志摩の国の伊勢エビ 【海の博物館:内藤廣5】 三重県鳥羽市
関西のメンバーでありながら、東海にも顔を出す三重県。近畿や中部という区分けではビミョーな立ち位置にあり、日本の東西を分けるグレーゾーン。
伊勢湾岸沿いの風景からは、工業に関しては愛知県とガッチリと強力タッグを形成しているように見えます。
三重の観光地といえば知名度の高さは鉄板の伊勢神宮。そこから直線距離では20kmに満たない場所に今回のミュージアムはあります(そうはいっても交通の便はビミョー)。
鳥羽市は南北に長い三重県の南勢(伊勢志摩の南側)に位置し、人口は16,000人と小さな市(熊野市14,900人、尾鷲市15,000人と並び町レベル)。
関東方面からの自走派であれば、東名高速浜松ICあたりから1号線経由で渥美半島の西端を目指し、フェリーで鳥羽へと渡るルートは景色の変化も多彩で悪くありません(海路は渋滞知らずで時間、料金的にも大差なし)。

鳥羽市立海の博物館

公立博物館と思いきや、スタートは財団法人東海水産科学協会によって1971年の開館。資料類の増加と保存環境向上のために1992年に現在地へ移転オープンし、2017年から鳥羽市立海の博物館に。
所蔵品は約60,000点、重要有形民俗文化財6,879点。木造船は90隻!

三重県鳥羽市浦村町大吉1731-68


内藤廣という人
設計は内藤廣(1950- )、建築家としての初期作品。
内藤さんのミュージアム建築は、交通の便が良いとは言い難い場所にあります(パンフにもバスの本数が少ないので注意と明記)。
設計にあたり博物館の人(設計者側だったかも)が、津波の記録を江戸時代にまでさかのぼり確認されたそうです。内藤さんは東日本大震災の復興事業にも携わられていて、その意味を深く理解する1人。
ちなみに東北は慶長期(伊達政宗のころ)にも地震と大津波に見舞われています。震災の1年後ごろに発表された仙台周辺の津波被害マップでは、慶長期と平成期の津波到達エリアがほぼ一致していて驚いた記憶があります。
収蔵室はプレキャストコンクリート、対照的に展示棟は集成材を躯体に使用。主構造のイメージは体重を地面にうまく伝えるという蛇の骨格から(何かの記事か番組での本人の説明)。
設計にあたり施主側からのコスト要求がかなり厳しかったようです。
極限のローコスト設計の経験が、茨城県天心記念五浦美術館へと繋がっていったそうです。
結果的にランニングコストでも、同規模の一般的な博物館の空調費が年間2,000万円ほどのところ、ここでは木造ゆえに500万ほどと。
内藤建築を3選

全身石州瓦でかためた益田の文化城郭、地域色100%の傑作。

建物の横幅と手前の湖が意味を持つミュージアム。キーワードは年縞(建物は本来は縦か)。

福井県では2棟目となる内藤印の県立ミュージアム(陸前高田のミュージアムと併せ現時点での最新内藤ミュージアム)。
かつての北陸の雄・朝倉氏のための施設としてリニューアル。

著者:内藤廣
発行:2023年 381ページ 株式会社グラフィック社
上記のグラントワで開催された特別展での図録。ISBNがついているので書店でも入手可能。
ここからは海の博物館へ戻ります。
海女さんの王国

展示A棟(展示棟は複数あり)のお出迎えは、海女の松村さん。海女さんは3000年を超える素潜り漁の名人と紹介されています(ホントか?)。国の重要無形民俗文化財で日本遺産(2019年認定)にも。
全国にいる海女さん2,174人のうち、978人(2012年のデータ)が三重の人と教わったのは三重県総合博物館(MieMu)。そして志摩半島には514人と(2022年、海の博物館調べ)。
写真は鳥羽市のリアル海女さん(当時75才)をモデルに制作された人形。手に持っているのは包丁ではありません(貝類を獲るやつ?)
ちなみに日本遺産のキャッチコピーは海女に出逢えるまち鳥羽・志摩。

そしていきなりの魚屋。展示スタイルは水族館とは異なるセンス。



石原円吉(1877-1973)は、志摩町生まれの初代館長。若くして網元を継ぎ、後に政治家へと転身。戦後の高度経済成長期以前から水産資源保護に情熱を傾けた人。私財を投じ海の博物館を創設。

石原義剛(1937-2018)は、父の跡を継いだ2代目館長。道具類を蒐集し、現在の博物館設計を依頼した人。海女さん自身の職業意識の向上、そして海女文化の世界的認知に貢献。
このミュージアムを見て回ると、石原親子の伊勢志摩の歴史や環境変化に対する危機意識があちこちに。
そして県や国が対応するレベルの問題に対して果敢に立ち向かおうとする情熱がひしひしと伝わってきます。それらを興味深い表現方法により展開。

A棟は見学客がそこそこいたので、先にB棟から。

このスケール感は、蛇の骨格のイメージというよりは鯨の骨格でしょう。
はたまた船の主構造(竜骨的な)のようにも。


鳥羽城は1594年に九鬼嘉隆により築城。九鬼家移封後は幕府直轄地を経て稲垣家の所領に。大手門が海に向かって開かれています。

船の前にいるのが水軍大名・九鬼嘉隆。よく見ると船の上にもちっちゃい嘉隆さん(たぶん)。

九鬼嘉隆(1542-1600)は日本最初の水軍大将(海の博物館調べ)。村上水軍や熊野水軍からのクレームも辞さない解説です。
織田信長の命で鉄鋼船を建造し、大坂湾では本願寺側に味方した毛利家(村上水軍:兵糧や物資を搬入)をコテンパンに蹴散らし海上封鎖に成功(1回コテンパンにやられてますけど)。
豊臣秀吉政権下での唐入りでは、もちろん朝鮮半島へ渡海しています。
関ヶ原の戦いでは子の守隆を東軍に、自身は西軍にと両天秤スタイルをとり、東軍勝利後に自身は自刃。
子孫は幕末まで大名として存続しますが、来島家(久留島:村上水軍)同様に徳川幕府によって海から切り離されて、領地は山の中の播磨三田と丹波綾部に(家督相続で分割)。播磨三田では池や川を使って水軍力をキープ。



そういえば2025年の大阪万博でも集成材がデザインアイコンに。
伊勢エビ

建物の外観と企画カンバンがあまりにマッチしすぎて、一見お食事処的。

2023年7月-11月 海の博物館
こういう展示に出逢えたのも運命でしょうか。なぜかテンション上昇。
伊勢エビは三重県のさかななんです。

洗練はされていませんが、好感の持てる手作り感のある展示。

伊勢エビそれはエビの王。龍蝦とも。本当は伊勢より志摩での漁が盛んという事実は軽い衝撃(流通の拠点が伊勢)。
年に2度産卵し、4月下旬から9月上旬は産卵期。三重県は他県より禁漁期間が長く設定される5か月間。また満月の前後も禁漁。警戒心が強く、明るさで網の存在もバレるらしい。
鳥羽では乱獲を防ぐために自由競争ではなく漁船の乗り合い方式で一緒に共同漁場(禁漁区)で漁をしたり、禁漁区での水揚げは「エビ網同盟会」(なんだかカッコイイ)で平等に分配するシステム(プール制)を導入。
2016年には伊勢エビに超音波発信器を取り付けての行動調査も。

三重県での2018年の漁獲量311tは全国1位(全国1,187 t)。2021年には千葉県に抜かれ第2位に。(2022年の三重県の漁獲量は170tほど)。ここ数年は九州等の南の地域では減少傾向。その分漁獲できる北限も移動し、茨城県や福島県の漁獲量が増加中。ちなみに茨城県は58t(2021年)で全国6位に。東北・三陸海岸でも大型の個体が見られるように。


ちょっと目を引いた宣伝ポスター。ザリガニではありません。

イセエビの歴史解説に貝原益軒(1630-1714)の本草書を展示するあたりは博物館です。

徳川秀忠の上洛時には豪華料理の1品として供されています。妙にマンガチックでかわいい。

歌川広重(1797-1858)の魚づくしから。
リアルな伊勢エビに狂歌を添えて。

家紋にも採用されています。エビの数が増えていくと回転するようにも。

伝統の和食も捨てがたいけれども、豪華すぎるクリームパスタはナイスなチョイス。そしてウニソースは犯罪レベル。

標本かと思いきや・・・



ダンボールアートをぶつけてくる学芸員さんのセンスに脱帽。
しかもよく分からない系の現代アートではなく、本草図から昇華したかのようなリアルな造形作品。関節が可動できるって自在置物レベル。

島村祥太(1999- )は、プロフィール写真がアイアンマン?のダンボールの人。安芸の国の人でしょうか?


入口には3叟の小舟。真ん中にはフツーの小舟が、
たらい舟(左):1990年製 新潟県佐渡島 2人乗り。
トエントン(右):1989年以前のベトナム製 主にイカ釣り漁で使われ、竹で編んだカゴをヤシ油と牛のふんを混ぜたもので防水加工。ヤバすぎる。

壮観な眺めですが、違いがまったく分からない文化財たち。


三重大学では教授や学生も潜るのでしょうか? 潜ってみて分かるコトは多くありそうですが。
A棟に戻ります


新着資料がカツオ。ワイヤーで吊るされているかと思いきや、疑似餌に喰いつく姿を再現。




天井高を生かした展示の中に、なにやらスケールが。

徒人は陸から近い浅い海での海女さん。浅いと言っても水深8m。
舟人は水深10~20m。海女さんはおもりを携行。浮上時は船の人が引き上げるのでペアが基本。

ジオラマも展示されていますが、これではスケール感は伝わりにくい。

潜水用のリーサルウェポン。これからはドローンでしょうか。

伊勢エビは本物が水槽に。伊勢エビの天敵は堅い殻をも口で嚙み砕くタコ。そして守護神がウツボ(別名は海のギャング:タコの天敵)。ただしウツボは成長前の伊勢エビは捕食するらしく、ちょっとビミョーな存在。

魚屋でおススメを吟味。キャプションにはおいしい食べ方も。
水槽展示で得られる情報量より多くの情報がスーッと頭に入ってきます。



志摩の宝石・真珠コーナーも完備。

宝石に興味はありませんが、次回は真珠王の島にも行かねば。
またミキモト銀座4丁目本店のファサード設計も内藤廣(図録に掲載)。

過去一分かりやすい神様の系図。神宮(伊勢神宮)の内宮は天照大御神、外宮は豊受大御神。天照から下っていくと神武天皇に。

ショップでの人気No.1はうなぎのぬいぐるみ。うなぎかご(ウナギ漁の仕掛)とのセットがお得。子供が振り回してボロボロになりそうな予感。
そういえば三重県総合博物館ではオオサンショウウオを前面に。



地味な場所にポツンとある海の守りえびす像(平成8年建立)は、開館25周年記念として設置。環境破壊を憂う海の博物館からのメッセージ。
その表情には怒りと憂いを含み、あなたに「海を守れ」と訴えています。
説明文のむすびには「このえびす様が、いつかえびす顔に戻る日があるのでしょうか」と添えられています。
SDGsよりはるか昔から自然と共存してきた人たちは、環境の変化を敏感に感じ取ってきました。日本は高度経済成長下での公害や環境破壊の実態を身を持って経験し、その対策のノウハウも蓄積されています。
そういう人たちの足跡をもう少しクローズアップできないものかなと。
SDGsを声高に叫んでる人(企業)は地球のためというより、お金のにおいがそこはかとなく。


