集合住宅の歴史を俯瞰するのであーる:晴海&多摩平編【前川國男6:URまちとくらしのミュージアム】東京都北区
江戸時代に肥後の国を治めたのは細川家。その嫡流が再び肥後のお殿様に選ばれたのは(純粋な民意から)、年号が昭和から平成へと変わるころ。
そのお殿様細川護熙(後に内閣総理大臣:1938- )は、知事の名のもとに旧領内で建築プロジェクトを事業化します。
くまもとアートポリス(1989年から:以下AP)と呼ばれたそのプロジェクトは、建築は文化である事を県民、そして世界へと発信した稀有な政策。
そこに名を連ねた建築家たちには、プリツカー賞受賞者も多数。
APは若手建築家へ公共建築の門戸を開くという役割も果たしています。
中でも住宅建築で目を引くのは、妹島和世(再春館レディースレジデンス:1992年)と山本理顕(県営保田窪第一団地:1991年)の2人。
一方プロジェクト以前に建てられた県内の優れた作品も、既存建築物として選定されています。あの昭和の巨匠建築家の作品もモチのロン。
前回のおハナシは、ミュージアム棟4F部分での記録で一旦中断しました。
今回は4→3→2Fと複数階にまたがる物件のご紹介。
簡単にミュージアムをおさらいしておきます。
URまちとくらしのミュージアム @ヌーベル赤羽台


URまちとくらしのミュージアム(以下URミュージアム)は、2023年開館の企業ミュージアム。簡単に言えば、URによる集合住宅のテーマパーク。
運営するのはUR都市機構、前身は日本住宅公団(以下、公団)。
ヌーベル赤羽台(旧赤羽台団地)内にあり、スターハウス等の旧棟も保存。
ミュージアム内は基本撮影OKですが、解説パネル系はほぼNG。
東京都北区赤羽台1-4-50
ミュージアムに展示されていた赤羽台団地模型(写真右側)。

団地の右側中程にはスターハウスが8棟確認できます。
訪問時に保存棟内は見学不可だったので、参考に復元原寸模型を歴博から。

玄関、ベランダともに、昭和期の王道スタイル。
設定は小さな子供のいる世帯で当時の最先端住宅。

室内は特にモノが多いという訳ではありませんが、雑多な雰囲気。
壁に掛けられるのは、うちわやほうき(ハンディ)そしてハエたたき。
現代のミニマリストなら卒倒するDK(整頓はされていますが、たぶん)。

それでは前回からの続きの物件へ。
晴海高層アパート
本日最初の物件、晴海高層アパートは1958年の竣工。
公団初の10階建高層集合住宅。メガ・ストラクチャー構造と名付けられた縦3層、横2戸の計6戸を1ユニットとして全体を構成。

住民のライフスタイルの変化による住戸拡張も視野に入れた意欲作。
ただSDGsの先駆けのような思想は実現する事はなく、老朽化のため解体。
再開発された2001年、オフィスや商業施設を加えて超高層ビル群を形成する晴海アイランドトリトンスクエアに。
前川國男という人
晴海高層アパートの設計は前川國男(1905-1986)。
ル・コルビュジェ門下生で、日本各地に公共建築を残している人。
打ち込みタイルが多用されるミュージアム建築は、多く現存(現役)しています(熊本県立美術館はAP既存建築物!)。ただし住宅建築は超希少。
参考に住宅物件(自邸ですけど)と今はなきビル(これまたレア)を。


高層アパートに戻ります。
まずは廊下ありフロアの物件から。
廊下はかなりのゆったり仕様で、子供が自転車で走る事も想定されていたそうです(まさに路地裏)。そのための玄関扉は引き戸仕様。
ただ運用してみると、予想以上のチビッ子の元気っぷりから走行禁止に。

また当時は電話のある各戸は少なく、廊下にいくつか黒電話を設置。
団地の交換手が廊下の内線電話を鳴らし、近くにいた人が対応して本人を呼び出すという素晴らしい最先端システム。

各戸に電話が普及してくるとこのシステムは終了。
内装はスッキリデザイン。通路側壁面の上部は窓になっていて通気を確保。
ただ窓を開けると廊下の声がうるさかったそうです。


キッチンにはステンレスシンクを導入。
ただしバスは相変わらずの木製。


カット模型もいくつか展示されていました。
1F部分の筒(下写真)については後ほど。

実は高層アパートのエレベーターは、1、3、6、9Fにのみ停まります。
その他の階へは、そこから階段を使用するスキップアクセス方式。
そのため横方向の通し廊下は、EV停止フロアのみ存在。
(興味ある方はタイトル写真の住戸図を参照)
先程の模型の筒は、2F住戸の勝手口(玄関ではなくキッチン側)専用階段。
続いて廊下なしフロアの物件へ。

玄関入るといきなりダイニング。

非廊下階住戸も基本デザインは共通。
上階の照明もそうでしたが、住戸内に置かれた微妙にお洒落インテリアは当時のモノなのでしょうか?


トイレは洋式。またおフロを出たら、いきなりキッチン。
問題はバスとトイレの間にある下水管。ダイニングテーブルのすぐそばとなるビミョーなレイアウトとスタッフさんからの解説。


モデルルームは優雅なティータイムを演出。コルビュジエの絵を飾るような住人がいたのでしょうか? それともURスタッフによるシャレか?
ちなみに初期の住人には、朝に黒塗りの車がお迎えに来る世帯が多かったそうです。湾岸エリアの最新住宅は、今も昔もステータス。
ここまでのディテールで気がつかれた方は、かなりのオタク目線です。
高層アパート住戸の窓枠は、まさかの木製(自邸と同じデザイン文脈)。
潮風による金属劣化を避けての建築家によるチョイス。

また住戸内と周辺設備では、エレベーター内が唯一の撮影禁止ポイント。
建築から数十年経過すると居住者層も変化し(建物の老朽化もあって)、そのせいかEV内にも落書きが多数。
禁止理由は落書きに含まれるジャパニーズ・4レター・ワードのため。
これも団地の歴史。過渡期にはいろいろあります。
多摩平テラスハウス
続いての物件はテラスハウス。専用庭付き積層住宅(3K)のイメージは、長屋の2階建て。テラスハウス自体はヨーロッパ発祥の住宅形態のようです。

日本の長屋では、井戸や路地裏が住人たちのコミュニティスペース。
そこに自分の庭まで付帯すれば、気分は一気に一軒家。
多摩平団地(東京都日野市)は、1958年の入居スタート。
重機でコンクリートパネルを組み立てるというティルトアップ工法を採用。
多摩平はプレキャストコンクリートで組み立てられた初のテラスハウス。



ステンレスシンクは採用されていますが、リビングには一見ちゃぶ台を思い出させるようなコタツ。


晴海と同世代の住宅にしては、濃厚な昭和感がただよう多摩平。
設計者の違いによるものでしょうか?(住人の設定年収が違うのかも)
実は前川國男も住宅公団(当時)のテラスハウスを手掛けています。
ミュージアムでは模型のみでの展示。

阿佐ヶ谷住宅(東京都杉並区)は1957年から分譲・入居がスタート。
中層棟とテラスハウス(2種)で構成され、勾配屋根タイプのテラスハウスを設計担当したのが前川さん。
老朽化のため2013年に解体され、プラウドシティ阿佐ヶ谷として再生。

物件巡りはこれにて終了。
住戸設備のカタログ的な展示室へ。

集合住宅で使用されたパーツ群を、すこーしお洒落にディスプレイ。



実は東日本大震災の復興事業も担当しているUR。勉強になります。
展示エリアの最後には、そのPRコーナーがさらっと。
岩手県陸前高田市での復興活動における希望の象徴は、奇跡の一本松。

その幹の一部が目立つように展示されていました。
もちろん松の他パーツは、市によって分割されて保存。
ちなみに松の根っこ部分は、2022年には東京へと運ばれ公開されています。
その記憶が現在紀尾井清堂(東京都千代田区)で、内藤廣展と併催中(2025年9月30日まで。残念ながら根っこはありません)。

またURの展示では復興事業の一部をジオラマ化。
山を切り崩して復興住宅用の宅地化を進め、発生した土砂はベルトコンベアで気仙川を越えて湾岸部へと運搬(ジオラマでは左から右へ)。
土砂は低地のかさ上げに利用するというなかなかのスケール。

そのかさ上げされたエリアの現在は、内藤廣設計の追悼・鎮魂施設に。
現地では奇跡の一本松もレプリカで再現され、コンベアの一部も復興遺跡として保存されています。
以上でミュージアム内での見学は終了。
最後は「見逃さないでね!」とスタッフさんに教えられた野外展示も。


オブジェ化しているのは、晴海高層アパート2Fへの専用階段。
印象は、それで?としか言えない。

U字型の白いベンチは、彫刻家流政之(1923-2018)作。
旧東鳩ケ谷団地(埼玉県川口市)からの移設ですが、流政之といえば・・・

前川建築の東京海上日動ビルにあった波かぐら(1974年)。
そしてくぐりえびす(1974年)も彼の作品。
失われた丸の内での共演が赤羽で再び。これもURのたくらみ?

建築の永続的な保存活動という視点では、URミュージアムのように建物の一部、もしくはパーツ類の集約保存というスタイルもアリでしょう。
再現という手法では、近年の公立ミュージアムでも目にする機会が・・・
昨今、昭和の名建築と呼ばれる建物が取り壊されるニュースを目にします(直近では丹下健三設計の旧香川県立体育館)。
全ての建物で老朽化は不可避。コストを掛けても改修保存が可能であれば、それは幸運なコトでしょう。
公共建築にとって鍵にもハードルにもなるのが、地域住民の愛着やコスト負担の同意。そして保存と建替えを天秤にかけた時に結論を左右するのは、文化としての建築に対する建物オーナーの理解度でしょうか。

