見出し画像

ここもあそこも前田家がらみ【大樋美術館&寺島蔵人邸:お宅訪問・前田家のトビラ3】石川県金沢市

検索すれば金沢観光に関する情報・記事は膨大。中でも表紙画像で多数を占める金沢駅の鼓門は、今では街の入口のシンボルに(やや食傷気味)。
幾重にも張り巡らされた金沢の歴史に触れるには、手掛かりとなる糸をたぐりよせていくのが王道。まあだいたい前田家なんですけど。

江戸時代の金沢は、百万石のお殿様前田家の首府。
その支配域は現在の石川県全域から富山県にまで及びました。
現在でこそ人口は45万人ほどと国内では中堅都市の1つですが、江戸末期には江戸、大坂、京、名古屋につぐ大都市(約11万人ほど)。
「金沢は歩いてでも見て回れるのが魅力」とは市内でよく聞かれるフレーズですが、人口も含め適度にコンパクト。
肥大化し過ぎなかった事は今となっては逆に強みでしょうか。


歩いて回れる金沢観光の鉄板・金沢城&兼六園の北東あたり。
これまた鉄板のひがし茶屋街に挟まれたエリアには、歴史と個性ではヒケを取らない尖ったミュージアム&お屋敷があります。
キーワードはやっぱりの前田家。

大樋焼とは

加賀前田家に招かれ茶頭を務めた裏千家の祖宗室そうしつ仙叟せんそう)。
京都から仙叟に同行した門人で、楽焼の職人長左衛門ちょうざえもんが金沢・大樋村で始めたのが大樋焼。

楽焼と同様に轆轤ろくろを使わない手捻てびねりから生み出される飴色の器が大樋焼独自のスタイル。

現在は橋場町に邸宅?を構えています。
一際目立つ折鶴の松は樹齢500年(前田利家時代より古いんですけど)。
建物は藩政期に医師を務めた森快安もり かいあん(知行200石)の住宅と伝えられます。

敷地内の松濤庭は18代当主前田利祐としやす(1935- )による命名&揮毫。

美術館は目立たない建物の脇口から(ギャラリーで受付)。

大樋美術館

大樋長左衛門邸に併設された私設の陶器美術館、1990年の開館。
作家個人にフォーカスした形態の美術館は珍しい(京都の楽美術館とか)。長い歴史を持つ系譜ならではのミュージアム。

石川県金沢市橋場町2-17

パンフ 2022年版

美術館の前庭風庭ふうていは草月流3代目家元勅使河原てしがわら(1927-2001)による設計(1990年)。

勅使河原宏は華道に限らず多才な芸術家で、10代長左衛門とは東京美術学校(現東京芸術大学)で同窓だったそうです。

よく分からない前庭(ごめんなさい)

10代長左衛門(1927-2023)による陶壁がモザイク的に。
特徴の飴色にもいろいろあります。館内は撮影不可。

祈りの輪は草月会石川県支部による美術館30周年のお祝い。
モチーフは無病息災を願うの輪。

入口部分の大樋ギャラリーと茶室年々庵は、何かと話題の隈研吾くま けんごによる設計(2014年)。邸宅とおそろしく調和しています(過剰な装飾はなし)。

邸宅を正面から見ると(タイトル画像)、屋根の勾配がピタリと一致してリズムを刻んでいます。
折鶴の松とのバランスも良く、安定感というか一体感がハンパない。

建築家のネームバリューからでしょうか、このギャラリーに触れられた記事はそこそこ見かけます。ただ前田家の文化政策の一翼を担った一族の歴史と美意識は、美術館に集約されています。有料ですけど。

長左衛門10代目と11代目(当代)はキャラ濃い目の方のようです。
次代は陶芸家の枠に収まらず、現代アーティストとして注目されていて、もはや素人には何なのか分からない物体(オブジェ)を作る人。

ギャラリーへ入るとなぜか胡蝶蘭がズラリと。
訪問したのは、2022年の日展金沢ラウンドの開幕前日(後から知る)。
夕方のニュースを見て気がつきましたが、美術館内をスーツ姿でウロウロしていた方が11代でした(風貌にはやや威圧感が)。
ギャラリー内に並ぶ胡蝶蘭はそのお祝いと思われます。
千住明、千宗室、淡交社(裏千家系の出版社の会長・社長)、薬師寺と当代との交友関係が垣間見えます。

10代陶冶斎の到達点?

ギャラリーには大樋焼の作品が多数。
「お手に取ってご覧になってください」的な言葉を掛けられました。
写真がないので当時の意識は触る方にフォーカスされていたようです。

販売も兼ねていたようで、リーズナブルな作品もそれなりに。
10代か11代だったか忘れましたが、手に収まるカンジの茶碗もいくつか。
そして値段を見るとビビる事に。
ちなみに美術館には、歴代の茶碗で楽しめるお茶セット券もあります。

大樋美術館の斜向かいには、これまた藩御用達の和菓子屋があります。
金沢では前田家の庇護によって茶道が発展・継承。これも文化。
和菓子もその1つですが、有名どころだけでなく地元では知られた名店もあちこちに。商売的に成功しているお店が美味しいとは限りません。

もう1つの目当ての住宅はその和菓子屋の裏側に。

寺島蔵人邸

寺島蔵人くらんどは1700年代後半に寺島家が拝領した住宅。
現在では一部は失われているそうですが。

石川県金沢市大手町10-3

パンフ 2022年版

寺島蔵人という人

寺島応養おうようきょう:1777-1837)は加賀藩士。禄高は450石。
藩の農政、財務職を歴任し、11代藩主前田斉広なりなが(1782-1824)から教諭方(門閥政治からの脱却を目指す藩主直属の組織)に抜擢された人。

改革にはつきものとなる既得権益層の重臣(加賀八家)と対立し、斉広没後に能登島へ流刑。それもまた歴史。
加賀藩には世襲家老職(しかも大名クラスの所領を持ついわゆる岩盤勢力)がゴロゴロいて藩政を掌握していました。
金沢では藩主一門家や本多家、横山家といった陪臣の足跡(ミュージアム)も見られるのは大藩ゆえ。

庭園はコンパクトですが池泉回遊式。
当日はお手入れ中。庭園の職人さん達も前田家の遺産でしょう。

邸内では簡単な説明付き。また大樋焼でのお茶も楽しめます(別料金)。

蔵人は牡丹の花を好んだそうで、描く時は必ず高価な色絵具の群青を使用。
2階には蔵人のアトリエ白雲深処(非公開)。

このあたりの命名センスから文人の雰囲気が漂います。
またそれは前田家中の教養レベルの高さ。ヤバいね天下の書府。

鐙には象嵌仕様の牡丹と扇がデザイン。

天井の仕上げが面白い黄松琴処

池泉式庭園と書きましたが実は池には水がなく、蔵人は庭を眺める書斎を「乾泉亭」と命名。呼応するかのように浦上玉堂による扁額が現存。

これではない

どういう縁なのか分かりませんが、文人画家浦上玉堂うらがみ ぎょくどう(1745-1820)は1808年蔵人邸に滞在。足跡も残しています。

これかな?
息斎は蔵人のことか?

当日の展示室には玉堂の絵も。
やや圧の強い年配スタッフさんが「玉堂です」と。
「玉堂ですかー」と返すと
「川合ではありませんよ」とピシャリ。

それほど美術に詳しくはありませんが「川合玉堂は昭和あたりの人でしょう」と心の中では(なんせ圧が)。

スタッフさんのネームプレートをチラっと見ると「寺島」さん!
なにかと構えさせられる街なのが金沢。

玉堂が琴を弾いていたという部屋が黄松琴処おうしょう きんしょ

金沢で武家屋敷や庭園と言えば、兼六園&成巽閣に引き寄せられがち。
そこから前田ワールドへと踏み込めば、徐々に実感し始めるのが計り知れない前田家の奥深さ。

チラシ 2022年版

前田家のレガシーは、石川県全体(加えて富山まで)と広範囲に及びます。
金沢だけでは語れない上に、興味深い話が転がっているのは境界線周辺。
ちなみに金沢城では二の丸御殿の復元計画が進行中。

いいなと思ったら応援しよう!