博物図譜いろいろ その2 トーハク編 増山雪斎・栗本丹洲 東京国立博物館5 東京都台東区
前回は肥後と讃岐の博物大名を記録しましたが、博物図譜を深掘りしていくと美術のカテゴリーとの境が分からなくなってきます。
例えば伊藤若冲の動植綵絵(三の丸尚蔵館蔵)は30幅もの大作ですが、鳥類や魚類の図鑑のようです。
また酒井抱一の花鳥十二ヶ月図は植物図鑑。
背景の有無が明確な違いと言えるかもしれませんが、図譜にはない超絶テクニックや色鮮やかな顔料がアートとの境界線なのかも。
東京国立博物館(以下トーハク)では特別展や企画展のような規模ではありませんが、定期的に所蔵品は入れ替えられています。
HPでの案内は細かく見ていて気がつくレベルなので、ほとんどが実際に足を運んで目の当たりにしてラッキー!というケース。
以前からそうだったのかもしれませんが、ここ1年ほど図譜的な逸品にいろいろと出会っています。それらは博物なのか美術なのか?
その境界線上にある作品や文人大名作品、そして江戸時代の博物図譜の最終形態までいろいろと。
円山応挙の場合
円山応挙(1733-1795)は絵師で円山派の祖。
写実的で繊細な絵を描いた人(ライト過ぎる説明でスミマセン)。

写生帖はスケッチブックのこと。鳥類編の丁帖では羽根のディテールや視点の角度を変えるなど、観察を通して応挙のモノの見方が分かる点が面白い。細部が気になるのは人間(オタク)の性なのか。
所々に絵画対象の特徴や採取した日付らしき記述が見えます。
自身の技術鍛錬はもちろん、いろんな意味でお弟子さんたちの良いお手本だったのでしょう。






乙帖は植物編にサルやカメ(5月23日はカメの日)。
植物も花だけでなくタケノコやキノコに霊芝というのが博物的。







応挙作品は、図譜というよりやはりアートの側のデータベースか?
続いて博物大名かつ突き抜けた画力を持つ人を。
増山雪斎とは・・・虫豸帖
増山雪斎(正賢1754-1819)は、伊勢長島藩2万石の第5代藩主。ましやまです。
伊勢長島藩とはマイナーな小藩ですが、現在のナガシマスパーランドあたり(伊勢湾岸道からジェットコースターと観覧車がよく見える)。
家祖とよべるのは、増山正利(1623-1662)。
その姉宝樹院(お楽の方:1621-1653)は3代将軍徳川家光の側室となり、4代将軍家綱を生みます。
そして正利は旗本として召し出され、大名にまでなったラッキーな人。
雪斎はその家系で、文人大名かつ博物大名という進化系世代。
草花写生図には植物の名前とともに写生した日付も記されています。

増山雪斎に辿り着いたのは伊藤若冲(1716-1800)を追いかけての事。
まず若冲に関連しては、木村蒹葭堂(1736-1802)という名前がよく出てきます。なにわの知の巨人と称された人で、蒹葭堂ネットワークには大名や著名な絵師、お坊さんや文人の方々が名を連ねます。
蒹葭堂は大坂の有力町人でしたが、いろいろあって幕府から町年寄役を召し上げられ蟄居。そんな彼を保護したのが雪斎。
ちなみに江戸時代(1800年ごろ)の相撲番付ならぬ文人番付では、雪斎さんは酒井抱一(忠因:1761-1829)と並んで勧進元(興行主)に。
番付における勧進元や行司役は他者を超越する別格の扱いを意味し、当時の美術界隈では一目置かれていた人という事。
抱一は播磨姫路藩主酒井宗雅(忠以:1756-1790)の弟で、ご存じ琳派の継承者。
文人には教養と詩文・書画は必須で雪斎は本草学にも熱中。
自ら図譜を描くという点が、細川重賢や松平頼恭の世代からの進化。
トーハクに所蔵されるのは虫豸帖。初めて見た文字!
普通に読める方がどれほどいらっしゃるのでしょう?
こちらには名前に特徴、写生した日付が記録。展示されていた春には蝶類が、冬にはカエルやトカゲにゲンゴロウが色彩もリアルに表現。




雪斎は写生のため対象となった虫たちを「わが友」と呼び、亡骸を小箱に収めて大切にしていたそうです。

雪斎没後にその遺志によって虫塚が建てられ供養されています。
養老孟司さんみたいです(逆か)。
虫塚があるのはトーハクのすぐそば、寛永寺の境内です。
雪斎は文人大名と呼ばれるだけあって水墨画も多く残していますが、孔雀図等は応挙や若冲に劣らないアートの領域。
ただ虫豸帖はやはり博物の側でしょう。

2019年4月-6月 三重県立美術館
増山雪斎関係の展示や図録は三重県で見かけるぐらいでしょうか。
「山」の字にチョコンとシャクトリムシ、ナイスデザイン。

発行・編集: 三重県立美術館
2019年 191ページ
そしてココからさらにかぶせてくるのがトーハクの凄いトコロ(底ナシ)。雪斎の子雪園が父に劣らない才能を見せつけます。
増山雪園とは
増山雪園(正寧:1785-1842)は伊勢長島藩6代藩主。初めて見て驚いたのは、装丁も含めそのクオリティ。
その作品が四季花鳥画帖 梧桐月。






文人画家らしく漢詩も添えられています(読めないのが悲しい)。
どう見ても虫豸帖よりはアート寄り、揺れる境界線。
雪斎の図録を確認してみると、雪園作品も数点掲載。
そしてトーハク博物図譜の集大成へ。
栗本丹洲とは
栗本丹洲(1756-1834)は本草学者で、江戸幕府の奥医師を務めた4代目栗本瑞見。
トーハクで初めて見た時は「誰この人?」と思いましたが、何だか面白かったので撮影。
衆鱗図関係の資料を読んでいると、丹洲は各種図譜を正確に写していて、その中には衆鱗図も! そこから再転写、再々転写された図譜が多く残されているそうです(東洋文庫や国会図書館蔵)。トーハクの所蔵品もその1つ。
図譜を1部制作するのも大変なのに、丹洲さんはそれらをいくつも写し書きして、まとめていた人(リアルにコピペの先駆者)。
以下 丹洲の図譜各種。

千虫譜は日本で最初の虫譜で約300匹を掲載。
写本は20数点ほど現存し、トーハク蔵は最古らしい。甲殻類も虫。


爬虫類も虫。



そして明治時代へ
博物館魚譜はトーハクの前身博物局が江戸時代の絵図を編纂したもの。

大半は丹洲が描いたものだそうです。






応挙や雪斎のようなアートの雰囲気はやや薄いけれども、まさに博物学的な仕上がり。子供のころの図鑑と同じ雰囲気です。
詳しく知らない人でも見入ってしまい、外国人がじっと動かないケースも。
大名制作で完全オーダーメイド(自筆)による一品モノ、一方多くのデータを集めて俯瞰的に再構築した博物図譜群。
無理に線引きしなくても楽しめればそれでヨシとしましょう。
何より一連の文脈が、徐々に見えてくるのがミュージアムの醍醐味。
