続・80年後の爆弾散華【池と草花:作品編】大田区立龍子記念館 東京都大田区
政治の世界ではややネガティブなイメージで語られるのが派閥。
個人の力では成し遂げられない事でも、チームの力で課題をクリアするための1つの方法論。力(人数)でゴリ押ししようとするダークサイドな一面が、印象を悪くしているのかもしれません。
そして江戸時代、絵画の世界に君臨したのは狩野派。武家と同じようなヒエラルキーを構築し、血縁を中心とした一族が頂点(奥絵師)として牛耳った絵師集団。(何か悪の組織のような説明ですが、他意はありません)
前回の龍子公園(旧邸&アトリエ)からの続編は、川端龍子作品が並ぶ龍子記念館へ。
大田区立龍子記念館

龍子記念館について簡単におさらい。
大田区立龍子記念館は1963年に画家本人の設計によって、自身の作品群を展示する施設として開館(運営は青龍社)。以降1991年から引き継いでいるのが大田区。約140点以上の川端龍子の作品を所蔵。
記念館は自然光での鑑賞を意図された造りでしたが、現在は作品劣化を防ぐためコントロールされています。
単館でも企画展を開催できるほどのコレクション群が強みですが、入場料が格安なのは区立ならではの美点。
東京都大田区中央4-2-1

2025年3月-6月 @龍子記念館

川端龍子(1885-1966)は和歌山の生まれ。
アメリカで日本美術の美しさに気付き、洋画から日本画家へと転向した人。
その作品は大画面が特徴で、展示スペースに複数並ぶ景色は壮観。


龍子愛用の道具類が展示される事もしばしば。
青い顔料としては貴重なラピスラズリや金箔が並びます。

また目を引くのが名刺。
シンプル過ぎるうえに、独特なそのフォント。
ちなみに作品のキャプションの一部には龍子直筆モノもあり、名刺の筆跡が本人のモノと分かります。


最初のチョイスは「龍子垣」

「龍子垣」は伊豆・修善寺の龍子別邸にあった垣根がモチーフで、太平洋戦争後に制作された晩年の作品。
垣のデザインは龍子本人、チョイスされる孟宗竹は伊豆産の太目。
龍子公園内(旧邸)にある垣根も、ガイドさんの説明では龍子垣でした。

そして個人的に最も印象的な作品「爆弾散華」へ。
こうして振り返ってみれば旧邸に飾られていたあの襖絵が起点(たぶん)。

琳派のDNAなのか
終戦3日前の空襲によって文字通り吹っ飛んだ龍子旧邸。その敷地内に植えられていた野菜たちの最期を描いたのが「爆弾散華」(1945年)。
散華には、供養のため花を撒き散らすという意味も込められています。

最初にこの絵を目にした時には、酒井抱一の夏秋草図屏風が浮かびました。
尾形光琳の代表作風神雷神図(重要文化財:トーハク蔵)の裏側に描かれていたという、ややもの寂しげな雰囲気が漂う「秋草」の方。
夏秋草図でも草が風にたなびく様子が感じられますが、爆弾散華ではトマトやカボチャ?が吹っ飛んでいく臨場感がアリアリ。
秋の風とはちょっと違ったニュアンスにはもの哀しさも。
残念ながら手持ちの写真に抱一の夏秋草図はありません。
参考として抱一の系譜による夏秋草図の模写を。
酒井道一(1845-1913)作の夏草図屏風(1893年:トーハク蔵)に感じるのも、なんとなく爆弾散華と同じ空気感。

道一は4代目雨華庵を継承した人。
ややこしいのですが道一の師匠は鈴木其一(1795-1858:抱一の弟子)。
そして抱一作品からは、こちらもトーハク蔵の扇図。
夏秋草図の左隻(秋)を連想させるという「武蔵野図扇面」。

酒井抱一(1761-1829)は江戸琳派の祖。出自は姫路の殿様・酒井家というプリンスで、当主となった兄忠以は宗雅の号で知られる茶の湯の人。
抱一は尾形光琳リスペクトな人として知られ、光琳百回忌をプロデュース。
武蔵野図は制作年代が古い事も関係しているのか、もの寂しげ感は道一作品よりも強め(作者の生きていた時代のせいかも)。
琳派は派閥というよりは、今で言う推し活的な緩やかに形作られたグループ(私淑と表現されます。江戸琳派には師弟関係が芽吹いたようですが)。
もちろん琳派の手法や構図にも、受け継がれたような共通項は見られます。ウェイトが置かれているのは、雅で豪華な雰囲気や美しさでしょうか。
そして重視されるのは狩野派的な確立されたスタイルというより、作家各自による自由で創造的なセンス。
爆弾散華に加えられているのは、戦争で失われてしまった儚さとその瞬間。
もう1つ忘れてはいけないのが、アトリエに置かれていたあのオブジェ。

オブジェは敷地内に残っていた爆弾の破片を、龍子が作品へと昇華させたモノ。爆弾散華を補完するかのような立体作品(写真は逆光でビミョー)。

締めの記録には、龍子流の夏秋草図屏風を。
その独特な表現方法は、現代アートのよう(約100年前の作品ですが)。

草の実(1931年)は、キャプションによると記念館では1番人気の作品。
黒地のように見える紺地に金泥で描かれた草花。国宝クラスの古いお経のようでもあり、安土桃山期の豊臣系城郭のような色遣い。
解説には「焼金、青金、そしてプラチナを使って金のみで描かれています」とあります。
前年に制作されたという草炎(1930年:東京国立近代美術館蔵)で生い茂るのは夏の雑草だそうですが、草の実に生い茂るのは秋のススキ。
草炎とのセットで、これぞ龍子による夏秋草図20世紀版。

龍子旧邸の襖絵に鎮座していたのは、琳派の祖と呼ばれる人の作品。
ぐるーっと見たカンジの印象は、琳派から龍子への流れ。
作品の表現や雰囲気には、共通する何かがやっぱりあるような。
記念館の展示では、どうしても大型作品(特に戦争画)に目が奪われがち。
ただ何度か足を運んだ複数の記憶(印象)を重ね合わせてみると、日本の歴史を踏まえつつ自身の自由な創造力で作品を生み出していった龍子像がボンヤリ見えてきます。

狩野派にあるのは先人の技術(画法やデザインに構図)から学び、御用絵師として作品を大量生産する工房のようなイメージ。
結果として作品は高いレベルでの標準化が進み、最終的には陳腐化してしまうというような自己矛盾(なーんかこの絵見たコトあるなーみたいな)。
ちなみに江戸期に隆盛を極めた狩野派の足跡は、龍子記念館近くの池上本門寺で辿るコトができます。
その続編ともいうべきは、明治維新からはじまる近代日本美術の歴史。
それらを密度の濃いコレクションで楽しめるのが龍子記念館&龍子公園。
(公園は暑い季節を避ける方がベター)



