赤鬼と青鬼の帰還 【紀尾井清堂2:内藤廣6】 東京都千代田区
けっこう目にするnoteにおけるview数を取り上げた記事(傾向だったり結果の考察だったり)。
コンスタントに記事をアップしていれば総view数はそこそこ伸びていくはずですが、各記事のview数が大きく増加するのは記事をアップして1ヶ月間ほど(個人調べ)。その後は記事によって幅はあるものの、徐々に埋没していく印象です(中にはチョコチョコ増え続ける記事も)。
view数は個人的には重要な指針というほどではなく、むしろ古い記事への反応の方が興味のポイント。
自身の各記事の平均view数を1年前と比べると増加傾向にはありますが、ダッシュボードではその詳しい分析は不可能(個人的能力の問題?)。
ただ時間の経過とともにview数が再び反応する記事は、その理由を知りたくなります(だいたい何かのイベントに連動しているような)。
そして7月になってから、ある過去記事に明確な反応がありました。
今回の企画展開催を知らせてくれたのは、10ヶ月前の記事。
まるっきり埋没していた訳でもなかった興味深いケースの1つ。
紀尾井清堂
紀尾井清堂は、設計した建築家によると
特定の機能を持たず、さまざまな企画を許容し自由に使える建物「紀尾井清堂」を完成させました。とくに一階部分は街に開かれたギャラリーになっています。
という不思議な建物。依頼したのは一般社団法人倫理研究所。
建物の印象を研究所理事長丸山敏秋さんは、ルーティーン化した日常を忘れ、「非日常の裂け目」のようと語られています。完成は2020年。

東京都千代田区紀尾井町3
その紀尾井清堂で現在開催されているのは、設計者の足跡を示す図面とアナログな媒体に記録された思考過程(脳内構造)。

2025/07/01-09/30 @紀尾井清堂
実は2025年は過去に他館で行われた建築家の回顧展がパワーアップされ、東京へと回帰の年。またこの企画展は他館との連携開催のようです。
紀尾井清堂そのものは定期的に開館される施設ではなく、今回の展示も開館される曜日は変則的なので注意が必要。
また参考として連携展示の情報も添付します。

2025/07/25-08/27 @渋谷ストリームホール
それでは本編となる紀尾井清堂へ。
外観からは今なお謎な雰囲気に包まれる建物。
外部に対する展示案内も控え目です。

1階と展示室会場(2階から)の入り口は別々。建築家によれば
この建物が出来て五年が経ちます。機能を決めないで建てる、という大胆な挑戦をしましたが、現場の協力もあって建物は素晴らしい精度で出来上がりました。以来、いくつかの企画が催されましたが、建主の意向もあって恒常的な利用方法はいまだに未定です。
とその存在も相変わらずの正体不明。

1階展示のテーマは鎮魂。薄れつつある記憶を、今一度見つめ直すため。
輪のように敷き詰められたのは、ガラスタイル約20,000ピース。
実は別会場でのインスタレーションがオリジナル。

そのオリジナルはというと、2012年京都造形芸術大学(現在は京都芸術大学)でのインスタで製作されたガラスピース。
当時の展示は職人と学生たちによって5.4×5.4mの唐紙の上に配置された18,800個のタイル(数は2012年当時の東日本大震災の被災者数:下写真)。


ちなみに紀尾井清堂での前回展示は、2022年3月から2023年2月の期間。
「奇跡の一本松」の根っこを東京で展示するという企画でした。
参考写真には在りし日の一本松の姿も。東日本大震災での希望の1つ。
もちろん今回も当時の状況をパネルにて。


会場に展示された震災関係の記憶がもう1点。
無数の赤い点のパネル。
キャプションには2011年5月1日の建築家の記憶(死亡者と不明者数)と。
当時、その人数の多さを私自身が体感する術として、日頃使っている赤いペンで25673のドット(点)を、A4用紙に3日間かけて打ち続けたものです。この行為を通して、身体的な記憶として「3.11」が私の心に刻まれています。
2011年5月と2012年6月のインスタ展示では、被災者数にはやや開きがあります。被災直後の現場ではかなりの混乱があったと想像します。



続いて鎮魂の場から建築家の脳内展示へ。






入口はカモフラージュされています。
帰りに出口を探している人もチラホラ。スタッフさんがドアマンのごとく近づいてきて開けていました。


前回は見学者がまばらでしたが、今回は多くの見学者の姿が。
認知度が上昇した要因は不明です。

壁には図面と参考写真、吹き抜け側には建築家が書き溜めた40年分の手帳。
面白いのはその手帳のレプリカが設計事務所員により制作され、パラパラと自由に閲覧できるシステム。オタク的な発想&仕業。
手帳は撮影不可でしたが、その他の撮影は自由。
手帳には建築家のスケッチやメモに加えて、切り抜き等が多数貼り付けられていますが、「貼りきれないものは捨てる」というのがポイント。




このパネルは、建築家の脳内がコラージュされたモノ。
以前の回顧展でも採用されていたこのデザイン。

上を見上げても下を覗いてもピョコピョコと頭が飛び出てきます(向こうもそう思っているはず)。
見学者が子供のような反応を起こしてしまう建物、それが紀尾井清堂。
正直、動画を撮影しながらグルグル歩き回る人は邪魔でしたが。

外部に露出した階段。夏は暑い。
特に機能はなさそうですが、デザイン的なアクセントでしょうか。

建物を設計した人、そして今回の展示の主役:内藤廣
紀尾井清堂の設計者は内藤廣(1950- )、横浜の人。菊竹清訓門下生。
渋谷駅周辺の再開発(完成予定が2027年から2035年へと大幅変更)ではデザイン会議の座長を務められ(どういうポストなのかピンときませんが、ややこしそう)、2023年からは多摩美術大学学長も(2025年現在)。
多摩美大では、先行して上野毛キャンパスの新校舎設計を手掛けられていたようですが、本人曰く「行きがかり上」学長にも就任。
撮影可能だった図面から内藤ワールドを2点。参考写真を添えて。

見た目と素材、そして空間のインパクトが強烈なのがグラントワ(島根県芸術文化センター:2005年)。


内藤さんの回顧展が開催されたのは2023年のグラントワ。

2023年9月-12月 @グラントワ

先ほどの脳内コラージュは、本人の著書からのフレーズ。
グラントワでは内藤さんの情熱(赤鬼)と論理(青鬼)による掛け合いだったような(書き留めておけばこんな事には・・・)。
当時現地で入手した図録はアマゾンでも入手可能。
渋谷の展示では完売するほどの人気ぶりでした。これからの全国巡りには必携の1冊(重すぎますが)。
発行から2年ほどが経過しているので、最新情報はありません。

続いて1種類の展示物にフォーカスしている異質なミュージアム。
福井県年縞博物館(2018年)、その長さには意味があります。

図面の右上にちっちゃーくあるのが展示室部分。
シンプル過ぎるその平面図を拡大。ところが実際に目にするのは・・・

展示室の形態は、展示物の長さ(実際は湖の深さ)ゆえ。長さは45m。

内藤ワールドは以上です。
紀尾井清堂に戻ります。
展示パネルでは、個人的未見となる2024年以降の作品図面も。
目に留まったのは2025年のミュージアム最新作。

黒柳徹子さんのコレクションが展示されているようです。
徹子さんはちひろ美術館の理事を務められ、ちひろ美術館の設計を手掛けたのが内藤さんという縁からミュージアム設計を依頼。
機会があればいずれ。
そして紀尾井清堂に足を運ぶのであれば、近所の和菓子屋も(歩けますが高低差あり)。

紀尾井清堂からほど近いのが、とらや赤坂店(2012年)。
もう少し足を伸ばせば東京ミッドタウン店(内装:2007年)も。
どちらも羊羹だけでなく、運が良ければミニ企画展という別の一面も。
内藤さんは東日本大震災の復興プロジェクトにも関わられています。
実際に東北では追悼・祈念施設の設計を手掛け、紀尾井清堂での展示には東北での経験・足跡が前面に。
こういった記憶を忘れる事はないと思いますが、当時の現実や実際の行動(周辺の事象も含め)を何かのタイミングで確認する機会は貴重かつ重要。
そして1年後位に今回の記事のview数に反応があれば、同じテーマでの記事もあり得るのかも・・・

