広すぎて全貌が掴めないザ・ヒロサワ・シティ【廣澤美術館:隈研吾6】 茨城県筑西市
広大な関東平野に北から突き出す筑波山。古くから万葉集にも詠まれる関東の名山ですが、その筑波山の麓に巨大なテーマパーク的な施設がジワジワと拡張しつつあります。
筑西市は筑波山の西側にあり、旧下館市を中心とした茨城県西エリアの中堅都市。人口は96,000人。市内に広がる田畑からは農業王国茨城を実感。
今回のミュージアムは、市の中心部から東南へ車で10分ほどの距離。
金山城跡ガイダンス施設(群馬県太田市)、栗田美術館(栃木県足利市)から続く国道50号沿線では3館目の記録です。

廣澤美術館

廣澤美術館は、茨城県内に経営基盤を持つ廣澤グループの総帥廣澤清さんが手掛けた実業家系ミュージアム。
開館は2021年で、本館の設計は隈研吾。
コレクションは日本画、洋画、陶磁器、工芸品を中心に、現在の水戸市出身の横山大観や、下館(現筑西市)出身の板谷波山といった地域ゆかりの作家作品を所蔵。
茨城県筑西市大塚599-1
ザ・ヒロサワ・シティと呼ばれる100万㎡の広大な敷地には、美術館のほかゴルフ場や各種宿泊施設、さらに農園まで備えられています。
2024年には巨大施設ユメノバがオープンと現在進行形。
美術館本館を形成する庭園は3つ(総称はつくは野の庭)。
浄の庭(本館西側)は斎藤忠一(作庭家:重森三玲に師事)、
炎の庭(本館東側)と寂の庭(門から入ってすぐのエリア)は宮城俊作(ランドスケープアーキテクト)、
3つの庭園の命名は中西進(万葉集研究の第一人者)、
と3人による合作。
さらに正門の壁塗りは狭土秀平(左官職人&アーティスト)と資料には名前が挙げられています。
そして本館以外にも5つの建物。

実は廣澤美術館にはオープン直後にも足を運んでいて、捉えどころのない施設とういうのが正直な印象(天気のよくない写真は2022年時)。
展示は本館を中心にいくつかのテーマ別の建物に分散され、配布のマップを見ながら順番通りに見て回ります。
その時は本館での展示品は数が少なく、点在する建物内の展示もクセ強めの趣味的コレクションが中心(本館以外は建物はフツー)。


そしてこのプラン・・・

2022年11月-12月 @廣澤美術館
人間国宝(当時筑西市在住)の器でステーキを食べるのかと思いきや・・・
そうではなさそう(たぶん)。
記憶に残ったのはミュージアムのアグレッシブな運営姿勢と発展途上感。
そして2023年になって豊臣秀吉ゆかりの黄金の茶室ならぬ黄金の茶道具が、オークションで落札されたニュースを耳にします。
落札者は廣澤美術館!
そのうち展示されるのかなと思っていましたが、気が付いたのが2025年。

隈研吾

美術館本館の設計者は、茨城県内にも実績多数の隈研吾(1954- )。
受付には隈さんのパネル(パース?がデザイン)が飾られていて
アートコレクターとして知られる廣澤清氏のコレクションを収蔵するミュージアム。廣澤氏の集めた莫大な数の巨石で建築を覆い、巨石を用いた外構と巨石を積んだ外壁とがシームレスにつながって、建築とランドスケープが一体化された。
屋根は木製の軽やかなジョイントで支えられ、ジョイストは室内へも露出し、展示空間は暖かく、軽やかである。
木の軽さによって、巨石の持つ圧倒的な重量感が一層強調されている。
と自ら美術館を解説。
本館は3棟の直方体の建物が、空から見ると正三角形に配置されています。
グーグルマップで確認すると、なんともスタイリッシュなデザイン(リサイクルマークのような)。
その本館の周囲を総計6,000t、1,500個もの巨石群(一部は庭石か)が覆うように配置されていて、唯一無二の外観を形成。
建築家本人が言われるほどランドスケープとの一体感は感じませんが、石垣でもなく隈建築の代名詞ルーバーもない独自のデザイン。

2025年当日の企画展示はこちら

2024年11月-2025年4月 @廣澤美術館
エントランスとなる1棟目で受付を済ませて、展示室となるのは2棟目。

そして3棟目へ。
上の写真の一番奥と下の写真の一番奥が同じ場所。

そして下の写真奥がエントランス&受付(説明が分かりにくくてスミマセン)。本館はこれでグルっと1周した事になります。
天井は隈建築特有の化粧板ではありません。

展示室にズラリと並ぶ今回の主役横山大観(1868-1958)作品は壮観。
館内は撮影可能。ただし展示ケースの反射が強めで、正面から写真を撮るのは厳しい環境。






ここは茨城、大観と言えば五浦は外せないでしょう。

菱田春草(1874-1911)は
下村観山(1873-1930)
木村武山(1876-1942:茨城・笠間の人)
大観とともに、師匠岡倉天心に従って茨城・五浦で創作活動に励んだ人。

ちなみにつくは野館には観山と武山の作品も展示されていました。
最後の締めは地元の陶芸家板谷波山(1872-1963)。

ちなみに下館には生家&東京から移築されたアトリエが整備された板谷波山記念館があり、しもだて美術館でも波山作品は展示されています。

ここで本館の展示室は終了。庭園を楽しみつつ別棟を回ります。
庭園
本館を出たデッキには彫刻作品が並びます。

まずは北村西望(1884-1987)作品が三連。

大御所の2人が続き、
佐藤忠良(1912-2011)作品が三連。

この手の彫刻作品は正直よく分からない(みなさん巨匠らしいのですが)。
そして庭園


水盤と枯山水の対比。

枯山水にしては規模が相当にデカく、豪快に岩を配置。
砂紋の管理もタイヘンそう。

石を伝って進んでいくと・・・

微妙な滝的な何かが。

この庭園からは関東平野の広大さを意識させられます(周囲に高い建物はなく、本館が平屋なのもソコが狙い?)。
ただ高低差がほぼゼロというのは、ポジとネガが背中合わせ。
借景に筑波山という要素も皆無(巨石にばかり意識は奪われますが)。
そして順路に従い、次なる展示館のつくは野館へ
屋外にはよく分からない系の彫刻が2種。



著名な作家作品がこれでもかと並びます(HPに紹介がないのも行ってみてのお楽しみ)。チープな雰囲気に反して物量がハンパではない空間。
そしてこの建物には厳重な警備の一角が設けられ、目当てのあの道具類が
黄金の茶道具は、豊臣秀吉が藤堂高虎へ褒美として与えたとされるもの。
オークションでは廣澤美術館が3億円で落札。
茶道具の前オーナーは旧津藩主家(三重県)の藤堂家。
解説には藤堂家と下館のゆかりが記されていますが、下館藩を140年間治めた石川家に藤堂家の娘が嫁いでいるというやや苦しい関係性。

藤堂家の祖藤堂高虎(1556-1630)は戦国時代の近江の人。
若い頃は武功は挙げるものの主君に恵まれず、豊臣秀吉(1537-1598)の弟秀長に仕えてメキメキと頭角を現します。
高虎は槍働きも一流でしたが築城にも類稀な才能を発揮し、秀吉没後は徳川家康の信頼も得て、外様ながら家康の側近に。
戦陣においては譜代の先峰は井伊家、外様の先峰は藤堂家といわれたほど。
大坂城に豊臣秀頼が健在だった頃の大名配置を考えると、彦根の井伊家と伊勢・伊賀の藤堂家の立ち位置を示したものと思われます。

黄金の茶道具には繊細な手仕事が施されています。
1929年に上野の美術館で出品された経歴を持ちますが、藤堂家当主すら目にする事ができるのは年に1度だったそうです。
道具類の材質検査では金が約90%、銀が約10%(茶入れの蓋が純銀製)。
総重量は10.4kg。

興味深いのはさらっと案内されている展示室自体が耐火金庫の表示。
製造元は廣澤グループの日本アイ・エス・ケイ。重量は3.4t。
内装は茶室風に仕上げられていますと。
茶道具の名物は何人かの大名や数寄者の手を渡っていくイメージですが、約400年間にわたり藤堂家が守ってきた家宝が今なぜかココに。
2度目の訪問は、つくは野館の巡回中にタイムオーバー。
石の美術館や美術館通り(広沢通り)の向かい側まではカバーできず。
別料金(なかなかの料金設定)になりますが2024年オープンのユメノバエリア(車から飛行機、鉄道まで展示)まで見学するのであれば、予定にはかなりの余裕が必要です。

以下は2022年時の記録

さがしものと同系列の紅白の作品とモダンアート(車のパーツ?)。



美術館のHPで確認すると、結構なペースで企画展が開催されています。
初訪問時はまだミュージアムの立ち上げ期だったこともあり、まだこれからという印象でしたが、3年後の今回では地元色を強めつつ作品の圧倒的な物量に驚かされました。

所蔵品は近現代の作品が中心、そして美術館のカラーはまだ明確ではない印象。ただこれから庭園のエイジングも進んでいくでしょう。
そして黄金の茶道具が今後の方向性にどう影響するのか興味が尽きません。

追記:茨城県にある岡倉天心主役の美術館の記録はこちら

