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トーハク大覚寺展で補完する大覚寺 【旧嵯峨御所】京都市右京区

由緒ある寺社に所蔵される仏像や宝物等々は、地元以外でも○○展と称して各地にあるミュージアムで公開されてきました。
2025年トーハク最初の特別展は大覚寺展。
大覚寺の宝物群が大挙して東京まで遠征するのは、初めての事らしい。


京都のお寺は数が多いうえに歴史も長く宗派も複雑。
どこから攻めてよいものかとチョイスに迷います。
しかも有名どころは激混みに戻った2025年。

関西で仕事していた頃に、京都の人に教えられたのが大覚寺。
世代によって志向に違いはありますが、年配の人ほど長い歴史を持つお寺をおすすめする傾向を感じます。
大覚寺は太秦に近いせいか、ドラマや映画の人気ロケ地とも聞いていましたが、とても落ち着いた雰囲気のお寺。
印象に残ったのはなぜか大沢池と駐車場スタッフ。

風流かと思いきや要塞のお堀的な役割のようにも。

大覚寺

京都盆地の西の端に位置する大覚寺は真言宗大覚寺派の大本山で、嵯峨天皇の元離宮がベース。天皇崩御後に大覚寺に改められています。

一時期は荒廃したそうですが、後宇多天皇が入寺して再興。
室町期における南北朝問題の後醍醐天皇方、大覚寺統の原点ともいえます。

大覚寺 → HP

京都府京都市右京区嵯峨大沢町4

明治期の廃仏毀釈によって他のお寺と同じく苦境に立たされましたが、1924年に富岡鉄斎とみおか てっさい(1837-1924)らによって心経殿が復興され、皇室からは大正天皇即位式の饗応殿の下賜(御影堂:心経前殿)もあり現在の形に。

興味深いのは、1972年と比較的早い時期からの障壁画(200面超)の保護活動(復元模写等)。現在も2016年から14年計画で修理(240面)を継続中。

式台玄関 VIPは右へ、拝観者は左へ

拝観料はお寺と大沢池の独立料金制。駐車場も有料でしたが、すーっと寄ってきたおじさんに前金制の料金を支払うと、駐車券ならぬ交通安全の御札が渡されます。そしてお寺の指定場所に納めると供養してくれるシステム。
なんとなく料金を支払った感がなくなったかのような感覚に(錯覚)。
ほかのお寺ではそういう経験はありません。

パンフ 2020年版

寺域内には一般未公開のエリアもあり、堂宇内は撮影禁止(お寺によくあるお庭方向はOKスタイル)。
宸殿は建築物内では少数派の撮影可能領域。

宸殿

御所だからでしょうか右近の橘(左近の梅はスルー)。

室内には入れません。

よく分からずに撮影していた正寝殿(パンフは先に目を通した方がいい)。
大覚寺展での重要ポイントでしたが、近寄れなかった非公開エリア。

右奥が正寝殿

よく分からずに撮影していたその2、村雨の廊下。風流なお名前。

村雨の廊下

裸電球はいとおかしなのかも?

予習なしの見学で最も気になったのはおそらくの勅使門。

やんごとなきお方の専用門と石舞台

唐破風にはなぜか惹かれます。ただし距離ありすぎ。

勅使門表側の写真がなかったので地図で調べてみると、勅使門には近づけないような構造になっていました(実はあのお堀のせい)。

五大堂は五大明王が安置される現在の大覚寺本堂で、江戸時代に建てられたもの。お寺の解説パネルによると、もとは石舞台の位置にあったそうです。

石舞台の向こうは五大堂

大正天皇の即位式の饗宴殿きょうえんでん(現御影堂みえどう)の下賜に伴い現在の位置に。

大沢池

人工の池とは思えない大沢池。

心経宝塔&護摩堂(右)

五社明神は嵯峨離宮の鎮守さんで、弘法大師による勧請。

五社明神

勅封心経殿は宸翰(天皇筆)のお経群の保管庫。

勅封心経殿

御開帳は60年ごとで、近年のリアル開封の儀は2018年。
あのロープ?が気になります。

たぶんレプリカ

宝物を収蔵する霊宝館は春季と秋季の限定公開(混み合いそう)。

嵐山からそれほど遠くはない立地ですが周辺には田畑が広がり、大沢池&広沢池(もうちょっと東側)も相まって市内でものんびりした印象のエリア。

そして大覚寺展

トーハクの特別展は約1年前の光悦の大宇宙以来。
お寺系はそのちょっと前の東福寺展。かつてのコスパ高めの年間パスポート時代には、年に4回ほどは特別展を見ていましたが、ここ数年は年1回ペース(入場料のパワーアップもあり、似たような展示は回避するように)。

今回はトーハクの特別展では珍しく撮影可能という話を小耳にはさみ、足を運んでみる事に。
大覚寺では基本的に宝物関係は拝めていなかったのも理由の1つです。

大覚寺展 チラシ
2025/1/25-3/16 @トーハク

結論から言うと、撮影可能だったのはほぼ襖絵。
興味深い展示物は多かったものの、天皇&法皇像や文書類は撮影不可(まあ図録は買いますけど)。

後宇多天皇の御宸翰(手形付)はなかなかの衝撃でした。
門跡寺院だけあって系譜には天皇や親王が並び、戦国期になると近衛家からの門跡が見え始めます(展示品にもその名前が)。

例によって入口あたりの進行はノロノロでしたが混雑というほどではなく、例の刀の展示のみ行列を形成(2列目からでもよく見えましたが)。

むしろ興味を引かれたのは、名刀薄緑膝丸)の伝来記の展示。
源氏の重宝という事で、はじめの方は河内源氏嫡流の面々が名を連ねます。
ところが源頼朝以降にはなぜかの大友能直おおとも よしなお。そして大友氏庶流の田原氏へ。
源氏オーナーの時代はかなり短かったという事実(能直の出生には諸説あり)。そして実は薄緑は1本という訳でもないらしい。

参考に一緒に展示されていた薄緑の相方髭切ひげきり(鬼切丸)

(参考)髭切 @北野天満宮

髭切(鬼切丸)は満仲みつなか(912-997)が刀工安綱に膝丸とともにオーダーした刀。名前は満仲が試し切りすると髭まで切れた事から。

満仲の子頼光よりみつが家臣の渡辺綱わたなべ つな(四天王の1人)に刀を貸出中に、女装した鬼に綱は拉致られて空へと(?)。
そして北野天満宮の上空で(?)鬼の片腕を切り落として無事脱出。
そんなファンタジーなエピソードから鬼切丸の別名もゲット。
後に源頼朝、新田義貞、斯波高経、最上頼兼と伝来。
明治以降には没落した最上家から北野天満宮へと渡っています。
髭切はリアルに源氏(八幡太郎義家系)で伝来されたヒストリー。

ちなみに多田神社(満仲を祀る神社:兵庫県川西市)にも鬼切丸はあるようです。見分けられるほどの眼力はありませんが。

そんな二振の名刀以降から設定された撮影可能エリア。
襖絵の尋常ではないボリュームに圧倒されます(展示室の4分の3を使用)。

大覚寺現地での写真を交えながら、襖絵を記録していきます。

式台玄関

大玄関(式台玄関)は江戸初期に御所より移築されたVIP用の玄関。
御輿は後宇多法皇の御使用で、菊の九曜紋は他では見た記憶がないような。

式台玄関 @大覚寺

お寺の解説では、障壁画は狩野永徳の手による「松に山鳥図」とありましたが・・・(お寺での展示品はたぶんレプリカ)。

一方トーハクでの展示

松に山鳥図(重要文化財) @トーハク

トーハクの解説では安土桃山時代の名残を思わせると作者不詳に。
研究が進んだのでしょうか?

宸殿

宸殿しんでん(重要文化財)は後水尾天皇(1596-1680)より下賜されたと伝わる建物。宸殿とは御所内で儀式が行われたパブリックな空間紫宸殿の略称。
東福門院(2代将軍徳川秀忠の娘:1607-1678)の入内時に造営された女御御所の移築とされています(諸説あり)

宸殿 牡丹図 @大覚寺

牡丹図(重要文化財)は狩野山楽かのう さんらく(1559-1635)の代表作。

牡丹の間 牡丹図 @トーハク

山楽の父は近江浅井氏の家臣。浅井氏が織田信長に滅ぼされると、父は豊臣秀吉とよとみ ひでよし(1537-1598)に仕えます。
そして秀吉によって山楽は狩野永徳かのう えいとく(1543-1590)の弟子に。山楽は豊臣家ベッタリだったので、大坂の陣後の豊臣家残党狩りでは一時ピンチに。

永徳没後に狩野家は拠点を京都から江戸へと移しますが、山楽は京都に残り京狩野の祖となります。永徳の豪快な画風を受け継いだ人。

牡丹の間 牡丹図 @トーハク
牡丹の間 牡丹図 @トーハク
牡丹の間 牡丹図 @トーハク

松鶴図は寺伝では永徳作とされているそうですが、図録の解説では永徳や山楽系の筆致ではないと推論しています。

柳松の間 松鶴図(重要文化財) @トーハク
柳松の間 柳桜図 @トーハク
柳松の間 柳桜図(左側) @大覚寺

柳桜図(重要文化財)は狩野派絵師の手によるもの(図録解説)。
構成や配置がやや単調と分析されていますが素人にはよく分かりません。

柳松の間 柳桜図 @トーハク

紅白梅図(重要文化財)は山楽作。
出口に近いあたりに展示されていましたが、紅梅が印象的。

紅梅の間 紅白梅図 @トーハク
紅梅の間 紅白梅図 @トーハク

正寝殿

正寝殿しょうしんでん(客殿・対面所:重要文化財)は安土桃山から江戸初期に建てられた書院造の建物で、門跡のプライベート空間(一般非公開)。

展示室に再現された御冠おかんむりの間は、院政時の後宇多法皇の執務室。
天皇家ゆかりの建物の移築と考えられています。
玉座の背後の襖の奥(剣璽の間)にはかつて三種の神器(玉璽と剣)が保管されていたそうです。

御冠の間(再現)@トーハク
御冠の間 山水図 @トーハク

山水図(重要文化財)は狩野山楽作。玉座の背後の襖絵。

玉座は格式の高さが一目瞭然ですが、天井は完全再現なのでしょうか?

御冠の間 山水図 @トーハク

松鷹図(重要文化財)は狩野山楽作。

鷹の間 松鷹図 @トーハク

解説には師匠の永徳の檜図屏風と酷似と。

鷹の間 松鷹図 @トーハク

劣化のせいかやや薄くなっていますが、松の豪快なタッチはたしかに似ています。

(参考)檜図屏風(狩野永徳) @トーハク

竹林七賢図(重要文化財)は伝渡辺始興作とされています。

賢人の間 竹林七賢図 @トーハク

渡辺始興しこう(1683-1755)は大覚寺では山楽との二枚看板の絵師。
琳派系の人のようですがよく知りません。近衛家とは近い関係にあったとされています。

野兎図(重要文化財)は渡辺始興作。近衛家から入った幼い門跡(12才)を慰めるため描かれたとされています。

東狭屋の間 野兎図 @トーハク

ウサギの中にはリラックスしすぎな姿も。
裏面には四季花鳥図(未展示)。

東狭屋の間 野兎図 @トーハク
大覚寺展 図録
発行:2025年 295ページ
読売新聞社 日本テレビ放送網 BS日テレ
編集:東京国立博物館 読売新聞社 大本山大覚寺

図録では展示されなかった襖絵もしっかり網羅されています。
アメリカに渡ってしまった作品までカバーされていて非常に役に立つ1冊。
大覚寺のパンフ?が挟み込まれています。

出口には大沢池のコラージュ(四季バージョン)。記念撮影者多し。

自宅で確認してみると、大沢池のパンフレットのデザインでした。

パンフ大沢池 2020年版

トーハクレベルの展示スペースあっての特別展でした。
御冠の間の再現は秀吉の黄金の茶室的で、組立可能であれば今後の出張展示にも重宝しそうな仕掛け。
展示方法のアイディアがどこから出たのか分かりませんが、最近の高精細印刷のテクノロジーがあれば茶室の起こし絵図のように、面だけでなく立体再現の可能性が広がるようにも(液晶パネルでも可能かも)。

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