独眼竜が見下ろす杜の都のミュージアム【仙台市博物館:伊達家のトビラ5】宮城県仙台市
ここ数年ミュージアムの休館・改修をよく目にする気がします。
天災による罹災であれば分かりやすいのですが、ほとんどは老朽化や耐震化のためという日本の公共施設の老いを実感するような理由。休館期間がけっこう長いと本当に再開するのかと余計な心配も。
今回は2年半の休館からカムバックした公立博物館。
ちなみにすぐ近くの県立美術館も、現在改修による長期休館中。
仙台市は東北最大の都市で、人口は1,095,000人(前回の記事より微減)。
杜の都とよばれ、ジョジョの住む杜王町がある街(たしか)。
江戸時代には伊達家が居城を構えた所領62万石の中心地。伊達家は新田開発を積極的に進め、最終的な実高は100万石オーバー。
余剰の米は江戸へと廻漕されて藩の財政を支えます。
また江戸幕府の食糧安保を握っていた一面も。

現地到着が朝早すぎて仙台城本丸をブラブラしていると、現地のオバちゃんにカメラ係を頼まれ、しばし世間話。
「向こうに見える七ツ森には、朝はモヤがかかっている事が多いから今日はラッキーだよ!」と教えてもらいました。

そうなのかと思いつつ、あとで地図で確認してみると宮床のあたり。
一門から本家を継いで5代藩主となった伊達吉村は宮床伊達家の出身。

本丸の一角にある胸像は、土井晩翠(林吉:1871-1952)。
荒城の月の作詞家で仙台の人(荒城の月は竹田・岡城がモチーフかと思いきや、詞は晩翠ゆかりの仙台城もしくは会津鶴ヶ城らしい)。
仙台伊達家
伊達家は鎌倉以来の歴史を持つ家で、伊達郡の地頭職(福島県伊達市あたり)を与えられた藤原氏の流れを汲んでいます。
その長い歴史を持つ伊達家(現在の当主は34代泰宗さん:1959- )ゆかりの大名道具を寄贈されたのが仙台市博物館。
仙台市博物館

旧仙台城三の丸(米蔵跡)にある仙台市博物館の開館は1961年。
設計は佐藤武夫設計事務所。伊達家より寄贈されたお宝のような資料群を所蔵・展示しています。
中でも支倉常長像を含む慶長遣欧使節関係資料(国宝)と伊達家関連の武具(一部重要文化財)が白眉。
個人的には市立博物館カテゴリーでは東の横綱にランク。
宮城県仙台市青葉区川内26



博物館周辺は散歩に最適でブラブラできます。ただし油断は禁物!



博物館周辺にも銅像がいくつかあります。

こちらは2001年に中国から贈られたモノ。
魯迅(1881-1936)は中国の作家、思想家。
仙台医学専門学校(東北大学の前身)に留学した経験をお持ちの方。
阿Q正伝という変わったタイトルの小説を書かれています。読んだことはありませんが。
そして仙台の起点となった人を
伊達政宗という人

伊達政宗(1567-1636)は、出羽・米沢の人。
若くして伊達家17代当主になると領土拡大路線を進めていきますが、中央政権の豊臣秀吉(1537-1598)という大きな壁にぶち当たり臣従。
さらに奥州仕置では苦労して得た会津領を失います。
仕置によって誘発された葛西大崎一揆後には、所領が現在の福島県から宮城県側へとスライド。のちの関ケ原の戦い(東北版)では旧領の上杉軍を攻め、白石城を奪還しています。
仙台城本丸跡のシンボル・政宗騎馬像は1935年に設置された小室達(柴田町の人)の作品。太平洋戦争の金属供出で撤去されていましたが、オリジナルの型をもとに1964年に復元。
2022年の地震でも罹災していますが、2024に修復され再度復活。

さらに現在は残月亭そば(博物館東側にある堀の対岸)にある政宗胸像。
金属供出から奇跡的に生き残ったオリジナルパート。

仙台と伊達家のガイド本にもなる1冊。
貞山堀から仙台城跡、そして石巻まで司馬遼太郎がブラブラした記録。
関ヶ原の戦い後に拠点を岩出山(宮城県大崎市)から千代(現在の仙台)へと変えた政宗によって築かれたのが仙台城。
広瀬川を外堀(太平洋への水路も兼ねる)とし、かつては青葉山の断崖上の本丸に御殿が建てられました。
2代忠宗によって日常生活には不便という理由で二の丸に御殿を移転(現東北大学文系学部)。
仙台市博物館があるのは、断崖下の旧三の丸。
お城の遺構は火災や戦災でほぼ失われています。


やけにダンプカーがいると思っていたら、朝早くから石垣は絶賛修復中。
がんばれ令和の職人!と静かに応援。

修復は2022年の地震で被災していた部分。
また大手門脇櫓(復元されていましたが被災)とともに大手門が復元予定(完成予定が2036年って気が遠くなります)。

政宗2次元の姿。
原本は狩野安信(探幽弟:1614-1685)筆、賛は酒井伯元。
賛は政宗が晩年の心情を詠んだ有名な漢詩。

領国図は1700年ごろの模写で、畳26枚分のサイズ(実際壁一面の巨大さ)。

(複製:原資料は重要文化財)@仙台市博物館
具足類の筆頭はやはり政宗。重さは約21kg。恐るべきは戦国武将の体力。

こちらは家臣たちの具足。月の前立てが小さ目なのは家臣だから。
コチラの書状では花押を間違えて、正しい花押を重ね書きしている政宗。

理由は大名宛と家臣宛では花押を使い分けていたため。
ちなみに政宗は筆まめで知られ、家臣への自筆書状も多く現存。
ケータイがあればかなり駆使しそうなタイプ(やっかいな上司?)。
角田城主(宮城県角田市)の叔父石川昭光とその子に宛てた書状。

内容は関ヶ原での家康側勝利をいち早く伝えた速報。
石川家は一門筆頭の格式で所領は21,000石。政宗が家督を継いだ頃の昭光は、石川家を継承していて政宗とは敵対関係。
奥州の大名家は婚姻関係が複雑で、敵味方が入り組んでいます。
昭光は秀吉の奥州仕置で所領を没収され、政宗から松山城を拝領し家臣化。
続いての書状はライバルからの書状。
上は上杉景勝から、下は景勝の懐刀直江兼続から。書状はセットで政宗に届けられています。

政宗への返書で「これからは連絡を取り合いましょう」と。
1587年当時の政宗は米沢(山形県米沢)を居城としています。
上杉領の越後とはお隣同士。そして 1590年に政宗は南の会津・蘆名領へ侵攻し勢力を拡大しています。
その前フリ的なごあいさつでしょうか?
こちらは天下人からの書状。

1591年 秀吉の奥州仕置に反発した一揆勢を、徳川家康や豊臣秀次と鎮圧しなさいという命令書。
時代が下っての資料。

豊島洞斎は金沢藩士、玉蟲左太夫は仙台藩士。北方四島や択捉までカバー。上部にはアイヌ語の和訳一覧も。
仙台藩は蝦夷警備で白老に駐屯。明治期には伊達家中の一部(亘理伊達氏)が開拓のために北海道へと渡っています。
政宗のお墓から貴重な資料を。

1974年に調査のため瑞鳳殿(政宗の霊廟)から発掘されたブローチ。
材質は金でヨーロッパ製らしい。
煙管に懐中鏡と文鎮。南蛮好みと伊達者らしさが垣間見える品々。


編集・発行:仙台市博物館
2017年 240ページ
こちらは政宗関係の参考書類となる図録。残念ながら絶版。
代わりにゼロベースで政宗を学ぶのに最適なマンガを。
河北新報に連載されていたそうですが、一時期はネット上で読めました(しかも無料)。地元出身の作者によって史実を丹念に調べ書き上げられた、非常に内容の濃い大判のマンガです。
マンガの良い所は登場人物を覚えやすい点。
人物は多少キャラ付けされていますが、情報量が多いうえに楽屋編の解説も豊富。子供にはやや難易度高めな大人の全3冊。
伊達家の歴史と強力な家臣団は、豊臣家や徳川家との成り立ちの違いを浮き彫りにしています。
ちなみに第3巻には仙台城跡の銅像群についての記述もあり。
もう1人の主役・支倉常長

大手門跡のそばにもひっそりと1体の銅像が建っています。

支倉常長(1571-1622)は、政宗の命によりヨーロッパに派遣された人(通商目的とも軍事同盟目的とも)。
1613年にサン・ファン・バウティスタ号で石巻を出港して太平洋を横断。
メキシコ・アカプルコ到着後は陸路も使ってメキシコ湾側へと移動し、そこから大西洋を渡ってヨーロッパへ。
スペインでは国王フェリペ3世に謁見し受洗。
そしてローマでは本命のローマ教皇に謁見した東北の冒険王。
1620年の帰国時には国内ではキリスト教が禁教されており、常長は間もなく亡くなっています。慶長遣欧使節関係資料は国宝指定。

撮影可能なのはありがたいのですが、問題なのはガラスの向こうの肖像画類。ガラス付の額装のため、反射してうまく撮影しにくい。
政宗がローマ教皇へ宛てたお手紙。

サンピエトロ宮でパウロ5世に直接手渡したのは常長とルイス・ソテロ。
渡してしまったので、原本はヴァチカン所蔵。

その内容は宣教師の派遣および通商のためのスペイン国王への仲介依頼。
ラテン語版と同じくきらびやかな料紙に政宗のサイン、花押、朱印が。
支倉常長がローマから持ち帰った肖像画。

教皇庁が関係者への配布のために複数生産した品とされています。
帰国後に政宗へ献上。
ローマ市議会が常長に市民権を与え貴族待遇を保証したラテン語の文書。

支倉は「FAXECVRA」と表記され、左上の紋章(逆卍に違い矢)は支倉家の家紋が。 公民権証書は常長を含め8名に発行されたそうですが、現存するのは常長分のみ。
名前の読みはドン・フィリップ・フランチェスコ・ファシクラ的な感じでしょうか。

出版物は1615年製で、ドイツ語とラテン語表記。
こちらは慶長遣欧使節関係の図録。

編集・発行:仙台市博物館
2001年 91ページ
かなり古い発行年ですが、展示の解説も図録に準じています。
常設展示でも質・量ともに充実した所蔵品が並ぶ仙台市博物館。
足繁く通える距離ではないのが残念ですが、地元民なら年パスが必須のミュージアムです(特別展目当てでなく、トーハク的な楽しみ方が可能)。
そういえば石巻のサン・ファン館も2024年に復活完了。

