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熊&虎狩りの殿様邸:八ヶ岳ヒュッテ【尾張徳川家4:渡辺仁2:お宅訪問13】長野県南佐久郡南牧村

なかなか気付かなかった旧大名系の邸宅があります。
大名邸と言えば、東京もしくは殿様の旧領(地元)で割と景色が良い場所の立地、そして今ではイイ雰囲気の撮影スポット的なイメージ。
建築当時は相応に予算がかけられていて、歴史的な価値はもちろん現在でも美術的な価値は高く、観光コンテンツとしても外せません。
ただ何のゆかりもない場所に移築されて、その地で妙に馴染んでいるケースもあるようです。


徳川美術館(愛知県名古屋市)は、私設美術館では個人的訪問回数ベスト3のミュージアム。尾張徳川家は大藩かつ将軍の親戚という家柄であり、名古屋を中心にゆかりのお宝や史跡も多く現存しています。
何より明治から昭和にかけての御当主は、家財を後世に残すという才能に恵まれた人だったようです。今回はその方(侯爵)の邸宅へ。

「フラリと訪れてみた」という可能性は限りなく低いと思われる南牧村。
長野県東部に位置し、人口は2,976人。お隣の山梨県清里はベタな観光地のイメージですが、南牧村は穴場的観光地のよう。
長野県佐久と山梨県北杜を結ぶルートは、ツーリングするには気持ち良い道があちこちにありますが、個人的にはブラックホール的なエリアでした。
今回の目的地がなければ、まず通る機会はなかったと思われるルート上。

当日の八ヶ岳連峰はご機嫌斜めなのか、ずーっと雲をかぶったまま。

尾張徳川家

御存じ尾張徳川家は名古屋を中心に62万石の領地を持ち、御三家の筆頭。
徳川義親よしちか(1886-1976)は尾張徳川家19代当主。
実は幕末の四賢侯の1人、越前福井藩主松平春嶽しゅんがく慶永よしなが)の子。つまりは、吉宗や家斉の血を引く紀州系の人。

(参考)徳川美術館 本館 (尾張徳川家 大曽根邸跡:愛知県名古屋市)

18代義禮よしあきらの娘と結婚し尾張家を相続、侯爵を襲名します。
1931年に財団法人徳川黎明会を設立し、1935年には大曽根本邸(名古屋)に徳川美術館をオープン(帝冠様式のRC造)。
現在の黎明会の理事には水戸徳川家や加賀前田家の現当主のお名前が。

義親は北海道では熊を、マレーでは虎を仕留めていて、熊狩りもしくは虎狩りの殿様と呼ばれました。
虎狩りした殿様は加藤清正以来なのでは?
ちなみに清正が仕留めた虎の頭蓋骨は、徳川美術館の所蔵品リストに。

義親さん @小牧山城

義親像のある小牧山は、1930年義親から当時の小牧町に寄贈されています。
小牧山は織田信長が美濃侵攻の拠点として要塞化され、のちには徳川家康と羽柴秀吉が激突した小牧長久手の戦いで鍵になった場所。

黎明会の本部は今も東京目白に置かれています。

(参考)徳川黎明会本部 (東京都豊島区)
葵の紋がこれでもかと

太平洋戦争後に華族制度が廃止されると義親は莫大な財産を整理し、目白の邸宅は西武百貨店に売却譲渡。跡地では外国人向けの賃貸住宅を経営。
現在も黎明会周辺は徳川ビレッジと呼ばれています。
かつては徳川ドミトリーという女子学生用の寮があったようですが、2023年に閉館されています(徳川美術館でパンフを見た記憶が)。

八ヶ岳ヒュッテ

では譲渡された邸宅はというと・・・

富裕層別荘地の雰囲気をビリビリ感じるヒュッテへといたる道。

1934年に目白に建設された尾張徳川侯爵邸。
設計は渡辺仁で現在は重要文化財。

1968年に西武百貨店が譲り受けた邸宅は、八ヶ岳山麓に移築されました。
入口には黄色いバス停らしきものが見えます(本数あるのか?)。

長野県南佐久郡南牧村海の口2244-1

八ヶ岳高原ヒュッテの周辺には別荘地が広がり、ヒュッテ以外にもロッジや音楽堂を備えています(現在はロッジに宿泊可能)。

ちなみに音楽堂は吉村順三の設計。クラシック用かと思いきや、2025年の予定を覗いてみると幅広いジャンルに対応(音楽堂は見損ねました)。
最寄りの駅から送迎バスがあるようですが、公共交通機関でのアクセスはやや厳しい環境。

渡辺仁という人

渡辺仁わたなべ じん(1887-1948)は近代日本モダニズムを代表する建築家の1人。
義親の母校・学習院を通じて尾張徳川家と知り合ったそうです。
黎明会本部も渡辺の設計。

渡辺建築3選

(参考)トーハク本館(1937年:東京都台東区)
(参考)銀座和光(1932年:東京都中央区)

手掛けたのは知名度の高いトーハクや銀座和光のような重厚な建物ばかりかと思いきや、洒落た個人住宅も手掛けています。

(参考)原邦造邸:原美術館 (1938年 現存せず:東京都品川区)

原美術館は現代アートがメインの印象が強く、一度しか足を運べませんでした(現在は跡形もなく、グーグルマップでは土台だけ)。
どちらかといえば古い美術品系も並ぶ、原美術館ARC(旧ハラ ミュージアム アーク)の方が好み。

それでは侯爵の館へ

構造材(柱や梁)が表出するハーフティンバースタイルが特徴の邸宅は、チューダー様式の木造軸組工法。シンプルに山小屋です。
かつてはホテルとして利用され、現在はレストラン、カフェに、研修・セミナーやウェディング会場として利用可能。

入口には熊(ヒグマ)

尾張徳川家は明治期以降に北海道の八雲村で開墾事業を進めました。
義親はスイスで見た動物の木彫りに触発され、農閑期の仕事として土産物用に作り始めたのが熊の木彫りの起源らしい。

分かりにくいのですが、熊が持っているのは杖ではなくピッケルです。
邸宅の木彫りの熊たちは、北海道八雲から召集された作家の手によるもの。

天候に恵まれない長距離移動(仕事の寄り道)でしたが、お茶で一服。
さすがに利用もせずに見学するほどの度胸はありません。

什器は歴史ある雰囲気ですが、侯爵邸由来なのかは不明。
コーヒーはいたってフツー。2階も見学可能という事なので。

階段の手すりにも

けっこうな数の熊軍団に屋敷は守護されています。

2階にはミニ資料室が設けられ、当時の写真と共に簡易的な図面も展示されています。図面は手書きで、その線はフリーハンド。
もちろん設計者のサイン入り(たぶん)。

邸宅の説明パネルには義親自伝の一部が紹介されています。
いわく「ぼくの家に『源氏物語絵巻』が三巻あった」と。
もちろんマンガではなく、現在も徳川美術館所蔵の国宝絵巻の事です。
「大坂夏の陣で落城のさい、戦利品として押収し、家康が名古屋に持ち帰って保存したのであろう」と(ホントか?)。
家の歴史をこういう風に語れる人はそうそういないでしょう。

ちなみに源氏物語絵巻は、1932年に義親の手によって保存・展示のため額面装(43面)されました。
ところが2020年には元通りの巻子装に戻され(修復?)現在に至ります。

味があってリアル デフォルメの妙

壁にも剥製ではなく木彫りが並びます。

反対側にはマレーの影響かアジアンテイストのお面が。

場所柄もあり、東京よりも熊が似合う建物になっています。
結婚式のパーティー会場にはやや不便な点が多いのかもしれません。
歴史と内装の雰囲気では差別化できますが、旧侯爵邸と言われるとゴージャス感はややビミョーか。

これらのインテリア類も徳川家との関係は不明。聞いとけば良かった。

梁の中心(玄関上2階部分の窓)には葵の御紋が

徳川邸への途中、「別荘地なので安全運転で!」的な看板を見かけました。そしてもう1つ気になる看板や標識が。

これは山間部の道路で時々目にします

よくできてます

看板や標識だけでなくシンプルなつくりのシカも。車を停めて確認。

確かに彼らが出てきそうな雰囲気はプンプンしますが、飛び出すほどかと思いつつ林の中に目をこらすと・・・

かなり遠くに何かいて、動いてます。

スマホを最大拡大して撮影すると・・・

全頭、完全に警戒態勢。どうやら監視されていました。
果たして向こうからは見えているのか?

さんざん徳川邸で熊は見てきたので、もしかするとと思いつつ帰路に。
長野の山間地では出没したという話をよく聞きます。そういえば東京といえども西側の八王子辺りも高速道路が出没の境界線になっているようです。

現存する旧大名邸はその雰囲気からレストランや結婚式場になっているケースがあります。ただ都心から移築されて周囲の景色とこれほど同化している邸宅は唯一無二かもしれません。

徳川美術館からは全く想像できなかった熊狩りの殿様邸の現在。

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