ドドーンと広大な城跡に構える国立ミュージアム【国立歴史民俗博物館:芦原義信】 千葉県佐倉市
ミュージアムへの訪問で、時々ネックとして語られるのが交通アクセス。
半年ほど前の「どうなるDIC川村美術館問題」でも、訪問機会の妨げとしてアクセスの悪さを挙げる人はチラホラ。
ただ佐倉は都心からそれほど遠いとは思えず、少しモヤモヤが。
本当に見たい場所なら速攻行きたい!というのが個人的見解。
千葉県佐倉市の人口は168,000人、千葉県内では中堅規模の都市。
周辺に田畑が広がっているとはいえ、それほど不便な場所という印象はありません(川村美術館へ電車で行くにはやや面倒なのかも)。
ただそんな不便な場所にあると言われるミュージアムは、行ってみると意外に収穫は多いさすが国立!な博物館。

佐倉城跡
今回のミュージアムの所在地は旧城跡。長い上り坂の先にあります。
しかも現地到着後に歩く距離(敷地内&展示室内)も問題かも。

佐倉城は石垣のない土塁と水濠の城。起源は戦国時代の千葉氏系。
1610年土井利勝によって築城され、その後も老中を務めた城主を多数輩出。つまりは江戸にほど近い、政治的要衝の地。
明治期の廃城後には、帝国陸軍の駐屯地として利用されています。
現在は立派な水濠と土塁が残るものの江戸期の遺構建築物はほぼ見当たらず、城跡は地元の方々のウォーキングコース(高低差もあって、ノンビリ派よりガチな人用)。
この薬医門は城内にあったとされていますが、詳細は不明。

廃城後に市内の個人宅やお寺へと移築され、1983年に市へ寄贈。
その後現在地に(かなり地味な場所にあります)。
そして二の丸に並んで立つ2人。
堀田正睦(1810-1864)は、第5代佐倉藩主となり幕府老中を務めた人。

開国派で蘭癖大名の1人で、アメリカとの外交交渉を担当。
タウンゼント・ハリス(1804-1862)は13代将軍徳川家定に謁見し、他国に先駆け日米修好通商条約を結んだ人。

後に初代駐日アメリカ公使に。
かつては4階建ての天守があったという本丸。

残念ながら1813年の失火により天守は焼失しています。

本丸は比較的手入れが行き届いていますが、眺望の良いポイントは見当たらず。そして暑い時期には、より体力が要求されます。

ミュージアムに展示された模型を参考に各所の位置関係を。
写真右側下部が本丸(本丸を囲う水濠はほぼ現存)。
ちなみにミュージアムは模型の左側部分の曲輪。

ミュージアムは、ビジュアル的にも美しい土塁に囲まれた椎木曲輪内に。


国立歴史民俗博物館:歴博
佐倉城跡の一角にあるのが国立歴史民俗博物館(以下歴博)。
国立で「歴史」を冠する唯一のミュージアム、開館は1983年。

設計は芦原義信(1918-2003)。
博物館曰く「歴史の殿堂」! キャッチコピー?はいたって昭和。

展示品は旧石器時代から現代(1970年代)までの日本の歴史を俯瞰的に。
先史・古代、中世、近世、民俗、近代、現代と6つの展示室から構成されています。2019年にリニューアル済。

展示室はとにかく広大(企画展示も多く経路もやや複雑)。
歴史は一気通貫的に展示されていますが、内容は幅広いうえに量も膨大。
特集展示や企画展示では、オタク的視点でコアな展示が満載です。
千葉県佐倉市城内町117
展示品には復元模型や複製が多い気がしますが、その狙いは理解度を深めるためだそうです。加えて国宝や重要文化財が静かに紛れ込んでいるので、ボンヤリしていると見逃す可能性大(トーハクでもありがち)。
歴史に特化しながらも、トーハクに匹敵する規模感は国立ならでは。
トーハクほどのインバウンド客の賑やかさが見られないのは、アクセスの悪さの証明なのかも。成田空港からは至近なのに・・・
では日本の歴史の流れを、個人的好み優先のチョイスで。

縄文ガール(右)は鹿革の衣装にブーツというスタイル。3000年前にしてはオシャレすぎ。

一方の弥生ガールはシルクの上着を羽織り足元には木靴。
日本っぽい雰囲気が芽生えています。これが3世紀のトレンドか?

奈良時代の役人は、かなりのハードワーカーだったと解説されています。

長屋王家の雑用係、出雲臣安麻呂は年間出勤320日、加えて夜勤185日!と相当にブラックな労働環境。労災の存在は?

彼らは毎年の勤務評価はあれど貴族階級とは雲泥の差があり、下級役人ほど昇進が遅かったそうです。そうした勤務評価記録は木簡で現存。
面白いのは「いろいろな申請」として
・役所から借金をする
・休暇をとる
さらに
・作業着の支給
・食事の改善
・酒の支給
といった待遇改善も要求していたそうです(文書の下書きが現存)。
中央官庁がハードな職場環境なのは、1000年前からの伝統か?

東三条殿は、貴族の頂点に君臨した摂関家藤原氏が継承した邸宅の1つ。

藤原兼家の死後に継承したのは、兄2人を差し置いた道長(966-1027)。
御堂関白記は、その道長が残した日記。

近衛家に伝来する日記一式は国宝。展示は1007年時の複製品。


鎌倉期&室町期からは出版関係をいくつか。
さらっと展示されていた南宋慶元刊本(国宝)。1200年前後の発刊。

メイド・イン・チャイナの逸品は、すでに印刷技術を採用。
こちらは同時期発刊本のコピー品ですが、原本も歴博所蔵の国宝。

魏志倭人伝の記事を収録。
貴族の物語と言えば・・・

1488年に一条冬良が中心となり伏見宮邦高親王、近衛政家らによって制作された源氏物語の写本。

越前に君臨した戦国大名は朝倉氏。一乗谷邸宅はその本拠。

朝倉氏は主家斯波氏の所領・越前(守護国)で代官(守護代)を務めた一族。そして応仁の乱のドサクサで勢力を拡大し、守護の座をゲット。
戦国時代ならではの、下剋上の体現者。
最後の邸宅の主人となった朝倉義景(1533-1573)はその5代目。

残念なことに織田信長によって滅ぼされた人。
戦国大名の条件の1つは、領国統治の基準となる分国法の制定。
展示された塵芥集は、奥州伊達稙宗(1488-1565)による1536年の制定。その条文は171ヶ条に及びます。

独眼竜政宗の曽祖父ですが、奥州に戦乱を巻き起こした人。

戦国時代の風雲児が織田信長(1534-1582)。朝倉家を滅ぼした人。
織田氏は尾張守護斯波氏の家臣。ただ信長の家は守護代織田氏を支えた奉行系の織田氏で、朝倉氏よりも下位の立場から下剋上を体現。
勢力拡大のカギは鉄砲の大量装備と語られる事がありますが、高価な鉄砲を大量入手できる資金力と関連する流通ルートをいち早くおさえるという経済的センスこそが信長の持ち味。

肖像画は信長7回忌に制作されたもの。
追善の和歌を添えたのは近衛家17代前久(五摂家筆頭で藤原道長嫡流の子孫:1536-1612)。信長の天下布武事業にも協力した人。
信長と言えば、流通の拡大とコントロール。

展示の制札は岐阜城(稲葉山城)制圧後、城下に建てられたもの。
また掟書は安土城下に出されたもの。文末には天下布武の朱印。

歴博と言えばこちら。
現存最古の洛中洛外図として知られる屏風は、そのものズバリの歴博甲本と呼ばれています(重要文化財:当日は複製展示)。作者は不明。
ちなみに歴博は乙本と呼ばれる屏風も所蔵。

描かれたのは室町12代将軍足利義晴(1511-1550)の時代。
屏風内の主要キャストは将軍以下、先代管領の細川高国、その後継稙国、関白近衞稙家。加えて絵師の狩野元信(1476-1559)。

同時展示されていた南蛮寺図は、元信の孫狩野宗秀筆。
つまりは狩野永徳(1551-1601)の弟。
解説によると南蛮寺があったのは京都四条坊門姥柳町。
時代的に歴博甲本には見られませんが。
時代は下って江戸。上の写真は江戸橋広小路の再現模型。

現在の状況はといえば、日本橋再開発真っ最中のエリア。
首都高速も地下トンネル化されると、再ウォーターフロント化も加速する?
徳川家康(1543-1616)は戦国時代に幕を引き、現在の東京のベースを築いた人。
この家康像は模本ですが、原本は狩野探幽筆で輪王寺蔵。

その姿はもはや人ではなく、東照大権現となった神の姿。
孫の家光が、夢で見た祖父の姿を探幽に描かせたと伝わります。
歴博所蔵の源氏物語は最古の版本。慶長年間(1596-1614年)の印刷物。

そして家康は駿府(静岡県)で鋳造印刷による出版も始めています。
駿河版と呼ばれる銅活字の現品は重要文化財。

江戸時代は鎖国の時代。ただし幕府はそれほど単純ではありません。
外国との交易は蝦夷や九州の地でコントロールしつつ・・・

薩摩は琉球を玄関口に中国や東南アジアと交易。屏風は首里城を中心に。

三線は中国生まれの弦楽器、三味線のご先祖。
胴に張られるインドニシキヘビの皮がアジアンテイスト。

出島に長崎奉行所、そして長崎くんちの様子が描かれている長崎図屏風。

長崎ではオランダや中国から輸入された生地の見本帳が制作されました。

輸入生地のクオリティ判断の目安となり、スムーズな取引に貢献。
日本からの代表的な輸出品は、金・銀・銅の鉱物資源が。

最後の展示室「現代」は、太平洋戦争前後から昭和まで。
昭和世代があーだこーだと話が弾むのが、この現代エリア。

戦争直後の住宅代表はバラック。見た目でいえば納屋とか小屋でしょうか。
そして金鳥の看板は、昭和期のトタン板には必須アイテム。
続いて高度成長期の住宅事情を支えた日本住宅公団の赤羽台住宅であーる。
総戸数3,373戸からなる、当時サラリーマン家族が憧れたライフスタイル。
バスルーム(当時そういう表現はしてない。たぶん)に標準装備されるのは、現在では絶滅種となった木製の風呂桶。

DK内には今も定番商品のコカコーラ、キッコーマン、アサヒビール、メンソレータムが並んでいます。洗濯機はベランダがデフォルト。

ちなみに現在の赤羽台団地はヌーヴェル赤羽台としてリニューアルされ、その名前のように小洒落た団地へ変貌しています。
加えて、住宅公団改めUR自身もまちとくらしのミュージアムを展開中。
最後に展示されているのはゴジラ。

初代(1954年)への回帰を目指した1984年版がデザインベースだそうです(ハリウッド版は頭が小さく、もっとシュッとしたカンジ)。
解説によると、ゴジラは目に見えない放射能が具象化されたモノ。また東京大空襲(映画制作当時は終戦からまだ10年)や、ファーストな国によるビキニ環礁での水爆実験の恐怖をオーバーラップさせた作品と。
そして
以後、ゴジラは、高度経済成長期から21世紀の今日まで、核が存在する限り、日本上陸を繰り返すことになる。
と意味ありげな結び方。
もっとも21世紀のゴジラは、核兵器反対のメッセージというよりは、世界に対するIP(知的財産)コンテンツの先兵として進撃中。
随分長々と書き連ねてしまった歴博。
一度だけではすべてを把握できないのはトーハク同様。こうして記事にまとめていても、現地では気がつかなかったネタが顔を出してきます。
また全国から集めた図録(販売用)の充実度もトーハクとは甲乙つけ難いポイントで、個人的定点観測地。
見学にはとにかく体力と集中力が必須条件なのが、佐倉の歴博。


