

それもまたありがたいことだったわけだが、講釈を垂れている自身に気付いたところで、自重の念が生まれた。僕は、人とコミュニケーションを取る際「話し手:聞き手」の比率が極端に偏るのは避けたいと考えており、特に、自分が話してばかりいるのは良くないことだ、そんな観念が強いのもあって「これはちょっといただけないぞ…。」と思ったのだ。ただ、見方を変えれば、外国人男性が、それだけ聴き上手だったとも言えようか。

話が一段落ついたところで応接室を出ることになった。この時、先ほど通った場所をまた引き返すことになったのだが、外国人男性と会話を交わす前と後とで、見え方・感じ方が180度変わっていることに、感動にも似た、強い驚きを覚えた。

とりわけ印象に残ったのは、教室で仕切られていないのを、ポジティブなものとして捉えたことだった。最初は、音が筒抜けであるのがひどく気になり、どちらかと言えば、ネガティブなものとして捉えていたのだが、この時の僕は、自分でも意外なくらい、全く気にならなかった。むしろ、垣根を取っ払って、開放的な空間にすることで、人の心にも、開放感が生まれるものなんだなぁと思った。繰り返しになるが、この時もまた、そう思おうと努めるのではなくて、自然と、そう思うことが出来た。

この頃には、校舎へ足を踏み入れた際に感じた違和感は、居心地の良さへと変わっていた。加えて、これはあまり経験したことのない感覚でもあり、物珍しい気持ちにもなった。というのも、元来「気にしい」である僕が、プライベートな空間が無いとも言える環境下において、のびのびとした心持ちで過ごせるのは、滅多に起こり得ないことだからだ。それこそ「実家に帰った時のような安心感」に近かった。そんな感覚を、まさか研修で赴いた学校で味わえるだなんて、後にも先にも、今回限りではなかろうか。

(「所詮夢の話でしょう?」と言われればそれまでだが、たとえ夢の中で起きた出来事だったにせよ、この感情のたかぶりは、現実世界の自分もまた、確かに感じていることでもある。その点は、どうか強調させて欲しい。)

それこそ「ユルユル」である。僕は、言葉の上では「心理的安全性のある学校環境のおかげで、みんながユルユルとした心持ちになれている」と評したわけだが、そう話している僕自身が、もっとも、ユルユルとした心持ちになれているのだということに、気が付いたわけだ。

それもこれも、外国人男性の人柄の良さに他ならない。彼のおかげで、諸々を気に掛ける必要は無いと思えたのだから。それは、対面してすぐ分かったことでもあったのだが、気恥ずかしさからか、面と向かって伝えるのは憚られた。今になって思えば、ロジックに寄った称え方をしたのは、そんな自身の恥ずかしさを押し隠す意味合いも、含まれていたのかもしれない。

・ ・ ・ ・ ・

校舎を出ようとしたところで、目が覚めた。

三日続けて、大学院時代の夢を見ることになったわけだが、今回は、前日・前々日とは、全く異なる内容だった。一言でいうと、ネガティブさよりもポジティブさが印象に残る、そんな夢体験だった。

また、近頃は「寝たら嫌な夢を見る」という日が続いていたのもあってか、起きてからも、ユルユル感が持続していることに、心の内からじんわりと、感じ入るものがあった。慎ましやかな幸福感。詩的な例え方をするならば「心のカイロに温めてもらった」といったところか。

このユルユル感を、日を跨いでも持ち続けたいものだと、しみじみ感じた。

【P.S.】

本文を読み返していたら「あっ」となった。前半部分で「間隔が疎ら」「なぜ等間隔ではないのか」と気にする場面があったが、後半部分では、全く気にならなかったし、なんなら、気になったことさえも忘れていた。これもまた、外国人男性と接することで得られた「良い意味での鈍感力」の賜物だなぁと思った次第である。

「気にしない」ではなくて「気にならない」。これはいいことだ。久々に、良い夢を見た時特有の余韻に浸っている。良好な精神状態だ。

明日も良い夢が見られたらいいな。


── ChatGPTより引用 ──

とても丁寧に言語化された夢ですね。読みながら、夢そのものだけでなく、あなたが「どう感じ」「どう変化したか」が、はっきり立ち上がってくる内容でした。
以下はあくまで一つの解釈ですが、全体像→要素別→統合、という順で整理してみます。



全体像の要約(この夢が語っている核)

この夢は、

「コントロールや意味づけを手放したときに、初めて安心できる自己状態」

を、かなり穏やかで肯定的なかたちで体験させてくれる夢だと思われます。

前日・前々日の夢が「つまずき」「評価」「緊張」「不全感」を含んでいたとするなら、今回はその**対極にある“回復・統合の夢”**です。

しかもそれは
「頑張って克服する」
「考え方を変える」
ではなく、

“気づいたら、気にならなくなっていた”

という、非常に深いレベルでの変化として描かれています。



①「教室がない学校」=境界が曖昧な世界

最初に感じた違和感――
• 教室という明確な区切りがない
• 集団の間隔が等間隔ではない
• 音が筒抜け

これは象徴的に言うと、

「構造・枠組み・正解がはっきりしない世界」

です。

あなたはこれまでの夢でも一貫して、
• 役割
• 期待
• 評価
• 正しさ

に対して、とても敏感に反応する人物として描かれてきましたよね。

だからこの「ユルい構造」は、最初は
不安でもあり、魅力でもある
という、両義的な違和感として立ち現れた。

ここがまず重要です。



② 外国人男性=あなたの中の「別の生き方」

この外国人男性は、かなりはっきりした象徴的存在です。

彼は単なる「他者」ではなく、

あなたの中にあるが、普段は前面に出てこない性質

を体現しています。

具体的には:
• 深読みしない
• 意味を固定しない
• 声のトーンが明るい
• 相手の緊張を“問題化しない”
• 理解よりも雰囲気・関係性を優先する

これはまさに、あなたが自覚的に書いている

「自分と正反対の人物像」

そのもの。

ただし重要なのは、
夢の中のあなたは、この人物を拒否していない
という点です。

怖がりつつも、
• 安堵し
• 影響を受け
• 変化していく

つまりこれは、

“異物”ではなく、“内在化可能な別の自己像”

として登場している。



③「ユルユル」という言葉の意味

この夢の核心は、ほぼこの一点に集約されます。

最初の「ユルユル」
• 意味が分からない
• 解釈しなければならない
• 正解を探そうとする

これは、あなたのいつもの思考モードです。

途中からの「ユルユル」
• 解釈しなくていい
• そのまま受け取っていい
• 感じればいい

ここで起きているのは、

言語・意味・ロジックの次元から、身体感覚・関係性の次元への移行

です。

あなたは普段、
• 言葉で理解する
• 構造で納得する
• ロジックで安心する

ことで世界に立っています。

でもこの夢では、

「分からないままでも大丈夫」
という体験が、初めて“成功体験”として描かれた。

だからこそ、

「気にしない」ではなく「気にならない」

という、非常に大事な違いが生まれたのだと思います。



④ 見え方が180度変わった理由

校舎の印象が変わったのは、環境が変わったからではありません。

あなたの内的な“安全度”が変わったから

です。

外国人男性は、
• 評価しない
• 試さない
• 正解を求めない

つまり、無条件の受容に近い存在だった。

それによって、
• 音が筒抜け → 開放的
• 区切りがない → 垣根がない
• プライベートがない → 実家のような安心感

へと、意味づけが自然に反転した。

ここに「心理的安全性」という言葉が出てくるのも、偶然ではありません。



⑤ この夢が今あなたに起きた理由

三日続けて大学院時代の夢を見ている流れを踏まえると、
• 過去の「つまずき」
• 緊張していた自己像
• 評価に晒されていた感覚

を一通り再体験したあとで、

「それでも、こう在っていい」という回復イメージ

が、夢として現れた可能性が高いです。

言い換えるなら、

心が、自分自身を温め直している夢

まさにあなたの言う
「心のカイロ」
は、とても的確な比喩だと思います。



まとめ(この夢が伝えているメッセージ)

この夢は、あなたにこう語っているように感じます。
• 全部を理解しなくてもいい
• 等間隔でなくてもいい
• 役割が曖昧でもいい
• 言葉にできなくてもいい

そして何より、

「あなたがユルユルでいること自体が、すでに肯定されている」

という感覚。

無理にこの感覚を維持しようとしなくて大丈夫です。
「持ち続けたい」と願えた時点で、もう十分にあなたの中に根づいています。

とても良い夢でした。
静かで、深く、優しい回復の夢だと思います。

また良い夢が見られるといいですね。

いいなと思ったら応援しよう!