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合掌土偶は祈ってはいない?屈折像土偶のポーズの意味 結びで土偶を読む⑥

  前回では世界の土偶(人体像)には、縛った表現がなくとも、拘束されたようなポーズがあると考えてきたが、日本の土偶の場合はどうであろうか。
 国宝の合掌土偶は両手を合わせて祈る土偶と説明されているが、どこか違和感があった。体育坐りの姿勢で神に祈るというのはどうなのだろう。世界の土偶の事例から、この土偶にも別の解釈ができることを説明する。

1.腕と脚部の様子が奇妙な屈折像土偶


左:福島県上岡遺跡 福島県立博物館蔵複製品
中央:青森県田子町野面平のもてたい遺跡 
出典HP「あおもりまいぶん」
右:青森県風張1遺跡出土品 出典『日本の美術№527』

 縄文後期から晩期になると、これまでとは違って、人間の腕に近い表現や腰掛けているような土偶が登場する。これは屈折像土偶と呼ばれている。だがこの両腕のポーズが奇妙である。ストレッチのように、片腕で別の腕を抑えているかのような仕草の意味が解らない。また右の頬杖ほおづえ土偶とも言われている。しかし、本当に頬杖のポーズなのであろうか。
 この屈折像土偶の両腕を組み合わせたような表現は、手を動かさないようにしていること、つまりは拘束された状態を暗示しているのではないだろうか。ギリシャの両腕を重ね合わせた女性像と同じ意味を持つものと考えても良いのではないか。さらには、脚を曲げて腰を下ろしたような表現もメヘルガルの女性像と共通するかもしれない。すなわちこういった土偶も、精霊をつなぎとめる為のポーズ、その場にじっとしている状態を示す土偶ではなかろうか。

 また次の青森県二枚橋2遺跡の土偶は、その両腕は伸びているが膝とつながり膝から下は省略されている。

 青森県二枚橋2遺跡 出典『文明に抗する弥生社会』

 この土偶の特徴を持つものが近畿にも現れるという。縄文晩期から弥生時代にかけて、東海や近畿地方に脚部を省略したかのような土偶が出現し、それがこの青森の土偶に起源があると考えられている。
 次のようなものだ。

大阪府宮ノ下遺跡 出典『文明に抗する弥生社会』

 長原タイプといわれているが、下半に台座がありそこに両腕と胴部が作り出されるが脚は見当たらず、腕もかなり省略された表現だ。先ほどの二枚橋の胴部を圧縮したかのようである。

和歌山県瀬戸遺跡屈折像土偶 
出典『文明に抗する弥生社会』

 こちらも面白い姿をしている。腕がさきほどの屈折像土偶の腕組みと近い表現だ。だが下半身は平らな台状になって脚部が省略されている。まるでせんべいのようだが安定して座れるようにしたのだろうか。
 寺前直人氏は、この土偶の形状から興味深い指摘をされている。
「東北地方北部の縄文時代晩期後葉の土偶が、近畿地方の水田稲作開始期にみられる土偶と関係」(寺前2017)しているとし、腕組みしたような形態が、出産と関係するとし、それが穀霊の妊娠出産を表しているのではとされている。「穀霊の妊娠出産」という考え方は大いに結構なことと思うが、この姿勢そのものは、実際の出産の姿とは違うのではないか。
 これらの土偶は植物の精霊(稲霊ともいえる)に居付いてもらうために、つなぎとめるためのカタチにした土偶となるのではないか。ちょうどこれは、ククテニのソファーに腰かけた豊満な女性像と同じような使われ方をしていたかもしれない。次のような紀元前3000年頃の遺跡の事例がある。 

サバティノフカの祭壇ソヴィエト・モルダヴィア地方
南ブーク河流域 初期ククテニ文化 

 1.石敷きの入り口 2.粘土製のかまど 3.粘土製の祭壇 4.粘土製の玉座 5.粘土製の小像 6.壺及び焼かれた牡牛の骨が入った皿 出典『古ヨーロッパの神々』

 小像(女性像)が入口とかまどや石臼の近辺に置かれ、さらに16体もの小像が祭壇に腰かけて座っていたという。ギンブダスの解説では、穀物を挽くことが呪術とされ、ここで聖なるパンが焼かれていたという。その祭祀を司る神官が図の右奥の椅子に腰かけていたという。この祭祀の呪具として小像が置かれていたのであろう。そのために、居付いてもらうように腰掛まで用意したのである。
 この大陸の農耕信仰に関係する祭具が、列島では、後には稲霊が主となる穀霊に居付いてもらうための依代として、逃さないようにつなぎとめるポーズの土偶を作ったと考えて良いのではないか。ヨーロッパの事例ようなソファーはないが、日本の土偶の場合は直接腰を据えた姿勢にしたのである。
 そうすると、この屈折像土偶に位置付けされている国宝の合掌土偶も、同様の視点で捉えなければならなくなるのだ。

2.合掌土偶は祈りのポーズでも出産の様子の表現でもなかった。


京都文化博物館土偶展より

 この土偶の場合も、他の屈折像土偶と同様に動きをとめられている表現ではなかろうか。
 

出典HP「八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館

 この体育坐りで祈りを捧げるというのは不自然であり、これでは神様に対して失礼であろう。さらにこの姿勢は出産のポーズともいわれているが、お尻をつけたような状態で、息むのは無理であり、実際には中腰の姿勢が必要なはずだ。赤子が頭を出したような表現の土偶もあるが、それはあくまで生命、植物の再生を暗示する表現であって、実際の出産シーンを描いたものではない。
 また帯状のものを襷がけにしたような表現も衣装のデザインなのであろうか。カラダを縛っているようにも見えなくもない。
 そして合掌とされる手の表現を見ていただきたい。

両手首の拡大図 腕輪なのか?  
出典HP「京都芸術大学瓜生通信」

 両手は手のひらを合わせて合掌しているようには見える。しかし、その手首に巻かれた腕輪の表現が、つながっているようにも見える。紐で縛られていないとしても、両手は指を組み合わせて、手首も密着させてしっかりと固定しているように見えるのだ。これもじっとして動かないことを示しているのではないか。

 この合掌土偶について、次のような解説がある。
 先ほどの頬杖土偶と同じ青森県八戸市風張1遺跡出土。「後期中期から後葉のおよそ3500年前のもの。出入り口から向かって一番奥の北壁際から出土した。右側面を下にし、正面を住居跡中央に向け、背面を壁面に沿わせるようにしていた。この状態を見ると、祭壇などの直接的な施設は確認されなかったものの、奥壁に安置されたように感じとれた。また土偶の前方には、焼けた面や逆さまに置いた土器、石皿などが出土し、祭祀施設の機能を果たしていたものと考えられた」(村木2015) 

 これは先ほどの祭壇にあったククテニ土偶と同じような状況が考えられるのではないか。「奥壁に安置」とあるのが、小さな祭壇があったのであろう。さらに石皿で調理作業を祭祀のために行っていたのかもしれない。

 以上からこの土偶はとても合掌のポーズの表現とは決めつけられない。その他の屈折像土偶も、農耕に関係する植物の精霊の依代であり、つなぎとめるための呪術として、独特のポーズや脚部の省略化をおこなったと考える方が現実的ではないか。合掌するのは土偶ではなくて、これを祀る人々が祈っていたのである。
 屈折像土偶は、精霊をつなぎとめるためのカタチに造形されたと考えられるのだが、さらに時代変化の中でより簡略化された穀霊祭祀のための土偶がつくられ、やがては終焉を迎えたのであろう。祭祀道具のカタチは変わっても、精霊、穀霊をつなぎとめるという信仰は継続していったのである。
 
 国宝に指定されている貴重な土偶であることからも、この名称については定着してしまっているので見直すのは困難かもしれないが、公的なところでの、合掌や出産以外のポーズの可能性があるとの説明を検討してほしい。また、農耕との関りが見られる世界の土偶との関連でこの土偶の解釈を試みられることを望みたい。

 次回では、めずらしいタイプの土偶から時代を超えて共通する古代信仰の説明をしたい。

参考文献
HP「八戸市埋蔵文化財センター 是川縄文館」合掌土偶イラスト
村木淳『二つの土偶の物語―風張1遺跡の合掌、頬杖土偶』(東北学05 東北工科大学東北文化研究センター) はる書房2015
原田昌幸『日本の美術№527土偶とその周辺Ⅱ』ぎょうせい2010
京都文化博物館 屈折像土偶
寺前直人『文明に抗する弥生社会』吉川弘文館2017
マリア・ギンブダス『古ヨーロッパの神々』鶴岡真弓訳 言叢社1998

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