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旧伯爵邸は関ヶ原の戦いから奇跡の復活をとげた大名家【御花:立花家】福岡県柳川市

明治維新を機に日本各地域を治めていた大名たちは、皇室の藩屏として東京に召集されます。そして東京に本邸を旧領には別邸を構えた旧大名家の中には、今なお当時の邸宅が現存する地域も。
そんな邸宅は地域のシンボル的な存在でもあり、歴史的資料としても貴重。場合によっては「我が町の殿さま」が地元の人になっているケースも。


今回は九州の地方都市に残る旧大名家邸の記録。しかも和館と洋館が並び立つレアケースな上に、激動の昭和期には新たな家業の現場に。
おまけに藩祖は一旦ゼロから旧領に返り咲いた歴史をお持ちです。

かつての筑後国にある柳川市の人口は60,000人。
お隣の大川市、みやま市、筑後市の人口は、いずれも5万人以下と「市の人口基準」を下回るレベルです。
ちなみに現代の筑後の中心は久留米市。人口は298,000人と県3位の規模。

川下り

柳川は主要な鉄道や高速道路からやや離れている点が、久留米に対する大きなハンデ。その代わりと言っては何ですが、市内には江戸時代さながらの水路が今も張り巡らされ、観光の重要コンテンツの1つに(水郷の所以)。
そしてかつての殿さまの邸宅&庭園は、その中核に位置しています。

御花:松濤園

和館ではなく家政局&洋館

江戸時代に5代藩主立花貞俶たちばな さだよし(1698-1744)が構えた別邸を起源に持つのが御花。その呼び名は当時の地名「御花畠」から。
明治期になると14代当主立花寛治たちばな ともはる(1857-1929)によって、現在の御花の基礎となる立花伯爵邸や庭園が整備されます。
1901年には現在の庭園や建物の原型が。現存する建物は1910年には完成。洋館の設計は西原吉治郎にしはら きちじろう

福岡県柳川市新外町1-1

立花家史料館

はじめに立花家伝来の大名道具が展示される史料館から。
史料館は1951年に御花歴史資料館としてスタートしています。
1996年に展示施設として御花資料館(のちに立花家史料館)が開館。
2014年には運営が株式会社御花から公益財団法人立花財団へ。

立花家伝来の大名道具約5,000点(国宝1点)、約37,000点におよぶ立花家文書(かつての主家・大友家含む)を所蔵。

史料館パンフ 2026年版

2022年には収蔵庫が地盤沈下やシロアリによる被害を受けたため、収蔵美術品は福岡県が管轄する九州歴史資料館(小郡市)へと移管。展示は継続中。

細長い展示室は、うなぎの寝床型。

歴代藩主の具足類が並ぶのは大名家ミュージアムあるある。

そして展示室奥には柳川城主に返り咲いた立花宗茂むねしげのパネル。
その左には正室の誾千代ぎんちよ(1569-1602)。
ここ柳川ではけっこう長い期間継続しているのが「我が殿様を大河ドラマに!」という大河誘致運動。確かにドラマティックな人生ですが。

アニメ調なのがビミョー

立花家とは

江戸時代の柳川藩は109,000石。国持大名の多かった九州では中級クラス。

こちらの肖像画は藩祖の養父立花道雪たちばな どうせつ戸次鑑連べっき あきつら:1513-1585)。
豊後大友家の家老で、北部九州戦線での戦功により戸次家から立花家を継承しています(戸次や立花は大友家の支流)。立花山城主(福岡県福岡市)。

道雪像(原本は福厳寺蔵) 

道雪は毛利家や筑前・肥前国人衆を相手に活躍した名将。
晩年は輿に乗り最前線で指揮。また刀で雷を斬ったと伝えられる人です(その際の刀は「雷切丸」として伝来)。
家臣から絶大な信頼を集め、その名声は敵方にも及んだほど。
誾千代は道雪の娘で、一時は立花山城主を継承。

参考に立花家の主君とライバルの肖像画も。
大友宗麟おおとも そうりん義鎮よししげ:1530-1587)は豊後守護で、九州三強の一角。

(参考)大友宗麟像(模写) @大分市歴史資料館

キリシタン大名の代表格として知られ、道雪から何かと諫言された主君。
宗麟は北上する島津家を食い止める事ができず、中央政権の豊臣秀吉にバックアップを依頼。秀吉による九州侵攻の大義名分化に貢献しています。

こちらは大友家になびいたり反旗を翻したりした肥前の熊。

(参考)龍造寺隆信像 @佐賀県立博物館

龍造寺隆信りゅうぞうじ たかのぶ(1529-1584)は肥前の国人。
滅亡直前のドン底から這い上がり、九州三強の一角になった人。
ただし勢力拡大中に島津家により撃破された山あり谷ありの大名。
筑後エリアでの龍造寺家(後の鍋島家も)は、立花勢とはバチバチの関係。

ここで藩祖登場!(肖像画はないけど)
立花宗茂たちばな むねしげ統虎むねとら:1567-1642)は武神と呼ばれた人。
父は大友家重臣の家系に生まれた高橋紹運たかはし じょううん(はじめ吉弘鎮理よしひろ しげまさ:1548-1586)。宗茂は道雪に乞われて高橋家から立花家の後嗣に。

実父・紹運と岳父・道雪の2人は斜陽の大友家中で筑前・筑後・肥前方面を担当した大友家のツートップ。そんな2人からエリート教育を受けた宗茂。
また道雪の薫陶を受けた歴戦の家臣団は、宗茂に代替わりしても超強力。

宗茂所用

宗茂所用の具足として知られる伊予札縫延いよざねぬいのべ栗色革包くりいろかわつつみ仏胴丸ほとけどうまる具足
兜の輪貫と鳥毛の立物は平成期に補完。

秀吉による九州仕置では、対島津戦の武功により柳川13万石を拝領して独立大名となります。その後の肥後国人一揆の鎮圧、続く唐入りでは碧蹄館の戦いの先鋒を務め活躍。秀吉や歴戦の西国大名たちからの評価を高めます。

宗茂にとって大きなターニングポイントは1600年の関ヶ原の戦い。
秀吉への恩顧から西軍となり、本戦の敗北により改易されてしまいます。
宗茂に替わって筑後国32万石を与えられたのは田中吉政たなか よしまさ(1548-1609)。
現在の柳川の町割りは、ほぼ吉政時代のものです。

浪人となった宗茂は京都で再起を狙います(家臣たちは肥後の加藤清正のお世話に)。そして再就職活動に手応えがあったのは1606年。
2代将軍徳川秀忠ひでただから棚倉1万石(のちに3万石:福島県)が与えられ、大名として復活。業務は将軍の親衛隊&お伽衆。

1620年に田中家が無嗣断絶すると、筑後のうち10.9万石が与えられ旧領柳川へと復帰。また肥後加藤家に預けられていた旧臣たちも帰参します。
1615年の大坂夏の陣では秀忠本陣を固め、1637年の天草・島原の乱では老齢ながら2代忠茂ただしげに続いて島原に降臨。この時の武神は齢70才越え。

展示品に戻ります。

鉄黒漆塗桃形兜

宗茂や2代忠茂の兜で採用されている特徴的なデザイン。鳥の羽がお洒落。

家中では「金甲」と呼ばれたチーム立花のトレードマーク。
選ばれし部隊の装備品で、現在確認できるのは239頭。
その立体的な展示方法にもセンスが。

金箔押桃形兜

茶の湯にも堪能だった宗茂。展示品には茶の湯関係もいくつか。
ルソン壺は、宗茂が豊臣秀吉から拝領した茶壺。

ルソン壺

中国製の壺ですがフィリピン経由で日本に入ってきた安土桃山期の舶来品。
ちなみに立花家の茶道は石州流。徳川将軍家に準じたスタイルを踏襲。

赤織部茶碗

茶碗は落ち着いた色合いで紋様が施された茶器がお好みか?

陶胎染付唐草文茶碗

史料館では武具のほか、女性用の乗り物や長持、そして貝合わせといった奥道具がよく見られます。また文書類は柳川古文書館でも展示されています。

立花家の道具類では、能装束や能・狂言面(37面)も自慢のアイテム。
また当日の屏風は鉄板の狩野派ではなく、谷文晁たに ぶんちょうの百鳥図。

百鳥図

史料館では図録も発行。こちらの図録はDVD化されている1枚。
宗茂生誕450年記念特別展で制作されています。

立花宗茂と柳川の武士たち DVD
編集・発行:柳川古文書館・立花家史料館
2017年 157ページ

図録には立花家のツートップ小野鎮幸おの しげゆき和泉いずみ:1542-1609)や、由布惟信ゆふ これのぶ雪下せっか:1527-1612)ら立花軍団についても記述。
ちなみにオノ・ヨーコは小野鎮幸の一族とも。

史料館の力作は、HPから通販でも入手可能。

ここからようやく立花旧伯爵邸内へ。
史料館の入るお土産ショップを出て、レストラン棟に入口があります。

御花パンフ 2026年版

昭和期も戦後になると法律の改正もあり、旧伯爵邸は15代鑑徳あきのりの娘文子あやこと16代和雄かずお夫妻が切り盛りする料亭旅館へと変貌します。
その機能もほぼそのままに一般公開されているのが現在の御花。

順路は先ほどの金甲がディスプレイされた和館ではなく、まずは洋館から。

洋館は自家発電を備え、今も現役のシャンデリア(当時の輸入品)も。
また創建当初の西洋館は靴を脱ぐ日本スタイルだったそうです。
現代の洋館はそのままで。

2Fに上がると広めの部屋が。全体的に手入れが行き届いています。

当日は見るからに結婚式系の会場に。
おそらく利用状況に応じてレイアウトは変更されている模様。

2019年時

こちらの写真はおそらく16代夫妻。お召し物は和洋ミックス。

中央に置かれた特徴的な紋は、立花家家紋の1つ祇園守紋ぎおんまもりもん

祇園守紋

洋館2Fから見えるのは、和館のような家政局。その向こうはホテルエリア。
順路は1Fに降りると家政所を経由して和館へと続きます。

家政局内部はホテルエリアも兼ねているようで、一般見学は不可。
建物の接続部分には時期的にひな人形が展示。
起源は江戸末期で柳川独自の吊るし雛飾りが「さげもん」。

さげもん

ちょうど婚礼カップル(たぶん)がカメラマン相手に前撮り中。
和館・洋館問わず古い建物ではよく見かける光景です。

洋館と家政局、そして和館に囲まれる中庭には、武家のステイタスだったソテツが多数。

先ほどの廊下の反対側に到着。
ズラリと並ぶ金甲は壮観です。しかも簡単に触れられる状況。
柳川にはこの金甲を被った家臣の末裔たちもいらっしゃるのかも。

高度経済成長期は地元名士たちの宴会場だったのでしょうか?

100畳の大広間に敷き詰められるのは、熊本県八代産のイグサを使用し再生プロジェクトによって製造された畳。なにげに意識高い系をアピール。

床の間と違い棚が座敷の前と後ろに。

大広間から眺める松濤園しょうとうえんは国の名勝。

サギも優雅にぶらぶら。
左奥の黒い建物がホテル棟。2025年にリニューアル完了し、HPを見る限り高価格帯へとシフトしています。
また施設改修のためクラウドファンディングにも熱心な印象ですが、その大義名分にはモヤモヤが。

参考にリニューアル前の写真も。流行り病以前の記録です。

2019年

大広間の右側に見えるのが御居間棟(かつての伯爵家の居室空間)で、たしか宿泊者の個室夕食会場(実はかなり以前に宿泊した記憶あり)。
特にリクエストはありませんでしたが、アサインされた客室は4Fの角部屋。
たぶん空いていたのかなとおぼろげに。

御花の周囲は川下りのコースになっています。

左側は庭園の池、右側は川下りエリア
手前の廊下はレストラン棟との接続

柳川名物と言えばうなぎ! 宿泊者ではなくても食事処でいただけます。
柳川のデフォルトはせいろ蒸し。

ちなみに有明海は珍味の宝庫(ホテルでも提供されていたような)。

筆頭は横綱の「ムツゴロウ」。干潟をピョコピョコ跳ねるハゼの仲間。
ほかにもそのルックスから「兵隊貝」と呼ばれる貝(貝は種類が豊富)や、標準語に訳すのは憚られる「ワケノシンノス(イソギンチャク)」。
またキュウリと和えたクラゲもポピュラー。

そして見た目のインパクトが強過ぎるのが「ワラスボ」(ハゼの仲間)。

どう見てもエイリアンな珍味にはビビります。
さすがに見た目がグロいので食べた事はありませんが、美味しいらしい。
お土産屋でも見かけます。

江戸時代の重宝といえば歴代藩主の武具や関係文書類が筆頭でしたが、昭和初期の立花家御什器目録では茶道具や調度類(いわゆる美術品)の方が上位にランクされていたそうです。これも世の流れでしょうか。また先述の収蔵庫の環境劣化と収蔵品の移管は、個人的にとても残念なニュースでした。

御家の核心はやはり伝来の大名道具類でしょう。まとまった形で継承されるのは大切なポイントですが、福岡黒田家や仙台伊達家のようなスタイルの方が安定的な展示・研究には適しているのかも。

福岡県立美術館での「立花家の至宝」展で発行された図録には、史料館館長が「身分相応であること、家格にふさわしいこと、つまり過ぎず不足せず、ということを常に求められる大名家ゆえの宿命を背負った道具といえよう」と大名道具について解説しています。
大名家の地元でゆかりの道具類が常設で見学できる貴重な場所。

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