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ミュージアムへと生まれ変わったのは、近代建築家によるやんごとなき学び舎!【霞会館学習院ミュージアム:前川國男5】 東京都豊島区

大学付属博物館もしくは美術館。大学自らの歴史を広く公開し、近年ではPRの目的も兼ねているという点では、企業系ミュージアムと同じカテゴリー。
加えて宗教系の大学であれば、宗派によっては軽く1000年を超える歴史に国宝もしくは重要文化財クラスのお宝が所蔵されているケースも。
一方そういった価値観だけでは語れない、独自の世界を持つ大学があります(あくまで個人的イメージ)。
おまけにリニューアルによってミュージアムとなった建物は、日本のモダニズム建築の王道を歩まれたあの方の作品。


東京都豊島区の人口は296,000人。23区内では真ん中やや下あたりの規模。
狭小住戸集合住宅税(ワンルームマンション税)という、興味深い政策の導入が記憶に新しい行政区。
全世帯の約60%が単独世帯(令和2年データ)という偏りを改善するため、集合住宅において新築、増改築で作られる30㎡未満の住戸1戸につき50万円が課税されています。
大義名分はゆとりある住環境の実現のため。税収には不利なのかもしれませんが、単身者が集まる環境とは生活に便利なエリアとも言えます。

学習院大学

東別館

今回の記録は学習院大学。それは何だか秘密のヴェールならぬ御簾の向こう側にあるような大学(くどいようですがあくまでイメージ)。

東京都豊島区目白1-5-1

学習院大学の創立は1877年。起源はもう少し遡って、1847年の京都御所内に設置された学問所。
校名は孝明こうめい天皇(1846-1867)から下賜された勅額による命名。
1877年は東京の神田錦町に華族学校が開設された年。
太平洋戦争後の1949年、一般にも門戸を開いた新制学習院大学に。

東別館

正門を通り過ぎると、やや近づきがたい雰囲気を醸し出している建物が。
その建物東別館は皇族の方々のための旧皇族寮(1913年)。
当時は全寮制だったそうで、秩父宮雍仁ちちぶのみや やすひと親王(昭和天皇の弟)らの宿舎。
玄関には車寄せ(馬車用)を完備。向いには院長官舎があったそうですが、現在は明治村(愛知県犬山市)に移築されています。

東別館

そして東別館のすぐそばにあるのが学習院ミュージアム。

学習院ミュージアム

2025年にリニューアルオープンしたのが霞会館記念学習院ミュージアム
設計はなんと前川國男
キャンパス計画の一環として1960年から建築された校舎群の1棟で、もとの大学図書館(1963年)をリノベーション。70年前の建物には見えないデザインです(前川建築群の一部は、解体によって失われています)。
実は東別館が前ミュージアム施設だったそうです。

大学史料館は1975年の開館。中世からの公家、近世以降の大名や華族らの史料類約25万点を収蔵・展示。

そして館名のタイトルになっている霞会館こそが、真に御簾の向こう側にある組織です(HPなど見当たりません)。
旧華族の当主らで構成され、一般ピープルにはまったく縁のない組織。
彼らの援助によってリニューアルオープンされたと学習院ミュージアム発行のミュージアム・レターに記されています(2027年に迎える大学150周年の記念事業の1つとも)。

入館者はイメージ通りの年齢層高めでほとんどが女性陣。入館は無料。

華族文化 美の玉手箱 展 チラシ
2025年3月-5月 @学習院ミュージアム

特別展には後水尾ごみずのお天皇(1596-1680)や霊元れいげん天皇(1654-1732)の御宸翰に羽柴秀吉(1537-1598)の書状から、武者小路実篤むしゃのこうじ さねあつ(1885-1976)、木下利玄きのした りげん(1886-1925)、柳宗悦やなぎ むねよし(1889-1961)といった学習院卒業生の品々が展示(ほぼ明治以降)。

特別展示は撮影不可でしたが、常設展示はOK。

学習院 勅額(複製)

学習院の始まりとなった勅額。
説明には1849年に孝明天皇より下賜(近衛忠熙このえ ただひろ筆)。そして1877年に明治天皇より下賜とあります。

入学者募集ポスター(戦後)
昭和天皇 着用制服

制服導入は日本初だそうです。採用理由は、学生間での経済格差(ビジュアル面)解消のため(毎日着ていく服を考えなくても済むし)。
1/5ですが、廸宮みちのみや裕仁ひろひと親王(後の昭和天皇)着用モデルは、現物ではなく縮小模型での展示というのがちょっと新鮮。

女子初等科制服

もちろん女性用の制服も。
華族女学校は1885年の創設。袴着用からはじまり1925年に和洋の標準服に、1937年からセーラー服(現行とほぼ同じらしい)へと移行。

ランドセル(複製)

日本での通学時のランドセル使用は、1885年に学習院からスタート。
原寸模型は光宮てるのみや宣仁のぶひと親王(後の高松宮で昭和天皇の弟)使用モデル。
思いのほか小さくてカワイイ。
解説によると親王は赤坂御用地から学習院まで徒歩で通学されたとありますが、毎日だと小学生にはややキツイような。

メダル関係

運動会や競技会での成績優秀者に授与されたメダル類。
宣仁親王ゲットの品々が多数展示。

プライス 表札

右側の不来子ぶらいすの表札(陶板)は、R・H・ブライス(1898-1964)宛の書簡に書かれた師でもあった哲学者鈴木大拙すずき だいせつ(1870-1966)による当て字。
漢字のチョイスは、禅の思想不来不去ふこふらい「なかなか来てくれませんね」のダブルミーニングだそうです。
ブライスは学習院では教授を務めた人。没後は大拙ゆかりの鎌倉・東慶寺に葬られています。

現存建築 各種

まさかの前川國男

サプライズだったのはミュージアム(旧大学図書館)の設計者。
建築家前川國男まえかわ くにお(1905-1986)はモダニズムの人。
フランスへと渡りル・コルビュジェに師事。全国のミュージアム建築を手掛け、多くが現存しています。打ち込みタイルは前川建築の代名詞。

前川建築を3選

(参考)東京都美術館(東京都台東区:1975年)
(参考)東京文化会館(東京都台東区:1961年)
(参考)熊本県立劇場(熊本県熊本市:1982年)

3選の中では、視覚的に分かり易い前川建築は東京都美術館でしょう。
ところが学習院の建物には、その文脈がまったく感じられません(熊本県立劇場が学習院のイメージに近いか)。

学習館ミュージアムはリノベーションされているとはいえ、建物を支配するのは昭和感。デザイン的に古くもなく新しくもない建物だなと思いつつ、歴史展示を見ていてココが前川建築であることを知りました。

しかもかつてはキャンパスにピラミッドも設計していたという衝撃の事実。
正式には中央教室と名付けられたまんまピラミッド型の校舎。
関係者は「ピラ校」と呼んでいたそうです。残念ながら2008年に解体。

ちなみに博物館配布の過去のニュースレター(博物館だより的出版物)には、解体時の記録(写真付)が掲載されているものがあって貴重です。
また皇太子時代の今上天皇が、ミュージアムスタッフとの記念撮影や白衣を着ての所蔵品の調査風景といった掲載号もあり、他館の博物館だよりには見られない毛並みの違う資料になっています。

学習院大学を目白通り沿いに俯瞰すると、北西にはF・L・ライトの自由学園明日館(直線で1km弱)、東には学習院とも関わりのある肥後細川家の永青文庫(約1.5km)。
学習院ミュージアムに足を運んで、周辺のミュージアムとの位置関係に初めて気がつかされました。
ハシゴするには体力が必要ですが、これから何が飛び出してくるのか楽しみなミュージアム。

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